東アジア海文明の歴史と環境(学習院大学・復旦大学・慶北大学校)

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第20回東アジア海文明SSM
写真 2008年6月26日 開催

甲斐玄洋(学習院大学大学院博士後期課程)
「能登国若山荘と珠洲焼の生産・流通」
福島恵(学習院大学文学部PD共同研究員)
「鬱陵島調査報告」

        
【甲斐報告要旨】
 能登国若山荘は能登半島先端部に所在した中世荘園で、珠洲焼はそこで生産された中世の須恵器系陶器である。本報告では珠洲焼の生産・流通の展開と若山荘を巡る政治・社会動向の関係について検討した。
 珠洲焼の生産開始は、若山荘が手工業生産の基盤と海上交通における拠点性を備えていたことを前提とし、その後の珠洲焼の生産・流通の拡大と限界は、若山荘の領主層の動向や日本海交通の発達状態、全国的な陶磁器の流通状況に規定されていたことを述べた。

【福島報告要旨】
 鬱陵島は、朝鮮半島から約130km、日本列島から約280kmの日本海に位置する、直径10km程度の火山島である。歴史的には、基本的に歴代の朝鮮半島の王朝に服属したが、11世紀は女真族に侵攻に遭い、13-16世紀にかけては中国・朝鮮半島沿岸を襲った倭寇がこの鬱陵島を拠点に活動した。現在、女真や倭寇の形跡はほとんど見られないが、旧石器から新羅にかけての古墳は島の各地に点在し見学でき、鬱陵島資料館には遺物の一部が保管されていた。また、調査の一日間は、朝鮮半島東海岸地域の虎尾串や文武大王陵を踏査し、特に朝鮮古代における太陽信仰と対倭国の様相を観察することができた。




第19回東アジア海文明SSM
写真 2008年5月14日 開催

河野剛彦(学習院大学大学院博士後期課程)
「愛知県陶磁資料館調査報告・水中考古学実習報告」

柏倉伸哉(学習院大学PD共同研究員)
「東周秦漢時期臨淄地区から見た住民と交流の諸相」

        
【河野報告要旨】
 昨年8月19~21日にかけて静岡県土肥にて行った水中考古学実習、および本年1月13日に行った愛知県陶磁資料館訪問に関する報告を行った。水中考古学実習ではダイビング実習を受講したことで、海中での活動を実体験できた。陶磁資料館では実際に平安から鎌倉期にかけて使われていた窯跡を見学し、陶磁器に関する知見を深められた。

【柏倉報告要旨】
 考古遺体のミトコンドリアDNAを利用した系統分類という最新研究に関する報告を行った。ミトコンドリアDNAを利用して母系遺伝系統を分類することで、従来の研究では見出しきれなかった詳細な人間や文化等の交流を推測する可能性を提示する。




第18回東アジア海文明SSM
写真 2008年3月13日 開催

鄒怡(復旦大学歴史地理研究中心助利研究員)
「徽州茶業センター屯渓地位の確立―茶業の周辺産業から見る―」

小武海櫻子(学習院大学大学院博士後期課程)
「海を介して広がる民間宗教団体―近代香港の事例を中心に」

        
【鄒報告要旨】
 徽州は現在の黄山市に相当し、安徽省の南部に位置する。屯渓は現在の黄山市政府の所在地に当たる。屯渓は明代中期から徐々に当地の茶葉産業における加工・貿易の中心として発展した。地理的な視点でみると、新安江の上流に位置する屯渓は交通条件が必ずしも良好であるとは言えない。
 本報告では明代中期以降にまで遡って徽州茶葉産業の流通ルートが広州1箇所に限定されていたことを指摘し、そのことが屯渓の当地における茶葉産業の中心として発展することを促したとする。アヘン戦争以降、茶葉の流通に変化が起こったが、茶葉の加工を中心としたことで茶葉の周辺産業の集中を促し、屯渓の都市としての地位は確立された。そのため屯渓の茶葉産業における中心的地位はほとんどダメージを受けなかった。むしろ屯渓を中心とした新たな交通ネットワークが構築・展開されたことで屯渓の地歩は強化され、その地位を維持するに至った。

