茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
佐々さんが、10 月 2 日の日記で「記念すべき(一生記憶に残る)講義」のことを書いている。 自分の出身学部で、自分の専門分野の講義を担当することへの意気込み、誇り、そして、喜びがよく現われている。
学問的に素晴らしいことだと思うし、佐々さんの共同研究者・友人・ファンの一人としても、素直にうれしいと思う。
それと同時に、ちょっと「いいなあ」と思ってしまうのも事実だ。 ぼくが自分の出身学科で統計力学関連の講義をしていれば、少なからぬ学生に強い印象・影響を与え統計物理学や数理物理学への見方・考えを大きく変えられただろうという自信がある。 本郷の物理での学生の分野の選択にも少なからぬ影響を与えられただろうと思っている。 それが実現できなかったのはやはり残念なことで、ぼくの人生における数少ない悔いの一つと言っていいかもしれない。 一方で、ぼくが日本で純粋な数理物理・理論物理を研究しながら家族とともに生きていくには、学習院は最良の場所だったし、今でもそうだ(だいたい、「いいなあ」とか素直に書けるのは、学習院での講義も十分に楽しいと感じているからだよね(実際、楽しい))。 当たり前のことだが、一人の人間が一回の人生でできることは限られているのだから、あまりに多くを欲張って望んではいけないということなのだろう。 けっきょくのところ、(こういう考え方は普通しないのだけれど)仮にもう一度人生をくり返すとしても、ぼくは、やはり同じ選択をするのだろうと思う。
まずは、
East Asia Joint Seminars on Statistical Physics 2013という国際会議が京都であり、ぼくは世話人として出席する。 ただし、実はこの会議がいったいどういうものなのかぼく自身はきちんと把握していない。 世話人といっても、今回は、文字通り末席に名前を連ねているだけ。とはいえ、出席するからには最大限に楽しんで、また、世話人としても貢献したいと思います。
その少しあとには、
The Fifth International Symposium on the New Frontiers of Thermal Studies of Materialsという会議で(短かめの)招待講演をする(付記:これを書いたときは「短め」と思っていたのだが、実は、長目の講演をさせてもらえることが後でわかった)。 これは熱測定の分野の国際会議なのだが、実は、以前にも同じ会議で話をしたことがある。 たしか数年前だと思って日記を検索してみたら、2001/11/27 の日記に記述があった。 2001 年! ぼくらが子供の頃には、2001 年は遠い未来のはずだったじゃないか。いつの間にか、すでに干支が一周するほどの昔になってしまった。
もちろん、他にも来客とかオープンキャンパスでの講義とか、細かいことは色々と。
で、明日は、組織委員というのをやっている
久保記念シンポジウム「量子物理学の明日」がある。 基本的には、自分が聴きたいと思う話を選ぶことが最良の企画だと信じているので、明日もとても楽しみだ。 沙川さんに会うのも久しぶりだし、
Summer School 数理物理 2013のために東京に来た原が、学習院に来てくれた。
原が証明したばかりの孤立量子系の緩和(正確にいえば「低次元ヒルベルト部分空間からの離反」)に関する定理をめぐって、技術的なことから、背景の物理まで、ずっと黒板で議論した。 大学院時代は、ほぼ毎日のように二人で議論して、いっしょに研究していたのだ。 思えば、それから 30 年くらい経っている。 大学院時代が終わって、それぞれアメリカに行ってからは、顔を合わせて話すことは多くても、本気でいっしょに研究したことはなかった。
なんというか、懐かしいし、それ以上に、すごく楽しかった。
あ、しかし、個人的な感傷だけでなく、この定理は孤立量子系の緩和の問題について、(言われてみれば、当然と思うかも知れないが)きわめて本質的な事実を明確にしたと思っている。 (この、めっちゃマニアックな問題に興味をもっているごく一部の人は)刮目して待て!
久保シンポジウムの日だがあいにくの雨だ。
どこかにピクニックにでも行こうと思っていた人が、あきらめて学士会館に来てくれることに期待しよう。
われわれ普通の人が肉や魚を食べているのと同じテーブルにベジタリアンの人がいると、(実際はどうあれ)なんかあちらのほうが本能を克服して洗練された「一つ上」の存在みたいな気がしてしまうものだ。 一方、家族がサラダや果物を食べているのと同じ食卓について、ひたすら、肉と白いご飯だけをむさぼり喰っていると、なんか「一つ下」の野蛮な何物かになったような気がしてくるので面白い。
ただし、これからしばらくは禁酒じゃ(←これも大したことではなく、ポリープを取ったので、大事をとって、少しのあいだお酒と激しい運動を控えるということ)。
昨日の
久保記念シンポジウム「量子物理学の明日」は、あいにくの雨にもかかわらず、盛会になった。 学士会館の部屋がほとんどいっぱいになることは珍しいし、若い人の率が高いのもうれしい。 企画とタイトルがよかったと自画自賛するものである。
若い人のかなりの部分は沙川さんの話が聴きたくて参加したと思われるけれど、勝本さんと小林さんの実験の話も楽しんでもらえたと思っている。 勝本さんの話は、ちょっとプロ向けだったかもしれないが、すごみは伝わったと思う。 小林さんは、日本の物理学者の中でも最高級に話がうまい(単にプレゼン上手で話術が巧みというのではなく、本質をしっかりと伝えてくれる)人なので、知らずに(単に去年の受賞者の話だと思って)聴いた人は驚いたんじゃないかな?
