茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
また 4 月 1 日がやってきた。 なんか、だんだん一周するのが早くなっている。 みんなが言うことだけど、本当にそうだ。
ううむ。
一通りの結論が出たところで、ノートにまとめて共同研究者の三人に送る。
これまでに、2002, 2003, 2005, 2006, 2007, 2008 と六回書いている。 今回は七回目だけれど、ちょっと番外編。
曾祖母 → 祖父 → 父 → ぼく → 娘と直系の「親 → 子」のつながりで、五世代が同時刻に生存していたことになる(その後、弟のところにも子供が生まれ、ぼくのところにも息子が生まれ、第五世代目は四名になった)。 祖父母はアメリカに永住していたので、五世代すべてが同じ場所にそろうのは珍しかったが、祖父母が来日したときに五世代が高田馬場の曾祖母の家に集まり、集合写真も撮っている。
この「五世代がそろっている」というのはなかなかに珍しいことで、これまで誰に話しても、「ああ、うちのウメ婆さんも・・」とか「うちの隣のゴンザレス爺さんは・・」とか、同じような例が出て来たことはない(テレビとかでは見るけど)。 世界中で誰に話しても、そんな例を聞いたのは初めてだとみんなが言った。
曾祖母がついに他界したあとは、同時生存世代数も祖母/祖父からぼくや弟の子供までの四世代になってしまった。 それでも、「娘や息子の曾祖母(二人)と曾祖父(一人)が元気に生きている」と言うと、多くの人が四世代なんてすごいと言ってくれた。 そういうときは、「いやいや、わが家では四世代というのは大したことなくて・・」と××年前までは五世代がそろっていたことを話していたものだ。
しかし、時は着実に流れていく。 上の世代は一人また一人と他界し、最後まで残っていた父方の祖父も、ついに、今年の一月に帰らぬ人となった。
わが家の世代構成も、ぼくの母/父から以下の三世代になってしまったことになる。
祖父は神経生理学を専門とする科学者で、身内が言うことではないかもしれないが、分野を切り拓き、重要な業績をあげた優秀な研究者だった(ぼく自身、分野は違うが同じ科学者なわけだが、残念ながら今のところ科学者としては祖父には全くかなわないと思っている。あくまで「今のところ」だけど(←ぼくもいい歳になってしまったが、まだまだあきらめない))。
3 月の末にアメリカに行った主要な目的は、あちらの親戚に会い、また、祖父の遺品を整理することだった。 また、ぼくの渡米にあわせて、叔父が関係者を招いて祖父を偲ぶ昼食会を開いてくれた。
祖父は昨年になって引退するまで NIH に現役の研究者として勤務した。 引退した後もほぼ毎日のように研究所に出かけていたという。 実際、主のいなくなった小さな実験室(かつては祖父は Lab chief という要職にあったが、晩年には、小さな実験室を使って --- 祖母が生きている間は彼女と二人で、祖母が亡くなった後は一人で --- 実験を続けた)を訪れてみると、12 月 24 日付の実験ノートには、新しいアンプの設計図と計算が書かれており、その横には撮ったばかりのオシロスコープの波形の写真が置いてあった(祖父は、ワープロや数式エディタなど新しい物も積極的に使っていたが、実験データをコンピューターに取り込んでデータ処理することだけは学ぼうとしなかった。オシロスコープの波形を白黒のポラロイドカメラで撮影し、その写真を解析するのは、彼にとっては決して曲げられない絶対の流儀だったようだ)。 祖父は、その直後の 27 日に散歩の途中で倒れ、一週間ほどで亡くなったのだった。
九十八歳だった。 彼の母が百八歳まで生きていたこと、彼が毎日のように長い距離を歩き健康に暮らしていたことを思うと、予期しない早い死だった。