【小武海報告要旨】
 現代の香港道教は、「三教一致」という文化的気風と幅広い社会層の在家信徒によって、1950年以降の半世紀にわたる発展を遂げた。だがその歴史的起源は比較的新しく、二〇世紀初頭の中国で救済と道徳を説いた、様々なスタイルを持つ新興の民間宗教団体にある。
 香港においては、1930年代までに呂祖道堂や先天道、同善社が在家信徒である知識人や商人、未婚女性を主体として定着していき、広東省から香港、マカオ、東南アジアへ広がるネットワークを形成した。1950年代以降、香港の民間宗教団体は一致して道教組織の形をとって活動し、人々のニーズに応えながら社会と共存していく。
 本報告では、近代香港における民間宗教の情況について、先行研究に基づいて簡単に説明を加え、あわせて昨年2007年11月の香港新界において香港道教連合会主催で行われた「羅天大醮」の調査報告を行う。




第17回東アジア海文明SSM
写真 2008年1月23日 開催

水野 卓(専修大学非常勤講師)
「2007年度運河班調査報告」

大多和朋子(学習院大学大学院博士後期課程)
「2007年度交流ネットワーク班夏季共同調査報告」

        
【水野報告要旨】
 本報告は、運河班が2007年8月3日から11日にかけて行った、昨年度の邗溝調査の続きである淮安以北の運河調査の内容を述べたもので、調査の中心となった都市は淮安と徐州である。淮安では、「南船北馬」という言葉が記されている清代の碑や明清代に漕運の主管が置かれた総督漕運公署跡を訪ねることで、「以前」の運河の意義を考え、徐州では、京杭大運河や運河の給水池の一つである微山湖を実際に船に乗って航行し、「現在」の運河と人々との関わりを探った。

【大多和報告要旨】
 07年度夏期の日本海調査は、能登半島を中心に、北陸三県の福良、敦賀等の港湾や渡来人の足跡の残る遺跡等を巡った。この地方は、古代には渤海との遣使と交易の要地として、中世には製塩、製鉄、陶器等の工業生産地として、重要な位置を占めた。また、交流、交易の要衝であり、人の往来の多くあった地であるため、古くから様々な信仰が根付き、航海の安全や土地への畏敬を示す神社や寺院も数多く見られた。都への距離、交通の利便性、異国へ開けた港の揃った「越(こし)」地方の、古代における重要性を新たな視点で認識するとともに、近代において敦賀等の担った役割(古代を拠り所に日本海を再発見させた)をも想起させられた。




第16回東アジア海文明SSM
写真 2007年12月13日 開催

中村威也(大東文化大学人文科学研究所兼任研究員)
「2007年度海港班調査報告」

石川晶(学習院大学大学院博士後期課程)
「清代の薬材流通について―樟樹鎮薬材商人の展開を中心に―」

        
【中村報告要旨】
 2007年度のセクションⅠ海港海運班は、2007年7月30日~8月1日に、河北省秦皇島市の老龍頭・山海関、隣接する遼寧省綏中県の秦漢建築遺跡の見学、調査を行い(矢沢忠之氏と中村)、8月6日~7日に山東省淄博市一帯の戦国斉国の遺跡(二王陵・四王陵などの墳丘、斉国故城)や関連する博物館などの見学、調査を行った(柏倉伸哉氏、矢沢氏と中村)。調査地の中でも斉国故城の排水溝遺跡と臨淄の古車博物館は比較的新しい発掘成果によるものだった。

【石川報告要旨】
 江西省臨江府清江県の北東に位置する樟樹鎮は、清代において全国の薬材流通における最重要拠点であった。樟樹鎮の薬材商人は江西省内はもとより中国各地へと進出し、その販路を拡大させ、湖南省の湘潭や四川省の重慶などの大規模に進出した地域では、それらの都市の商業全体に、また地域行政にも大きな影響力を持った。本報告では彼ら樟樹鎮薬材商人の全国展開の推移とその背景について焦点を当て、また特殊かつ複雑な流通体系を有した清代の薬材流通およびその担い手であった薬材商人の実像に迫る。