沙川さんのお話はきれいにまとまっていて素晴らしかったけれど、数理的な中身にいっさい踏み込まず、結果だけを述べていたのは、やはり不満。 40 分話せるなら、一カ所くらいは、定義、結果、導出を見せて雰囲気を伝えるべきだと思うなあ(というようなことはご本人に言ったけど)。
これを書いたあたりでエンジンをかけよう。
ううむ。(それほど本質的ではない)補題の証明を一つ、少しだけ簡略化することができたけど、それ以上のことはできなかった。 ま、何もないよりもいいか。
研究とは関係ないけれど、次回、11 月 16 日(土)の数理物理・物性基礎論セミナーで、青学の松川さん(というか、学生時代からの知己なんで、普段は互いに、松川、田崎と敬称略なんだけど)に引き受けてもらった。 タイトルは、ずばり「摩擦の物理」。
かれは話がうまいし、最近、大槻さんとやった弾性体の摩擦の話は明快で面白いし、幅広い範囲の人に楽しめるセミナーになると思う。 また、詳しいことが決まったらアナウンスします。
昨夜は、寝る寸前まで原の証明(←ううむ。すごいなあ。こんな短期間でこの定理を予想し証明するところまで・・)と『進撃の巨人』(←ううむ。これもすごい。ええと、何か書くとネタばれなるので書かないけど,やっぱ、アレがアレして、ああで、こう思わせて、あれだし、まあ、なによりミカサがかっこいいし・・・)を読んでいたので(ようやく、アニメの二期までを全部見て、出ているコミックスはすべて読んで、少し世間に追いついた。ま、「あまちゃん」は通算で 5 分くらいしか見なかったけど)、なにやら、ユニタリ群のハール測度と巨人がいっしょになったような妙な夢を見てちょっと辛かった。
そして、朝になって、混迷した夢から覚めてみれば、
青い空! 白い雲!! 強い陽射し!!! ひゃっほ〜、待ちに待っていた夏がやって来たぜ!!!という感じの日ではないか。 もう履かないかと思っていたサンダルを出してきて教授会に向かうのであった。
おおかたの予想通りだったし、まったく順当だと思う。 ぼく自身、ヒッグス機構が提唱され、数十年後に、それに付随するヒッグス粒子が観測されたことは、人類の歴史の中できわめて大きな位置を占める達成だと信じている。 だから「ノーベル賞級」の業績であることには何の異論もない。一方、賞を実際に出すとなると、ヒッグス機構に気づいた人はヒッグス以外にも何人かいたという話で、では誰に出して誰に出さないかというのが、結構こじれていんたじゃないかと言われている。 人類全体の知的達成として文句なく偉大なのに、そういう細かいことや、ノーベル賞の「三人まで」というルールなんかが邪魔してゴタゴタするというのは、まったくアホらしいというか、すごくアンバランスな話だと思う。 そもそも、ノーベル賞委員会というごく一部の人たちの駆け引きやら決断やらに科学のコミュニティーがいちいち揺さぶられるというのは本当にマヌケな話だといつも感じている。 ノーベル賞なんてもうやめた方がいいんじゃないかと思うけど、まあ、やめられないよねえ。
さて、ヒッグスが話題になると、また「ヒッグスが水飴のように真空を満たして素粒子に質量を与える」という話が復活してくるのだろうか? 科学教育者としては、「水飴理論」とは断固として闘っていかなくてはならないのだが、人類が巨人に闘いを挑むのにも似て これは勝目の薄い厳しい闘いなのであるよ。
とりあえずは、ヒッグス機構についてざっと書いた去年の 7 月 8 日の日記にリンクをはっておこう。
おお、体育の日だ。
(東京の気候を考えれば、オリンピックはこれくらいの時期にやるのがまっとうなんだと思うなあ。台風のリスクはあるけどね。)
さらに、例によって報道が混迷していることもあって、つい「水飴理論はやめれ」ということを Twitter なんかでくり返して言ってしまう。 まあ、科学教育者としての性(さが)ですかね。
ただ、基本的に言いたいことは去年の 7 月 8 日の日記に書いてあるので(もうちょっと上手に書き直せる気もするけど)くり返すのはやめよう。 念のため、ぼくの考えの要点を書いて置けば、
What is the Higgs?は、直球の「水飴」よりはだいぶいいかもしれない。
なによりきれいだし、また、「あくまで比喩に過ぎないんだよ」ということが前面に出ているのがいい。 水飴系の説明(←新しい専門用語ですな)は、まるで質量獲得の機構を説明したような顔をしている(というか、多くの解説者はそう思って説明している)のが(そして、完璧に間違っているのが)イヤなのだよね。
とはいっても、この雪原の説明でも「慣性の法則」が破れてしまっていることに変わりはない。 あと、ヒッグス粒子は snow flake だっていうのは、とてもロマンチックでよいとは思うけど、やっぱり、違いすぎるよね。
要するに、一貫して機能する比喩を作るのはものすごく難しいということに尽きますね。
すごく自然な疑問だし、FAQ である可能性も高いのだけれど、これまで質問した素粒子理論(あるいは、場の量子論)の専門家の中に、もともと(この設問と)答を知っていて即答してくれた人はいなかった。 けっきょく、「難しいんじゃないかな」というところに落ち着く場合がほとんどだった。 ただ、お一人から、かなりもっともらしいと思われる解答をもらったんだけど、残念ながら、それは、ぼくが完全には理解していないので、ここに書くのはやめておく。