二人は、祖父の勤務先だった NIH のすぐ側の Bethesda の閑静な住宅街に家を建てて、長い間そこで暮らした。 祖父は毎日、研究所まで歩いて行って仕事をし、祖母もほとんど毎日、研究所に同行し彼の実験を手伝った(祖母が開拓し、彼女にしかできなかった実験技術もある)。 ぼくも、アメリカで暮らしていたあいだ(小学校のときの一年間、結婚し学位を取った後の二年間)には、頻繁に彼らの家を訪れたし、その後も、渡米する際にはできるだけ Bethesda にも立ち寄るようにしていた。 その彼らの家も、祖母の死後に祖父が叔父の家でくらすようになってからは、他人の家になってしまった。
今回の滞在のあいだも、二度ほど、散歩がてら、かつての祖父母の家の前の通りを歩いた(叔父の家は、かつての祖父母の家から歩いて 10 分足らずのところにある)。 アメリカの家の寿命は長い。 叔父が若い頃から暮らし、ぼくも子供時代・ポスドク時代に訪れた家は、昔とまったく同じ姿でそこに建っている。 まわりの家々の様子も、ぼくが初めて訪れた頃とほとんど同じだ。 玄関先の石の階段を何段か上がって扉を開ければ、そこに昔と変わらず祖母がいて、猫の世話しているような気がしてならない。
他人にそこまでやってもらえるのに、孫のぼくが何もしないのは、やはり申し訳ない。 古いリプリントがどこまで役に立つかはわからないが、ともかく、ぼくは自宅に残された文献をきちんと整理することにした。 他人の論文は捨て、本人の論文については(多くの場合、リプリントがたくさんあるので)保存状態のよいものを一つだけ選んで残した。 さらに、論文を年代順に並べて、論文リストに対応させて、すべてにポストイットで番号を振った(アメリカでも、ポストイットは Post It Note と呼ばれていることを知った)。 実に、1934 年に祖父が学生時代に書いた「科学」の記事から始まって、死の直前まで、七十年以上にわたって書かれた論文たちである。 これを、後日 NIH の Peter 氏に届けてもらうことにした(整理するのは、まあ、けっこう大変だった。学者のみなさん、論文は生前に整理しておこう!)。
祖父の遺品で面白いと思った物の一つは、徳川黎明会生物学研究所(目白にあった。ぼくは大学の行き帰りにその近所をいつも通る)が 1946 年 1 月にだした書類だ。
そこには、毛筆で、田崎一二が「無給研究員トシテ入所スル事ヲ許可ス」と書かれている。
祖父は、大学や他の研究機関に籍があって、この目白の研究所にも滞在したというわけではない。 彼の唯一の実質的な所属が、徳川黎明会の生物学研究所であり、その立場は無給研究員だった時期が存在したのだ。
ちなみに、この時期よりも前に、祖父は(日本の大学に職を持って)神経生理学の研究を行い、いくつかの重要な成果をあげている。 たとえば、神経における跳躍伝導(←大学レベルの生物の教科書や進んだ高校の参考書に載っているような現象)の発見は、これよりも以前の仕事である。 そういった業績をもった研究者が、なぜ「無給」という立場で研究を続けざるを得ないことになったのかは、単純な話ではなく、色々な分析を要するテーマだと思う。ここで深入りするのはやめよう。 いずれにせよ、数十年前の日本での、この「科学史」は個人的にはきわめて興味深いと考えているので、今回はじめて目にした「無給研究員トシテ入所スル事ヲ許可ス」という文書は貴重な資料だ。
そのような研究を進める背景として、祖父は若い頃から数学や物理を(基本的には独学で)徹底的に学んでいた。
若かった久保先生を招いて内輪で統計力学の講義をしてもらっていたこともあったと聞く。
祖父の残した多くの本の中にも、生理学や生物学の本以外に、数学や物理、とりわけ何冊かの熱力学や統計力学の本があった。
ぼくの「統計力学」も(真新しい出版された本のほかに)二つのバージョンの草稿が、一冊は自宅に、一冊は研究室に置かれていた。
どちらの草稿にも徹底的に読まれた跡があり、計算の詳細を追った書き込みや、脚注に書き足したメモなどが無数に残っている。
二冊の草稿を日本に送ってもらう荷物に入れた。