第15回東アジア海文明SSM
写真 2007年11月29日 開催

李志淑(慶北大学校講師・学習院大学客員研究員)
「高麗時代官人の刑罰について」

        
【李報告要旨】
高麗時代の刑罰制度に関する研究は数多く存在するが、唐律がそのまま適用されていたと考える研究や、法制史的な方面に偏った研究などが多く、高麗刑罰制度の真の姿を正しく把握できているとは言いがたい。そこで本研究では視点を変え、五刑を中心に高麗官人たちに実際に行われた刑罰事例を分析することとした。具体的には刑罰のパターンと執行方法、対応・赦免・復職・その後の動向などについて検討してみた。このような試みを通じて、高麗官人の刑罰に関する理解だけでなく、官職の運用や官僚生活といった政治・社会像の一面を理解する助けとなれば幸いである。
 



第14回東アジア海文明SSM
写真 2007年10月4日 開催

中西大輔(学習院大学大学院博士後期課程)
「古代東アジアと会稽郡」

野本敬(学習院大学大学院博士後期課程)
「雲南省調査報告」

        
【中西報告要旨】
 漢代江南の会稽郡(現在の江蘇省南部・浙江省・福建省)は春秋時代の呉・越の地である。呉は周王室の血を引く太伯、越は聖王禹の後裔であるとされている。呉・越は東アジア海沿岸に位置し、海上活動が盛んであった。呉・越の文化・習俗である稲作・潜水漁法・養蚕・文身・黒歯・鬼道などは日本・琉球・台湾など東アジア海諸国への波及が見られる。また、中国の文献には倭人は太伯の末裔を称し、しばしば会稽に来て交易を行ったとあり、倭国を会稽郡の東に位置するとした記述も見られる。このように会稽郡は東アジア海諸国の交流を考える上で重要な鍵となる地であると言えよう。三世紀、江南に覇を唱えた孫呉政権の公孫氏・高句麗などとの積極的な東アジア海上の外交政策は倭国にも伸展した可能性が非常に高い。日本で発見された呉の年号赤烏の銘を持つ鏡の存在はそれを窺わせるものである。正史『三国志』は晋の立場で記されており、呉の海外発展については沈黙することが多く、倭国との交流も敢えて記述されなかった疑いがある。今回の発表では東アジア海の海上交流の中国側の拠点である会稽郡と、日本にもたらされた江南の文物に関する情報と先行研究の整理を行い、今後の研究の下地とした。

【野本報告要旨】
 2007年6月20日~7月19日に、楊偉兵副教授(復旦大学歴史地理研究中心)及び武内房司教授と共同で行った雲南省の現地調査について報告した。雲南省南部の紅河哈尼族彝族自治州及び西部の大理白族自治州において、近代交通・陸路移民・鉱山開発・水利・塩生産に関わる旧跡の踏査と資料の収集を行った。今後成果の公表に向け資料整理と研究を進める予定である。また、08年予定の国際会議など、今後の共同研究の進捗についても報告がなされた。




第13回東アジア海文明SSM
写真 2007年6月7日 開催

河野剛彦(学習院大学大学院博士後期課程)
「唐の外国人授官傾向から見る東アジア」

矢沢忠之(学習院大学大学院博士後期課程)
「秦漢時代の山東半島における戦国斉の貨幣文化」

        
【河野報告要旨】
 唐による周辺国を対象とした官爵授与には、唐側の周辺国に対する評価が表れている。
 本報告では国ごとの官爵授与傾向を概観し、突厥・突騎施・吐蕃・契丹・靺鞨といった国々に対しては爵位・武職事官・地方官を中心とした授与が行われ、渤海・高麗・百済・新羅・南詔・日本といった国々に対しては爵位・文職事官・地方官・文散官を中心とした授与が行われるといった官爵授与傾向における地域的差異についての分析結果を述べた。そして、官爵授与の要因として遊牧系か否か、漢字文化の受容の有無を挙げた。