これをご覧になった専門家から「どこそこに解説が載っているよ」とか「私のブログに解説を書いたよ」といった反応が返ってくることを期待しています(英語で書いた方がよかったかな??)。どうかよろしくお願いします(別に、差し迫って必要なわけじゃないので、急ぎません。真空は逃げないし)。
ただし、ここで「本物」のヒッグス場を考えることにすると、ゲージ対称性のために問題は圧倒的に難しくなる(そもそも SSB の正確な記述も,ぼく自身は、よく理解していない)。 ちょっとずるいけれど、ゲージ場とはカップルしていない、純粋な複素 \(\varphi^4\) 場の理論の SSB について考えることにする(「\(\varphi^4_4\) は九分通り trivial だから SSB はおこし得ない」というツッコミは、さしあたっては、なしにして下さい。もっとラフな話をしているつもり)。
無限自由度の量子系の数理をガチでやるべきだという立場の人(←ま、ぼくは、そうなんですけど)に聞けば、
spontaneous symmetry breaking (SSB) というのは場の無限個の自由度の非線形の相互作用の結果として生じる非摂動的な現象であり、そんな摂動丸出しの問いはそもそも成立しない。 言い方を変えれば、対称性をもった真空と対称性を破った真空とは異なった super selection sector に属している。 場の量子論というのは、それぞれの真空のセクターで GNS 構成法で作られるものなのだから、両者を関連づけようという発想がそもそもおかしいと答えるだろう。
それは重々わかっているのだが、でも、いい加減な平均場のレベルで考えて、必要なら適当にカットオフをいれて問題を有限自由度系にすりかえてしまえば、二つの「真空」は比較できるのではないかと思いたくなる。 だいたい、場の量子論での SSB の理論的な扱いなんて、チープな平均場くらいしかできていないわけだし。
しかし、(これも、もうみんな気づいたと思うけれど)この状態じゃダメだ。 だって、これってローレンツ不変じゃないでしょ? これを普通にブーストすれば波数が \(\boldsymbol{0}\) でなくなって別の状態になってしまう(ブーストすると時間一定の面も変わるからちょっとややこしいわけだけど、それでも、ローレンツ不変じゃないことは確かに見える)。
というか、この \(|\text{BEC-type}\rangle\) って、けっきょく、「水飴に満たされた宇宙」なんかと同じだよね。 絶対静止系がもろにあるような、きわめて相対論的ではない状態なのだ。 「BEC でいいんじゃないか?」としばしで思った人は「水飴宇宙」を笑えないことになってしまうぞ(←ブーメラン)。
様々な波数ベクトル \(\boldsymbol{k}\) のモードを、ローレンツ不変になるように混ぜればどうかというアイディアがあるかもしれない。でも、それはやたら恣意的だし、そもそもあんまり混ぜすぎるともはや凝縮しなくなってしまう(と思う)。 だいたい、通常の、ラグランジアンのレベルでの平均場近似には、そんな「混ぜ方」なんて出てこないよね。 単に \(\varphi\to\langle\varphi\rangle+\psi\) みたいな置き換えをして \(\psi\) を主役にすれば、自動的に、ローレンツ共変な(有効)理論が出てくるのだ。 やっぱり、「色々な \(\boldsymbol{k}\) のモードを混ぜる」というのは不正解に見える。
さあ、困ったぞというわけで、解答をお待ちしているわけでした。
けっきょく、ローレンツ共変でない形式でやっているから混迷するので、すべてローレンツ共変な形式で書く。 そして、時空点 \(x\) での場の生成演算子を \(\Psi^\dagger(x)\) と書いて、 \[ \Bigl(\int dx\,\Psi^\dagger(x)\Bigr)^N|\mathrm{vac}\rangle \] のように真空に作用させる。積分範囲は時空間の「全体」(規格化は、まあ、落ち着いてカットオフをいれたりして処理する)。 こうすれば、明らかにローレンツ共変な状態ができる。
これを、最初の問題設定のように、時間を一定にした面での量子論に書き直そうと思うと、時間発展演算子を使って生成演算子 \(\Psi^\dagger(x)\) を考えている時刻の演算子に変換してやらなくてはいけない。 これをあからさまにやると、相当に混み入った形になるだろう。これが、BEC のアナロジー近辺から出発して、なかなか答が出なかった理由だ。
さらに、上で触れた「かなりもっともらしいと思われる解答」の意味もわかった。 この解答は、ちょっと抽象的で「ローレンツ群には、\(E=0\), \(\boldsymbol{k}=0\) に相当する孤立した表現がある。この表現に属するモードが凝縮するのではないか?」というものだった。 この解答だけでは具体的なことがちっとも分からなかったのだが、これも高麗さんに話したら、速攻で「同じことだよ」と言われた。そりゃそうか。全時空点でベターっと積分してしまうことで、完璧に並進対称な、ある意味で自明なローレンツ群の表現ができるわけだ。
ぼくが正解に至らず混乱してしまった最大の原因は、どちらも同じ量子論である以上、「量子スピン系での空間」=「場の量子論の(時刻一定の)空間」という対応が自然だと思い込んでいたためなのだなあ。 いかん、いかん。
というわけで、一件落着。
これで得た重要な教訓は、やはり場の量子論は時空で考えようということと、ネットで質問する前に自分の同僚ともっと昼飯を食いに行け、ということかな(このまえ、原が来たとき三人で食べたねえ)?