「今年は桜の写真はないのか?」とのお便りを、遠くアメリカからいただいたので、あわてて写真を掲載するのである。
今年は、数日前に桜が満開になってから、風の吹かない穏やかな日が続き、満開の桜が散らずにずっと咲き続けている。 明日の入学式も、きれいな桜と晴天に恵まれそうで、めでたいことである(しかし、入学式に桜が散っていて雨が降っていたら、めでたくないのか、というと、そうでもない)。
ま、「桜の写真なんて毎年似たようなものだから、去年撮った写真をそのまま載せちまっても誰もわかりゃしねえさ。けけけ」という気もしないではないが、これは、ほんとうに今日の昼過ぎに撮った写真だ。 その証拠に、背後にクレーンのような物が写っているのが分かるはずだ。 いや、クレーンのような物というよりは、クレーンそのものだけど。 これがあるのは今年だけ。
これは、(学習院大学の南のほうの地理が分かる人にしか通じないですが)南 3 号館のぼくの部屋の窓の外から、南 1 号館の方を向いて撮った写真。
右端に写っているのが、生命分子科学研究所なんかの入っている建物。
クレーンがたっているのは、南 1 号館の南側。
今年の年末の竣工にむけて、理学部の新しい建物を工事しているのであった。
書くべき内容は既にほぼ固まっているので、後はざっと書けばいいだけのはず。いいだけのはずなんだが、どういう訳か、不思議と筆が進まない。 「あんな分厚い本を書いた人なんだから、短い解説なんてあっという間に書けるぜ!」って思うんだけど、そういう問題でもなく、なんか、うまく動かないんだなあ。
そうこうしていると、中川さんからメールが来て、今月になって地味に盛り上がっている「拡張クラウジウスの地道な補正を求めていこうプロジェクト」に進展があった模様。 これができれば、解説にも盛り込むべきだから、やっぱり執筆はストップして、中川さんの結果を検討するのを優先しようっ!!
毎年、4 月 8 日は入学式。
既に 20 回目ということになるのか・・・ (ただし、式典の壇上に座っているのは主任になってから。まだ 3 回目。)
数学科の飯高さんが「学習院は目白駅から近いのが売りだけれど、近すぎてよくない。みなさん高田馬場から歩きましょう」と発言。 それに対して、他の教員から「池袋方面から来る人がわざわざ目白を通り越して高田馬場まで行くのは無駄」「むしろ池袋から歩くのがいい」などとの意見が出て、激論が闘わされ、新入生のみなさんの暖かいほほえみを誘っていた。
中川さんが 7 日に送ってきた「非平衡定常系の非線形な『熱力学関係式』」にはずっと悩まされていた。 計算があまりにこみ入っていて、見通しが立たず、直観が育たないのだ。 計算していても、すぐに眠くなってしまう(歳かな?)。 それでも負けずにがんばった甲斐あって、昨日の夜から夜中にかけて、かなり整理されて、寝る前にいけるかと思ったんだけど、ぎりぎりのところでどうしてもあわずに終了。
しかし、寝床に入ってから符号の間違いに気付き、多分いけるだろうという方向に。 その後、夜中に目が覚めてしまったので、せっかくだから起き出して、詳細を確認してやはり大丈夫と結論をくだす。
朝、講義のため自転車で大学にむかう途中で、中川さんの式と昔つくってあった謎の「厳密な『熱力学関係式』」の関係もわかった。 午後になってまとめを書いていて、ようやく少し効率的な導出が作れた。
寝不足で眠いけれど、堅実で地味な進歩はうれしい。
眠いかと思ったけれど、講義が始まればぜんぜん眠さも疲れも感じなかった。 「物理とは何か」みたいな話で、つい時間を使う。
「大学の授業は長い」とかいうけど、あっという間じゃないか。 微分方程式の解を最後まで求める暇もなかった。学生さんたちもちゃんと集中して聞いてくれている。 「新入生は大学の授業に不慣れで、途中で疲れて集中力をなくしてしまうものだ」とか言ったのは誰だ? そんなことないよ。
学習院大学生命科学シンポジウムに出席。