【矢沢報告要旨】
 秦漢帝国の成立にともなう半両銭への統一によって戦国貨幣は淘汰された。しかし、山東半島東部(東莱・東斉)では、後漢末にいたっても、墓中銭を受け入れない習俗の残存が出土事例から窺える。この地域では戦国斉の重量単位も残存しており、これらはともに戦国貨幣に付随する重要な文化であったと考えられる。貨幣そのものは統一により淘汰され消滅したものの、貨幣に付随していた文化だけは後漢末まで残存していたのである。




第12回東アジア海文明SSM
写真 2007年3月14日 開催

楊偉兵(復旦大学歴史地理研究中心副教授)
「清代前中期雲貴地区の政治地理と社会環境」

野本敬(学習院大学大学院博士後期課程)
「雲南の「開発」と環境」

        
【楊報告要旨】
 清代前中期に雲貴地区では、中央王朝が辺境民族地区を直接統治するために府州の昇降、直轄地化といった行政調整が行われた。楊偉兵氏はその政治的過程の進度と分布状況を精密に検証し、政治制度の不均衡な浸透とそこから生まれる社会問題を指摘し、清朝の直轄地化が地域社会を一新したという従来の認識に再考を加えた。そして民族生態の複雑性と直接支配の限界を示す一方、その後の移民開発が雲貴地区に人口増加や経済発展等の変化をもたらし、政治制度上の統一を実現したことを明らかにした。(翻訳:小武海櫻子)

【野本報告要旨】
 海域世界からは、一見雲南など中国内陸地域は関係が疎遠な「辺境」と映るかもしれない。しかし生態環境の悪化に伴い、環境の保全や生態資源持続利用の規範意識が生まれ、石碑などに残されるようになった背景には、現地の直轄地化と外部の移民による「開発」など全中国的構造変動があった。また「近代」への移行過程では雲南は東・東南アジア海域やインド洋を媒介する知的交流のネットワークを通じて幾多の近代的思想の結節点ともなったのであり、「海域」「環境」「文明」といったキーワードから、より豊かな世界像を提示する焦点たりうるのである。




第11回東アジア海文明SSM
写真 2007年2月21日 開催

村松弘一(学習院大学東洋文化研究所助教)
「韓国水利遺跡現地調査報告」

放生育王(学習院大学大学院博士後期課程)
「上海・復旦大学留学記」

        
【村松報告要旨】
 2006年12月21日~26日におこなった韓国古代水利施設に関する現地調査について報告した。碧骨堤(金堤)・菁堤(永川)・宮南池(扶余)・雁鴨池・書出池(慶州)・恭倹池(尚州)を訪問した。また、近年発見された韓国で最も古い水田遺跡である芋田里遺跡(安東)も訪問した。慶北大学校との日韓共同学術調査としておこなわれ、李文基教授を中心とした韓国側スタッフとの連携の上で調査をすすめたことも報告がなされた。

【放生報告要旨】
 本報告は、2006年9月~2007年3月、中国・上海・復旦大学の留学記録を中心とする。これは、今後、上海インターオフィス(交流事務局)にインターフェロー(交流研究員)として派遣される者にとって参考となるだろう。
 まず、留学までの具体的手続について報告した。特に、ビザ・臨時居留許可書の取得など、重要と思われる点を強調した。
 次に、上海インターオフィスの様子を報告した。現地における研究の橋渡的役割を再確認することができただろう。
 この他、復旦大学歴史地理研究中心の概況(主な研究者・開講科目など)や現地研究者との具体的な交流(嘉定孔子廟調査)、現地調査(鄭州・洛陽訪問)など、今後の研究の基礎となり得る内容も報告した。




第10回東アジア海文明SSM
写真 2007年1月24日 開催

福島恵(学習院大学大学院博士後期課程)
「港班06年度調査報告―泉州・アモイ―」

倉嶋真美(学習院大学大学院博士後期課程)
「多久聖廟調査」

        
【福島報告要旨】
 本年度の港班は、「東アジア海文明と環境」という視点から、大陸と海の接点としての海港都市の位置づけを明らかにすることを目的として、かつて海港都市として繁栄した中国泉州を中心に遺跡・文物および景観観察を行った。マルコ=ポーロの『東方見聞録』のザイトゥン市の記載と比較しながら、調査地を紹介し、海港都市泉州の盛衰と環境との関係について考察した。