いや、やっぱり、まだなんかおかしい。何人かの人からメールをもらって考えてみると、だんだんわからなくなってきた。
まず、最低でも、対称性を破る真空は、たとえばコヒーレント状態 \[ \exp\Bigl[\alpha\int dx\,\Psi^\dagger(x)\Bigr]|\mathrm{vac}\rangle \] みたいに、様々な粒子数の和でないといけない気がする(Koma-Tasaki の試行状態も coherent state ではないが、多くの粒子数状態の和)。
でも、それだけじゃなくて、なんかおかしい気がさらにする。 やっぱり、対称性を保つ真空というのが、なんだかわけのわからないものなのだなあ。
非相対論的な場合はかなりちゃんと理解できているので、ちゃんと落ち着いて考えるべきなのだが、ちょっと真面目にやらねばならないことが多すぎて頭をこれに使っている余裕がないので、中途半端なままで放置。ごめんなさい。
国際会議
The Fifth International Symposium on the New Frontiers of Thermal Studies of Materialsの二日目の朝が来たのにぼくの発表のスライドはまったく準備できていない --- という夢を見て目が覚めた。
お恥ずかしながら、「見知らぬ講義室に行って黒板の前に立ったものの何を講義するのかわからない」とか「講演会でスライドを見せるのだが、何が書いてあるのかわからず順番もわからずあせる」といった夢はしょっちゅう見る。 やっぱり、ぼくの職業では、講義や講演がもっとも緊張の高まる時なので、それがねじ曲がって夢に出てくるのだね。
しかし、こういう特定の会議が出てくるのは珍しい。 ぼくが、実際に、この国際会議での講演に向けてかなり緊張していることの現われだと思う。
会議の題名からもわかるように、これは熱測定を中心にした会議で、ぼくはまったくの異分野の研究者だ。 会議のメインテーマ以外の話も聴こうということで招待していただいたわけだが(ガラスの専門家の宮崎さんも呼ばれている)、プログラムを見ると、ほとんどの招待講演者が 30 分講演なのに、ぼくは 40 分の枠をもらっている。 主催者がぼくの話に興味をもってくれたということなのだろうけれど、まったく恐縮するというか、けっこうプレッシャーを感じる状況になっているのであった。 もちろん、期待に応えるべく全力で準備するつもりです。
ぼくの講演のタイトルは、
What is equilibrium and how do we get there?である(けっこう気に入っている)。 基研の記念講演会や徳島の学会のシンポジウム講演と同様、孤立量子系での平衡状態の記述と平衡への接近の話をする(ぼくは、これからしばらくは、この周辺のテーマを中心に話をすることになると思っている)。 ただし、これまで二回の講演の聴衆はすべて物理学者だったのに対して、今回は、熱測定というまったく違う分野の人たちが相手だ。 多体量子系にピントが合っている人は少ないだろうけれど、逆に、熱力学、平衡状態、平衡への緩和などについては実際的な知見と直観を持っている人が多いはずだ。 そういう場で、「孤立量子系での平衡化」という、物理の分野でもまだまだ異端に近い考えを説明するというのは、ぼくにとって大きなチャレンジになる。 難しいし、どこまで成功するかはわからないけれど、やり甲斐のあるチャレンジだと思っている。
Foundation of statistical mechanics based on quantum mechanics
ところで、ぼくの講演は会議の二日目の朝一番だ。 会場の横浜スタジアム(の近くの何とかいうところ)まで、まあ、1 時間半くらいで行けるのだろうけれど、そもそも朝の早起きは苦手だし、万が一にでも電車が遅れたり、万が一(よりは確率が高い気がするけど)途中で迷ったりして、会議に迷惑をかけてしまうと申し訳ないと思い、近くのホテルに泊まることにした。 講演にチャレンジするのはやり甲斐があるけど、電車を乗り継いで会場にちゃんと着くためのチャレンジとかはしたくないから。
と書いていて思いだしたのだが、この会議は、(男性は)全員が背広にネクタイを着用するという異文化の集いなのであった(前に参加したとき(2001/11/27 の日記)は、前の晩に妻に連れられて池袋に行ってスラックスを買ったりしている)。 Perfume の T シャツにするか、もう少し地味な T シャツにするかといったことを悩むのとは異次元の世界なのじゃ。
ということは、会議の初日の朝から夜のバンケットまでずっと背広とネクタイで過ごし、さらに、そのままの姿でホテルに行って泊まり、朝、また背広とネクタイで会場に向かって,一日、その姿で過ごすという、ぼくにとって前代未聞の荒行をこなすことになる。 これぞ最高級のチャレンジかも知れない。