生命科学科の発足を記念する講演会である。 微力ながらも新学科設立のお手伝いをしてきた者として、やはり、うれしい。
具体的で深い研究についての講演と、大きなテーマについて一般的に論じた講演が、交互に出てくるという構成。 どの講演もお世辞でなく個性的で面白かった。
前から著作をいくつか読んでいた長谷川眞理子さんと、はじめてお目にかかってお話を聞くことができたのも収穫。 すみずみまで考え尽くされ、言葉一つ一つを丁寧に選んだ、情報量が多く貴重な講演だった。
和田昭允先生には学生時代にお世話になった。昔と変わらないお元気な様子だった。
駒場での「現代物理学」の初回。
「対称性の自発的破れ」というテーマがタイムリーすぎたのか、学生さんの数が多い。 一生懸命につめてもらっても、立ち見や入れない学生さんが多数。
実に申し訳ない。 来週からは教室を変えてもらおう(実際、変えることになりました。来週から17号館1731教室でやります)。
講義は「物理とは何か」「科学とは普遍的な(数理的)構造の精妙なネットワークである」といった話を延々と。 本題には入れないのだが、まあ、それはそれで意義があると信じる。
学習院でも、一年生の数学の講義、三年生の統計力学の講義の初回には、やはり「物理とは何か」的な話をした。 もちろん、例年そういう話をしてはいるのだが、今年は特に小田さんのところで哺乳類(実は、人間!)の頭骨に触れた感動の余波で、われわれの祖先が脳を発達させたことの意味について熱く語っていたのだ。 そういうバックグラウンドがあるところに、土曜日に、長谷川眞理子さんの人類についての講演を聴いたのは、あまりにタイムリーであった。 今日の駒場でのトークでは、これまで自分で話していたことに、土曜に長谷川さんから仕入れたばかりのネタが付け加わって、いよいよ熱いトークになってしまった。 さらには、ふと気付くと「文化という外部記憶装置」とか、完璧に長谷川講演のパクリを口にしていた私であった。 長谷川さん、どうかご了承ください(←長谷川さんのご主人は駒場の先生だから、許してくださるであろう)。
ところで、講義の途中で、「この講義では、例年、少数だが異常なまでにレベルの高いレポートが提出される」ということを説明していて、つい、
「レベル たかし(←人名風に読んでね)」ですね。と言ってしまった。
何人か笑っている人がいたけれど、単に「誰だよw」的に笑っていたのだろうか、それとも、ちゃんと元ネタを理解して笑っていたであろうか? 「レベル たかし」は、DVD に収録されている Perfume の ライブの MC におけるあ〜ちゃんの名言をふまえておるのであります。 あ〜ちゃん近辺の方でこれを読んでいらっしゃる方は、是非、「東大の講義でも『レベルたかし』を使った人がいるよ」って彼女に教えてあげてください。
Perfume の武道館ライブの DVD がアマゾンから届く。 近所の店で予約しておけば、もう一日早く手に入るところだった。やはり、急ぐときはアマゾンは避けよう。
猛烈に忙しいはずなのだが、それでも、見始めると一気に半分近くまで見続けてしまう。 すばらしい。 いつも思うことだが、Perfume のスタッフは、ファンが求めているものを完璧に理解している。 おまけに、plastic smile、Puppy love(2008/6/30)、edge(2008/7/12)という、この web 日記で言及した曲たちが、今回新たにダンスがついて、収録されいるのではないか。 しゅばらちい。 スタッフのどなかたが、これを読まれているのであろうかっ? しかし edge かっこよすぎじゃ。
まだ DVD 全部みていなんだけど、しかし、それにしても、Puppy love よすぎだ。どうしよう。
前のバージョンからさらに 50 ページほど増えて、560 ページ。 しかし、まだまだ終わらんのだなあ。これが。
積分なども書き上げて、満足のいくものになったときは、何ページになるんじゃろ?