【倉嶋報告要旨】
 「思想と知識のネットワーク班」は、東アジア海周辺において伝播した、思想と知識の受容と展開のあり方を検討する。この度、佐賀県多久市の多久聖廟で行われた孔子を祀る「釈菜の儀」について報告を行った。多久聖廟の歴史は300年に及び、その間、釈菜の儀式は一度も途絶える事無く行われている。多久は日本に伝わる釈菜の儀式の中で最も長い歴史を持つ。また様式は明代に伝わったものといわれ、現在に至るまで変わる事無く受け継がれている。




第9回東アジア海文明SSM
写真 2006年11月22日 開催

島暁彦(東京大学大学院博士後期課程)
「朝鮮の対外使節「燕行使」の経路と日程
             ――17世紀後半以降を中心として」

崔弘昭(慶北大学校講師・学習院大学客員研究員)
「新羅下代の渡唐留学と崔承祐」

        
【島報告要旨】
 「燕行使」は朝鮮から中国に対して派遣された公式の「外交」使節で、朝鮮から清朝に対して頻繁に派遣され、朝鮮と清朝との「外交」関係を担った。「燕行使」のソウル―北京間の定期的な経路は、従来3通りとする見解と2通りとする見解があった。だが前者は「燕行使」一行の一部のみが使用した瀋陽経由の経路も含まれたもので、「燕行使」一行全体の定期的な経路は1679年以前の経路と1679年以後の経路の2通りであったと考えられる。

【崔報告要旨】
 新羅末の代表的な渡唐留学生の出身で、後三国時代(新羅・後百済・ 後高句麗→高麗)、後百済の政権において文人官僚として仕官した崔承祐については、その歴史的な位相にもかかわらず研究はほとんど見られなかった。報告者は崔承祐とその時代を「渡唐留学の盛行」という観点から概観し、次に彼の渡唐留学と唐での交遊関係について検討した。その上で知識人の現実認識と対応という側面から崔承祐の生涯を分析した。




第8回東アジア海文明SSM
写真 2006年10月25日 開催

長谷川順二(学習院大学大学院博士後期課程)
「黄河故河道調査記」

        
 黄河故河道調査としては3回目にあたる本調査では、河南省滑県から新郷市、延津県を経て武陟県に至る範囲を訪れた。ここは戦国以前から北宋末に至る1000年以上の長い期間、黄河が流れており、南側に洛陽・鄭州、北側に鄴城を抱える歴史的にも重要な地域である。
 今回の調査では、枋頭城・汲県故城・故巻県など前漢から南北朝期の都城遺跡を見学した。他にも、この地域には宋代以前に形成されて今も残る黄河堤防の痕跡がある。延津県では県を挙げてこの痕跡を「黄河故道」と呼び、自然保護区や森林公園などを作っていた(写真)。放置、もしくは開発によって古代の遺跡や痕跡が消え去っていくなかで、このように積極的な共存を図っているのは非常に興味深い。




第7回東アジア海文明SSM
2006年9月27日 開催

濱川栄(共立女子大学非常勤講師) 「カン溝調査報告~中国最古の運河を訪ねて~」

牧飛鳥(学習院大学大学院博士後期課程) 「2006年度日本海調査報告」


 浜川報告では、7月28日~8月4日に実施されました運河班カン溝調査につき、調査の概要(揚州・高郵・淮安)と今後の展望について報告されました。大運河の航行にあたっての苦労や高郵文游台における1931年淮河氾濫の写真展示に関する話題は純粋に興味深く、何より現地に立ってこそ得られる視点からカン溝の設備に関する見通しや東方大平原の位置づけに言及されました。