昨日は別件で半日つぶしてしまったので、今日、がんばって 29 日の熱測定の国際会議のスライドを作る。 今までのスライドの英訳的な部分もあるが、聴衆の層の違いを考えて新たに作ったスライドも多い。 さてさて、これでどこまで「通じる」プレゼンテーションになるのか。 量子力学への親しみ具合なども人によって大きく違うらしいので、なかなか難しい。
ともかく、一通りできあがったので、これからは練習をしつつスライドの完成度を上げていこう。
時間に向きがあるのは何故だろう?という話をすることにした。科学の知識が増えれば、それまでの疑問が解決していくのが普通だ。しかし、場合によっては、 知識が増えたために、それまで当たり前だと思っていたことが不思議な謎に「昇格」してしまう ことがある。
「時間の向き」の問題はその好例だと思う。日常を生きるぼくたちの感覚では、時間が「過去から 未来に向かって」一方的に流れていくことは当たり前に思える。ところが、力学による運動の法則 には、「時間の向き」という概念は含まれていないのだ。「ニュートンの運動方程式には過去と未来の 区別がない」と言ってもいい。
この講義では、この問題の背景を説明し、さらに「数多くの要素が集まった系では時間の向きが 自然に生まれてくる」という魅力的な考えについて解説する。
今日はプレゼンの準備でつぶそうということで、こちらのネタの仕込みもごそごそと。 最後に、ぼくらの新しい定理の話を無理矢理してしまえば楽しいかもなあ。
こうなってくると、仕上げるべき本や複数の論文、これから書かくべき複数の論文のことを思うと、なんか圧倒されて、そんなんに仕事ができるのだろうかと弱気になってしまったりする。 困るねえ。
明日からは徐々に元気になりたいものだが、なにやら大きな台風が来ているらしくて不穏じゃ。
だいぶ元気になった。
実は、既に den Nijs と Rommeles が同じ秩序を発見していたのだが、その時は、そんなことは知らなかった。 素直にうれしくて、家に帰ると妻にその話を始めた。 彼女にもそれほどわかるわけではないのだが、「みんなが無秩序だと思っていた相に、実は秩序が潜んでいるのがわかったんだ」と興奮して話していた。
と、そばにいた、当時は幼稚園児だった娘が口を開いた。
娘「パパ、すご〜い。てんさ〜い」
俺(え、わかる? ていうか、おまえ、「てんさい」なんて言葉知ってたんだ。)
娘「バイキンマンみた〜い」
数人しか来ないかと思っていたら、とんでもない。南 7-101 がびっしりと埋まって立ち見もでるくらい。
今年も、化学賞、医学生理学賞、物理学賞を、それぞれ 20 分程度ずつ。
ヒッグスの解説は井田さんに頼んだ。 場の量子論による粒子の記述、フォック空間、対称性の自発的破れと super selection sector などなどのアイディアを積み重ねるように淡々と話していく。 式は使わず、音階の比喩や、振動子の例を議論していくのだが、随所に、やたらと凝った自作のアニメーションが登場して驚いた。 これは、かなり時間をかけているぞ。 さらに、NG ボソンは質量ゼロになってしまうが、それを如何にゲージボソンに「食わせて」質量を与えるかというところまで、20 分で話しきった。 水飴とは対極の説明である。
もちろん、みんなにどれほどわかったかは不明。 ヒッグス機構をメインに据えたため、素粒子の探索をやっているという側面はほとんど話してないし。 しかし、同じ「わからない」でも、こうやってプロが真面目に作った解説に触れるほうがずっといいよね。
ちょうど 1 時間で終わって、みんな気をつけて帰ってねと解散。 例年のことながら楽しい会になった。
さて、昨日から
East Asia Joint Seminars on Statistical Physics 2013に出ている。
始まっても今ひとつどういう会議なのだがピンと来ないのだが、ともかく今回は世話人に名を連ねたので、ちゃんと出席してちゃんと聞いて必要なら質問もしよう。 昨夜も他の世話人とともに中国人招待講演者たちと食事に行った。
この手のテーマは個々の話を聞いていると確かに面白いと思う。 実験結果は素晴らしい。 理論的にも面白いものが多く、色々と考えたり「おお」と関心したりするところはあるのだが、さて、いつも言う事だが「面白さも中くらい」という感触は拭えない。 なんと言うか、「個々の現象を統計物理の手持ちの素材で理解すれば(そして、かっこいい論文を書ければ)それでゴール」という雰囲気を感じてしまうからだと思う。 もちろん、ほとんどの研究が「通常科学」なのは当然のことなのだが、 それにしても、「新しい普遍的な何か」に憧れたり模索したりするという姿勢(というか意思)がほとんど感じられないのは悲しいことだ。 「まあ、そういう体質の分野なのだろう」などと「大人の結び方」をせず、若い根性のある人たちが(いや、べつに若くなくてもいいけど)状況を大きく変えてくれることに期待したい。