ペロン・フロベニウスの定理については、数学で「由緒正しい」設定と物理の人が(量子力学や(連続時間の)確率過程で)使いたい設定が微妙にずれていて居心地が悪かったので、そこをすっきりと交通整理したつもり。 証明もかなり読みやすいのではなかろうか? ご意見、コメントを待ちます。
せっかくペロン・フロベニウスの定理をやったんだから、確率行列にも一言触れようと思って、(新学期に学生さんに配ったバージョンに)少しだけ書いたんだけれど、そうなると、やっぱり深入りしたくなってくる。 実は、有限状態マルコフ連鎖の収束定理の証明を自力で完全に理解していないのが、前々から気になっていて、それが本気の研究でもなんとなく引っかかりの原因になったりもしたので、この機会にそこらへんも全部クリアーにしたかったのだ。
ペロン・フロベニウスの定理の強い形を示したので、(「強い連結性」をもつ)確率行列の固有値は一つだけ 1 でそれ以外は全て絶対値が 1 未満と分かっている。 だから、次元の数だけ固有ベクトルが取れれば、収束定理は一瞬で出る。 ただ、固有ベクトルの存在は保証されないので、これでは証明にならない。 もちろん、ジョルダン標準形とかを使ってよければ、収束定理は言えるけど、そんな大道具を出すのはねえ。 ということで、通勤途中にぶらぶらと歩きつつ考えていると、確率行列の性質を上手に使えば、ごく初等的に収束定理が完全に証明できることがわかった。 これはうれしい(Feller とか読んでも、無限状態系を意識した難しい論法になっている。物理屋としては、有限状態系に特化した最短の証明がほしいわけだ)。
というわけで、たとえば、卒業研究なんかで、有限状態マルコフ連鎖を学んで、収束定理や詳細つり合いの条件について知りたいという場合、これは、なかなか役に立つ解説だと思います。 読んでみて(読ませてみて)コメントをいただければ幸い。
I was never any good in sports. I was always terrified if a tennis ball would come over the fence and land near me, because I never could get it over the fence --- it usually went about a radian off of where it was supposed to go.というのを訳せと言ってます。 すぐに出典が分かる人も結構いらっしゃるでしょうね。
さて、どんな数学との関わりで、この英文が出てきのか? 英文をよく読めば分かるはず。
駒場の「現代物理学」二回目。
まずは先週と同じ教室に行き、そこに来ていた学生さんたちを引率して、新しい教室へ。 ちゃんと掲示などで事前に知っていて、最初から新しい部屋にいた学生さんも多かった。
定員 315 名の教室に移っても、さらりと一杯という感じ。一番うしろの席まで学生さんがいる。かなり遠い。 おまけに黒板が後付で使いにくいし、教壇は固定されていない(足で押すと動く!)。
どうもペースがつかめないまま講義をしたが、かなりクオリティーの低いものになってしまった。 他人が話すのを聞くとき、いっけん流ちょうで巧みに話していて笑いをとったりしていても、エピソード間の論理的整合性が弱いと、それは話者に余裕がなく論理的準備ができていない証拠だと思って、厳しく批判的にみている。 今日みたいな講義は、同じ批判的な目で見ないといけない。
反省。
最後のほうから、ようやく具体的な確率過程の設定に入ったのだが、こちらも説明不足の点が多かった。 終わった後で、いくつかもっともな指摘があり、次回から定義を少し変えて、かっちりやろうと決意。 人数が少なめなら、そういう指摘も講義のあいだにしてもらって、その場で改良できる(プロが路線変更する様子をリアルタイムで見てもらうのは、とても教育的)のだが、ここまで人数が多くなると、そういう相互作用はむずかしい。
ともかく、次回からは、色々な意味で立て直して、がんがんやりますので、よろしくお願いします(ちなみに、次回は 7 日(木)、10 時 40 分から、17号館1731教室にて)。
月曜日の夕方、駒場から戻って、ごそごそとやっていると、九大数理の石井さんからメールが届いた。
石井さんは、線形代数のちょっとお洒落な応用問題ということで、Google の PageRank(リンク構造をもとに、web ページの「得点」を決めるアルゴリズム)について(二年生向けの選択の教養科目として)「Google と線形代数」という題の講義をされているという。 身近で(おそろしく)非自明な技術を出発点に、線形代数を見なおしながら、いくつかの重要な理論を学び、かつ、数学と実社会の関わりについても考えることができるという、なかなか面白そうなテーマだ(ぼくも、そういう講義をやりたくなった(←すぐ影響される奴))。 そして、このテーマに関しては、ぼくが「数学:物理を学び楽しむために」に最近になって書き加えたペロン・フロベニウスの定理や確率行列の話が、まさにどんぴしゃりの数学的バックグラウンドになっているのだと教えてくださった。