写真  牧報告では、8月8日~11日に実施されました青森・函館を中心とする日本海調査について、調査日程と遺跡の概要を豊富な写真とともに報告されました。三内丸山遺跡にはじまる調査は翌日以降、東北最古の水田耕作跡・垂柳遺跡をめぐり、中世を代表する港湾遺跡・十三湊を調査。平安時代の防御性集落・高屋敷館遺跡のほか、唐川城・福島城・勝山館など安藤氏関連の遺跡を参観し、志海苔館の古銭は市立函館博物館にて実見。出土地も訪問しました。

第6回東アジア海文明SSM
写真 2006年7月10日 開催

 プログラム
1.挨拶(鶴間和幸)
2.平成18年度の共同研究の概要(村松弘一)
3.セクションⅠ研究計画報告
  ○黄河下流班(市来弘志)
  ○海港海運班(福島恵)
  ○運河班(浜川栄)
  ○災害班(村松弘一)
  ○水利技術班(村松弘一)
4.セクションⅡ研究計画報告
  ○交流ネットワーク班(下田誠)
  ○思想と知識のネットワーク班(大澤顕浩)

 はじめにコーディネーターの鶴間氏より、夏休み以降に実施される各班の共同調査への期待が述べられました。続いて村松氏より、平成18年度の共同研究の概要が報告されました。

【セクションⅠ】
 黄河下流班は9月1日~10日の日程で実施される内黄県三楊荘遺跡を中心とした黄河故河道調査について。港班は12月29日~1月7日に実施される泉州・福州・寧波の調査について。運河班は7月28日~8月4日に実施される「カン溝」調査について。災害班は災害データの分担・進捗と課題について。水利技術班は12月中旬から下旬にかけて実施予定の碧骨堤についてと韓国側のマッチングファンドについて、それぞれ報告がありました。

【セクションⅡ】
 交流ネットワーク班は8月8日~11日に実施される十三湊を中心とした日本海調査について。思想と知識のネットワーク班は11月11日か18日に実施される第2回東アジア海文明セミナー(シンポジウム)「隋唐時期東アジア仏教の宗派意識」と10月20~22日に実施される多久聖廟調査・長崎文物調査について、報告がありました。

 最後に、上野祥史氏(国立歴史民俗博物館)より遺物(モノ)の扱いについて、立場によって異なる年代・系譜に配慮するようコメントをいただき、閉会しました。





第5回東アジア海文明SSM
写真 2006年6月2日 開催

浜川栄氏(共立女子大学非常勤講師)
「崇明島調査記」

牧飛鳥氏(学習院大学大学院博士後期課程)
「今後の研究計画」

        
 浜川報告では、3月23日に実施されました上海・崇明島の調査につき、沿革にはじまり現在の産業に至るまでご報告いただきました。崇明島は中国によれば、第3の島とされており、長江河口の中州であります。歴代、島の大きさには変化があり、報告者は地方志より「沙」の増加と田地の増加をたどりました。豊富な写真から当日の様子をうかがうことができました。
 牧報告は、同氏がこれまでの研究されてきた日本古代における贈位の問題につき、研究史を紹介し、贈位制全体に関わる研究が不足している現状を指摘されました。また贈位制導入にあたり朝鮮半島ルートの検討も必要と今後の課題を提示されました。会場からは追贈との関連や散官と蔭位との関係などについて発言がありました。贈位の実施にあたり、どの時代・地域の何をモデルとしたのか、興味の持たれる所です。