波風を立てたついでに書いておくと、ぼくは、いわゆる soft matter の研究の理論的側面についてもほとんど同じ感想を持っています。
今回は烏丸御池のホテルに泊まっているから、基研までは歩いて 1 時間くらいだろう。 せっかくの好天なので、これから散歩がてら歩いて会場に向かいます。
朝 8 時にホテルを出ると早朝の街はまだ閑散としている --- のかと思ったけど、もちろんそんなことはなく、修学旅行の生徒やら普通に勤めに行く人なんかがたくさんいた。 おまけに今日は時代祭というのがあるらしくて、御池通に沿ってお祭りの行列を見るための席が並べられていたりして、なんかイベント感も高まっている。
鴨川に沿った道はたいへん気持ちがいい。 気候もちょうどいいかなと思ったけれど、歩いているうちに汗ばんできた。
さて、右の写真は、鴨川と高野川が合流する付近にある 「けいおん!」のオープニングであまりに有名な 飛び石。
なんと 9 月(だっけ?)の大雨のときに大量の石が流されてきたらしく、亀さんやら飛び石の一部がこんな風に小石に埋まってしまって悲しいことになっている。
さらに、この先の中州から対岸に続く飛び石の一部は流されてしまったそうで、今は対岸までは渡れなくなっている。 実は、昨夜、対岸に降りたって川を渡ろうとして、飛び石がよく見えなくてあきらめたのだけれど、ほんと、無理に川に入ったりしないでよかった、よかった。
澪ちゃんやあずにゃんのためにも (もちろん、生活と関わることが最優先だけれど)なるべく早く修復してほしいねえ。
ちょっとリフレッシュする必要を感じたので、昼休みは素早く抜け出して、「ますたに」で「一人ラーメン」を食し、さらに、そのまま東に向かって、なんと「一人銀閣」! もちろん実に混雑はしていたが、それでも主要なところを離れれば静かなもので、人の領域と山の世界の接する妙を(ごく短時間だが)堪能。
別にさぼっているのではなく、ちゃんと午後のプログラム開始前に会場に戻り、講演は全部(もちろん、最前列で)聴いたよ。
かつての両親の家だろうか、家族がたくさん集まっている。 ぼくともう二人はキッチンにいて、残りの家族たちはドアを隔てた居間にいる。 ぼくらは何物かによって時計を使うことを禁じられたばかりのようで、それについて不満を言っている。 と、ふと気になって居間との間のドアを開けてみると、先ほどまで明るくて人がたくさんいた部屋が暗く、人は一人もいない。 ぼくは即座に何がおきたかを理解し「居間とキッチンの時間の流れを変えられてしまった!」とキッチンにいる二人に告げる。という夢を見て、目が覚めた。 深い意味はありません(と思う)。少し経って気づくと、キッチンにももうぼく一人しかいない。家族が集ったはずだったのに、みんな時間の流れの中でバラバラにされてしまって、ぼくは一人だ。もう誰にも会えないのだろうか? また居間との間のドアを開けようとすると、今度は強い風が吹いているように空気の抵抗があって、なかなか開かない。時間の流れがずれているために気圧が違うということか? それでも、居間に入ってみると、またしても様子は一変している。 人は誰もいないのだが、テーブルにはパーティーに備えてカラフルなテーブルクロスが敷かれて飾りも施され、一人の席の前には華やかなチョコレートケーキが用意され誕生日のロウソクも立っている。 こうやって時間の流れがバラバラになって家族にはもうずっと会っていなくて寂しくてたまらないのに、それでも誰かは誕生日パーティーの用意をしているのだ。 そう思うと懐かしさと安堵と不安が入り交じって涙が出そうになる。 誰にも会えないとしてもここにメッセージを残していけば家族の誰かの目に触れるだろうか? そもそも誰の誕生日なのだろう? そうだ、ケーキのロウソクの本数を数えれば、家族の誰かがわかるかもしれない。ええと何本だろう? 目が不思議に霞んでうまく数えられない・・・
East Asia Joint Seminars on Statistical Physics 2013には世話人としてフルに四日間出席してすべて講演を真剣に聴いた。
面白い話もあったが、聴いていても喜びがなく疲れるばかりの講演も少なくなかったというのが正直な感想であります。 もちろん、当たりハズレがあるのは当たり前で、今一つの講演のときは寝たり他のことを考えたりして軽くやり過ごすのが大人のやり方なんだと思う。 しかし、ぼくはやっぱり根が子供なんだろうね。そういうことができない。世話人として講演をしてもらっているんだから、やっぱり全力で真面目に聴いてしまう。 そして当然の成り行きとして激しくフラストレートしてしまうわけだけど、いい歳をした世話人だから、さすがに「こんなものは研究じゃない!」などと本音を叫ぶわけにもいかず、さらに疲れは蓄積していくのだなあ・・・