月曜の夜は、平野研との合同での新入生歓迎のビアパーティー(なかなか、盛り上がったねえ)だったので、それが終わって、家に帰ってから、教えていただいたAMS の解説のページを眺めてみた。 ページランクについては、「価値の高いページからリンクされているページは価値が高い」という一種の self-consistency(自己整合性、あるいは、自己無道着性)で決まっている --- くらいのことは耳学問的に知っていたのだが、数学の解説を読んでみると、まさに、ペロン・フロベニウスの定理や、有限状態マルコフ連鎖の収束定理が、きわめて「自然に」(しかも、「やらせ」じゃなく、応用にとっても根本的に重要な形で)適用できる美しい事例であることを理解した。
火曜日の教授会の前あたりに、石井さんとメールのやりとりをして、収束の速さの評価などについて議論しているうちに、「数学:物理を学び楽しむために」に書いてある(実に)初等的な収束証明をグーグル行列にあてはめると、(ほぼ、ほしかった)きれいな結果が出ることもわかった。
こうなったら、講義ノートに新たなパートを追加するしかないよね。
その午後は教授会だから、 その間に、解説や問題に使う例題をいくつか作って計算を進め、 しばしがまん。
教授会のあとは、理学部恒例の歓送迎会(なんか、宴会ばかりである)。
例によって、ぼくは司会をする。
生命科学科の新設にともなって、新しい人がたくさんやってくる。そういうのは無条件にたのしいね。
で、今日の水曜日は 1 時限目から講義。 さすがにページランクの話をするチャンスはなかった(確率の最後のほうなので、天気予報の確率の意味とか、いろいろしゃべってしまった。こういう風にやっていると、楽しいけど進まないのだなあ)。
講義が終わって、ようやく時間ができたので、せっかくピントがあっているうちにやってしまおうと、(事務仕事からの逃避も兼ねて)「数学:物理を学び楽しむために」に追加するページランクの解説を書き始める。 確率行列の節の最後に付け加えるつもりでやりはじめたのだけれど、結局、長くなったので独立な節にしてしまった。 夕食前には練習問題もついた 8 ページほどの解説が完成。石井さんに見てもらってご意見をもらうことにした。
あ。やっぱり、おれ仕事速いかもな。
ページランクの解説にいれるために、いくつかの理想的なネットワークのモデルを作って計算してみたのだけれど、そのうちの一つに、仮に AKN モデルと名づけたものがある(Asymmetric Kneading Network の略。ちなみに kneading theory というのは、上にでてきた石井さんの研究対象の一つです(←ここはほんとだよ))。 残念ながら、思っていたほどドラスティックな結果がでなかったので、解説には取り入れなかったのだけれど、 以下のようなネットワークの構造を考えて、ページランクを計算して、パラメターαへの依存性を調べようという問題だったのだ(web における「有名ページ」と「無名ページ」のページランク格差を議論するのが目的。実際、ちゃんと計算しました)。
三つの有名なページがあり、これらは互いにリンクし合っており、さらに、一つの「名簿のページ」にもリンクをはっている。 膨大な数の「ファンのページ」があり、これらは上記の三つのページのみにリンクをはっている。 「名簿のページ」からは、全ての「ファンのページ」へのリンクがはってある。で、三つの有名なページは、それぞれ、A, K, N なんだよね(←この部分は分かる人にしか分からないオチになっています)。
ふう。 けっこう働いています。
大事な仕事もひとつ、慎重に、丁寧に、やった。
講義ノートから、関連部分だけを取りだしたものが下からダウンロードできます。ご興味のあるかたにご覧いただければ幸いです。
ページランクに関わる部分は、最後の 8 ページ。 しかし、それだけではあまりに意味が通じないだろうということで、ペロン・フロベニウスの定理のところから入っています。 もちろん、18 ページ目から読み始めていただいても、それなりのことは分かるしかけにはなっています。昨日も書きましたが、数学的な内容については、それなりに自信がありますが、ネットワークについての記述には「耳学問」に頼ったところもあるかも知れません。 何か問題があると思われたら、ぜひご指摘ください。
少し経ったところで問題がないと判断したら、本体の「数学:物理を学び楽しむために」にページランクを加えたバージョンをアップロードする予定です。