第4回東アジア海文明SSM
写真 2006年4月27日 開催

中村威也氏(学習院大学非常勤講師)
「蔚山調査記」

田中大喜氏(駒場東邦中・高等学校教諭)
「沖縄大型グスク調査記」

鶴間和幸氏(学習院大学文学部教授)
「朝鮮民主主義人民共和国調査報告」
              
 中村報告では3月26日に行われました韓国・蔚山における倭城の調査(西生浦倭城・蔚山倭城)と長生浦クジラ博物館の参観、「三浦倭館(1420年代頃からの日本人居留地)」の一つ塩浦の訪問につき、ご報告いただきました。西生浦倭城の石垣の石につきましては、北方の朝鮮王朝の城より持ち込んだとの説を紹介されました。ただし西生浦倭城の石垣すべてを構成するものではなく、さらなる調査が期待されます。
 田中報告では3月19日に行われました沖縄グスク調査につき、調査対象(中城・勝連城・座喜味城・浦添城)を中山王権の中枢部を構成したグスクと概括した上で、グスク研究の現状、調査対象を再確認し、沖縄大型グスクの特色を戦国期の「日本」城郭との比較より報告されました。沖縄大型グスクは戦国期「日本」の複雑な縄張りをもった城郭と比べ、防御機能に未発達なことから、建築の粋を「見せる」ことに意識を向けたのでは、との指摘がありました。
 最後にコーディネーターの鶴間氏より、4月7日から11日にかけて、平山郁夫氏らと訪問された朝鮮民主主義人民共和国における楽浪漢墓・高句麗壁画について調査報告を行いました。平壌市街一帯には楽浪漢墓が2000~3000規模で存在するといわれ、発掘の場面のほか、出土品(木馬・玉器・漆器など)の展示について、映像をまじえ報告していただきました。漢文化と現地(楽浪)の文化の交錯に興味がもたれるところです。
 また日頃うかがうことのできない平壌市内の様子や人びとのくらしに触れる話題もありました。




第3回東アジア海文明SSM
写真 2006年3月15日 開催

菅野恵美氏(文教大学非常勤講師)
「黄河下流域の空間への視点」

長谷川順二氏(学習院大学大学院博士後期課程)
「前漢期黄河河道復元~内黄県三楊荘遺跡と前漢黄河の関連~」
              
 菅野報告では黄河下流域の空間への視点から、ご自身のこれまでの漢代墓葬装飾(画像石・画像磚)に関する研究を再整理され、あわせて菅野氏の所属する運河班での今後の研究方向について、報告されました。報告では、戦国秦漢期の異文化・政治集団を並存させる黄河下流域という空間に東アジア海文明の祖形を見るとの展望を示されました。
 長谷川報告では2月22日に日本の新聞各紙に掲載されました最新の発掘報告である河南省内黄県三楊荘遺跡と前漢黄河の関連について、報告されました。ご報告では新華社の写真もまじえ、ご自身の見解を述べることになりました。黄河下流班の今年度の調査対象とも考えられ、興味のもたれるところです。




第2回東アジア海文明SSM
写真 2006年2月27日 開催

福島恵氏(学習院大学大学院博士後期課程)
「ソグド人と東アジア海―日本におけるソグド人の形跡―」

大多和朋子氏(学習院大学大学院博士後期課程)
「遊女の様相を通じて見る東アジア海―川・津・舟―」
              
 福島報告ではセクションⅡの方針と関わる「人のネットワーク」と「モノのネットワーク」の2章構成で、日本におけるソグド人の足跡をたどることとなりました。ご報告ではソグド商人と新羅商人・対日唐商人の活動圏が重なることを指摘され、ソグド商人と新羅商人の交易形態の比較に意欲を示されました。今後は多くの紹介された形跡一つ一つへのさらなる追及が期待されます。
 大多和報告では遊女の定義・起源に始まり、遊女の集住地・就業形態に言及され、遊女研究の意義として、家族史・権力論への展望を示されました。ご報告に対して、船での就業形態を取った理由について、質問がなされ、また遊女とともに、海を渡った女性をも追及して欲しいとの希望も出されました。




第1回東アジア海文明SSM
写真 2006年1月19日 開催

村松弘一氏(学習院大学東洋文化研究所助手)
「水と人の東アジア海文明史を考える」

下田誠氏(東京学芸大学非常勤講師)
「中国東北地区海外調査報告」
              
 村松報告では東アジアにおける陂池文化に関連して、敷葉工法・草土法の広がりを中国・朝鮮半島・日本の中で調査・研究していく考えを述べました。次年度については韓国・全羅北道金提市の碧骨堤(ビョッコルチェ)を予定しているとのことです。
 下田氏は、昨年12月下旬に実施された中国東北地区調査(大連・長春・瀋陽・北京)に関連して、大連の港湾史的位置づけや資料調査の概要を報告しました。渤海・黄海に面する遼東・山東ルートの研究は事業においても注意されるところです。






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