中国、韓国からの講演者の中に、英語が流ちょうで発表もきわめて上手な人がかなりいたのは意外な喜びだった。そういう点では日本は負けている。 かれらの多くは、欧米の人との共同研究の話をしていたから、大学院生やポスドクとしてかなりの期間を海外で過ごしてから本国に戻ってその続きをやっているという感じなのだろう。 ここから先、本国に落ち着いた後、(研究者個人としても、また、もう少し広い研究者コミュニティーとしても)独自性のある良質の仕事をどこまで続けられるかが大きな分かれ目になるなあと思いながら聴いていた。 その一方で、「私の英語は下手だ」と宣言して中国訛りの英語で講演をした Zhao さんは、中国でずっと研究しながらも世界的に十分に注目される仕事をどんどん発表しているようで、立派だなあと思った。 後は、一般のグラフからループのない部分グラフを抽出するために局所相互作用しかもたないスピン系をデザインするという Zhou さんの話は面白かったなあ。
しかし、なんと言っても、日本の統計物理関連のレベルの高さを強く実感する研究会になった。 しっかりした業績のある研究者によるレベルの高い講演が多かったが、ぼくにとっての目新しさとプレゼンテーションのうまさでは、竹内さんと斉藤さんの講演が飛び抜けていた。 竹内さんは界面成長の話はほとんどせず、helicity の自由度がある場合に、voter model のクラスに分類されるのではないかと予想される(しかし、まだ理解は完全ではない)動的臨界現象を見せてくれた。 いつもながら、明るくエネルギーにあふれているだけでなく、明快で流れるようなプレゼンテーションで、完璧に引き込まれて聴いていた。議論の時は思わず "Beautiful, as always." とベタ褒めしてから質問をしたくらい。 最終日の斉藤さんの話は、熱伝導における近藤効果という(物性研の加藤さんとの共著の)かなりプロ向きの仕事の解説だったが、解析も見事だし結果も十分に非自明で美しく、すっかり感心してしまった。 プレゼンテーションも、電気伝導と熱伝導を対比させて進めながら、だんだんと熱伝導系独自のところに入っていくという、徹底的に練られた構成になっており、文句のつけようがなかった。 これは、最近聴いた最高の理論物理のトークの一つと言っても過言ではない。
あと、個人的に盛り上がってしまったのは、ネズミの脳の神経ネットワークを再構築するという Simona さんの話。
ネズミになにやら難しい学習をさせるんだけど、学習した後の脳の活動パターンを見ていると、学習中のパターンがくり返し出てきて、夢の中でタスクを再現しながら学習内容を脳に焼き付けている様子が見えるらしい。
その実験の解析なんだけど、ちょっと驚くくらいきれいな結果が出ていて、ぼくはあっさりとぶちのめされてしまった。
神経ネットワークを模したモデルの数値実験や数理的な解析でこんな結果が出ました --- みたいな仕事を見ても、ぼくは、ほとんど興奮しないのだけれど、こういう「本物のデータ」から「それらしい構造」が見えてくるような話になると(おそらく、過剰に)反応してしまうところがある。
佐々さんの感想とは全然違うので、面白い。
翌日の金曜はずっと寝ていたいところだが、2 時限目に講義があり、さらに、学科の重要な用事があり、さらに午後からは(必ず、真っ暗になるまで続けるという暗黙の掟のある)四年生のゼミ。
本当に疲労困憊して帰ろうかと思っていたら、高麗さんのところに議論に来ていた K さんの話が面白そうで、ガマンできずに、定理の証明を完全に説明してもらい、それから、証明をどうやれば簡潔にできるかという議論。
疲れたけど、楽しかった・・・・・、けど、疲れた。
で、その翌日の土曜(今日)はずっと寝ていたいところだが、午後からはオープンキャンパス。
学科の説明と、ミニ講義と、見学ツアーの先導という、三つの仕事をこなして、いよいよ疲れたでござる。
そのまますぐに帰りたいところだが、次に大学に来るのは水曜の講義の前なので、講義の準備を今のうちにしておかなくてはいけない。
で、その翌日の日曜(明日)はずっと寝ていたいところだが、まあ、ある程度は寝て、それから
さあて、四日間にわたってずっと研究会にガチで出席して戻ってくると、正直なところ、かなり疲労困憊している。
The Fifth International Symposium on the New Frontiers of Thermal Studies of Materials
での火曜日の講演の準備をするのじゃ。
会議は月曜の朝から出るつもりなので、スライドの最終の修正と練習は明日しかできない。
