今年度の研究課題
今年度採択されたプロジェクトの研究課題とメンバーは、以下の通りです。
<研究の目的および意義>
<研究の目的および意義>
研究課題 | 研究員 | 所属 |
「清末民初の東チベット帰属問題における テゲ・ギャルポ(徳格士司)」 | 武内 房司(受入) | 文学部史学科・中国近代史 |
小林 亮介(客員) | 筑波大学大学院 |
<研究の目的および意義>
1912年の清朝崩壊後、
東チベットは中国・ダライラマ政権がともに統合を図る境界領域として
激しい抗争の舞台となった。
ここで留意すべきは、 両者が主張した東チベット支配の正当性の所在が、 ともに東チベットの首長層との歴史的な統属関係に 求められたことである。
これは,それまで東チベットにおいて 両者の権威・権力が現地の各首長を媒介として 一定程度混在していたことを窺わせるものである。
しかし,従来の研究は この東チベット帰属問題を 中国・チベット関係史や国際政治史、 中国の辺疆政策の立場から議論する傾向にあり、 両者の東チベットにおける支配の実態を 正面から検討することはなかった。
そこで本研究は、 現地に分立する各首長の中で最大規模の勢力を誇った人物、 デゲ・ギェルポ(「デゲ王」の意,中国名「徳格土司」) をとりあげ、 漢文・チベット文・欧文の各史料を利用しつつ、 デゲ・ギェルポが清朝・ダライラマ政権双方と 取り結んできた関係とその展開を検討し、 問題形成の背景を東チベットの地域史の観点から再考する。
ここで留意すべきは、 両者が主張した東チベット支配の正当性の所在が、 ともに東チベットの首長層との歴史的な統属関係に 求められたことである。
これは,それまで東チベットにおいて 両者の権威・権力が現地の各首長を媒介として 一定程度混在していたことを窺わせるものである。
しかし,従来の研究は この東チベット帰属問題を 中国・チベット関係史や国際政治史、 中国の辺疆政策の立場から議論する傾向にあり、 両者の東チベットにおける支配の実態を 正面から検討することはなかった。
そこで本研究は、 現地に分立する各首長の中で最大規模の勢力を誇った人物、 デゲ・ギェルポ(「デゲ王」の意,中国名「徳格土司」) をとりあげ、 漢文・チベット文・欧文の各史料を利用しつつ、 デゲ・ギェルポが清朝・ダライラマ政権双方と 取り結んできた関係とその展開を検討し、 問題形成の背景を東チベットの地域史の観点から再考する。
研究課題 | 研究員 | 所属 |
「朝鮮王朝初期の抑仏政策についての研究 ―韓国・慶尚道地域の事例を中心として―」 | 馬渕 昌也(受入) | 外国語教育センター・中国思想史 |
安田 純也(客員) | 滋賀県立大学 |
<研究の目的および意義>
14世紀末、朝鮮半島
高麗王朝が滅亡し朝鮮王朝が成立した。
それまで政治、経済、社会、文化的に
大きな位置を占めてきたにもかかわらず、
「異端」であるとされ、
特に太宗,世宗代を中心に
憂き目に遭ったとされているものがある。
それは仏教である。
この抑仏については、
官撰史書である『李朝実録』の叙述に基づきつつ、
太宗代から世宗代にかけて
宗派数、寺額数、寺院財産(田地、奴婢)の削減等が次々と断行され、
仏教教団の勢力が大きく衰えていったとするのが通説である。
その一方で,抑仏政策が
そのまま実行されたとは考えにくく、
実際には政策が実施に移されなかったとする指摘もある(李廷柱説)。
本研究では、
新羅・高麗以来の伝統を持つ寺院が数多く残存し、
かつ『慶尚道地理志』等の地誌類にも
比較的恵まれている韓国・慶尚道地域に焦点を合わせ、
『李朝実録』と各種資料(地誌,寺誌等)とを
突き合わせていく手法により、
朝鮮王朝初期の抑仏政策の状況と
その歴史的意義を明らかにしたい。
高麗王朝が滅亡し朝鮮王朝が成立した。
それまで政治、経済、社会、文化的に
大きな位置を占めてきたにもかかわらず、
「異端」であるとされ、
特に太宗,世宗代を中心に
憂き目に遭ったとされているものがある。
それは仏教である。
この抑仏については、
官撰史書である『李朝実録』の叙述に基づきつつ、
太宗代から世宗代にかけて
宗派数、寺額数、寺院財産(田地、奴婢)の削減等が次々と断行され、
仏教教団の勢力が大きく衰えていったとするのが通説である。
その一方で,抑仏政策が
そのまま実行されたとは考えにくく、
実際には政策が実施に移されなかったとする指摘もある(李廷柱説)。
本研究では、
新羅・高麗以来の伝統を持つ寺院が数多く残存し、
かつ『慶尚道地理志』等の地誌類にも
比較的恵まれている韓国・慶尚道地域に焦点を合わせ、
『李朝実録』と各種資料(地誌,寺誌等)とを
突き合わせていく手法により、
朝鮮王朝初期の抑仏政策の状況と
その歴史的意義を明らかにしたい。