ずっと予定が詰まっていたので、実は 21 日に、京都に向かう前に一回家で通しの練習をし、それから、京都のホテルについたところで(大きな声で)予行演習をしているわけだが、もうかなり前のことになってしまった。
会議にピントをあわせながら、ちゃんと練習して臨みます。
2013/10/28(月)
横浜での国際会議
The Fifth International Symposium on the New Frontiers of Thermal Studies of Materialsの初日が終了。 会場のすぐ近くの(安い)ホテルでこれを書いている。
ビビリなのでめっちゃ早起きして家を早めに出て、会議の開始時刻よりもずっと前に会場に着いた。 天気もいいし、街の様子や会場からの風景も横浜っぽい。
オープンニングから全てのトークを聴き、ポスターセッションでもいくつかの話を聴いた。
前にも感じたことだが、物性よりの話は、熱測定ということを忘れても相転移・臨界現象の話題として圧倒的な迫力がある。 熱測定で(高温ではない旧来の)超伝導での vrotex meliting をきっちりと見た話などには、ただただ、脱帽するばかり。 こういう風に「熱測定の技術も、物性としての中身も一流」というのが、阿竹先生が作り出したこの分野の伝統なのだろう。 で、日本はそういう流れの中心で、この会議はずっと日本で開かれているということのようだ。 あと、かなり野心的な試みとしては、ポスターで聴いた、生体膜の近傍の水の特異な水の状態を熱測定で浮き上がらせようという研究には舌を巻いた。 こういうことを真摯にやろうという人がいるのはすごい。
懇親会も、なんかぼくは座っているだけだったけど、色々な人と色々な話ができて楽しかった。 同業者の宮崎さんとは、あまり落ち着いて話したことがなかったのだが、今日は飲みながら少しだけ話した(といっても、かれがあわただしく名古屋に帰るべく席を立つまでのわずかな時間だったけど)。
とうぜん、そのままみんな(ぼくをこの会議に誘ってくれた斉藤さんや、ものすごく久しぶりに再開した辰巳さんなど)といっしょに二次会に向かうのが自然な流れだが、明日の一番にトークをする(さらに、朝が異様に早かったので、めっちゃ眠い)ぼくとしては、一次会で切り上げて 8 時過ぎにはホテルに落ち着いて、明日の講演の練習をするのであった。
ふう。 横浜での
The Fifth International Symposium on the New Frontiers of Thermal Studies of Materialsが終わって帰ってきた。 思ったより疲れた。
ぼくの講演は朝一番だったけれど、昨夜も会場の様子を思い浮かべて予行演習をした甲斐があってほぼイメージ通りにできた(日曜日に妻に聴いてもらって練習したときのほうが緊張したかも)。 「これは本来の統計物理の分野で話しても変な話なんだ」というレベルのトークだったけれど、みなさん、かなりしっかりと聴いて反応してくれた。 終わったあとの評判もよかったし、「特別枠」の責任は果たせたかなあと思う。 ここでこういう話をしたことが、何らかの意味で学問的に意味を持ちうるかどうかは長い長い目で見るしかないけれど、まあ、こういう馬鹿のように基礎的な問題を真剣に考えている理論屋がいるということを見せられただけでも意義はあったであろう。
招待していただいた以上、今日もずっと講演を聴いた。 今日のヒットは、アメリカの NIST(計量標準とかをやっているところだと理解しているけど違うかも)の Ken Kroenlein という(いかにもアメリカ人っぽい奴が)話した種々の物質の熱力学的性質の測定データを集大成して(無料公開の)データベースにし、さらに、データ間の整合性やデータの信頼性や誤りのチェックを体系的におこなっていこうという試みの話。 ともかく測定データは指数関数的に増えていくが、信頼性の評価は追いつかないし、このままでは、どこにどういうデータがあり相互の整合性がどうなっているかいよいよわからなくなっていくので、本気でなんとかしようというプロジェクトだ(詳しくは、たぶん、Thermodynamics Research Center を見ればいいんだと思う)。 こういうのを見るとやっぱりアメリカ人は偉いよなあと思ってしまう。 ともかく、いろいろな分野でこういうことを真面目にやるべきだと強く思った。
ポスターで、辰巳さんの最近の仕事の一端も聴けたのはよかった。 昨日の水もそうだけど、ナノスケールでの物性変化に熱測定でアプローチできるというのはすさまじいことだ。
これから日常に戻って、たまりにたまっている宿題を着々と片付けて行く所存ですので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。