日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2012/4/1(日)

思っていた以上に、順調に定理が証明できたので日記をちょっと書こう。

今日の進展で、Markov jump process での SST(非平衡定常熱力学)では、ぼくらが見出してきた主要な関係は、ほぼ全て数学の定理になった。やっぱりうれしいな。 今度の会議(げ、もうすぐじゃないか)では、SST の講演としては初めて、Theorem と言って結果を紹介できる。

夕食の買い出しを兼ねた長い散歩の途中で、SST について一通り考えた後、佐々さんの「pure glass」のモデルについてあれこれ。「あ、整合する配置はこうやって作ればいいんだ」と気づいて、帰ってから佐々さんの草稿を見ると、そのやり方が書いてあった(前に読もうとして、ごちゃごちゃしているので、そこは読み飛ばしていた)。でも、色々と考えるきっかけができて愉しい。


さて、日記を書こうと思ったのは、今日 4 月1日は、十数年前に百八歳で世を去ったぼくの曾祖母の誕生日だから。 ぼくの娘とちょうど百歳ちがいだったので、最晩年には八歳を筆頭に四人の玄孫(やしゃご)がいた(五世代が同時に生きていた)。

この日には、毎年、彼女にまつわるエピソードを書いてきた。 これまでに、2002, 2003, 2005, 2006, 2007, 2008 と六回書いていて、2009 は祖父が亡くなったので番外編、だんだんネタがなくなってるなかで 2010 もちょっと書いた。 さすがに、去年は書くことも思いつかず、震災との関連でごく簡単に曾祖母のことに触れる程度だった。

さて、今年は何を書こう?


震災と原子力発電所事故勃発のあと、東北にいる親戚の状況を知りたくて、親戚の一人と久しぶりに連絡を取った。 一頻り本題についてメールのやりとりをした後、曾祖母の話題になった。 彼女は、ぼくよりもずっと長い時間を曾祖母と過ごし、曾祖母のことをずっとよく知っているのだ。

彼女によれば、ぼくの日記に登場する曾祖母は知的で素敵な女性なのだが、彼女自身が知っている曾祖母には、もっとずっと普通の人間的な側面もあったという。 そして、ぼくが漠然と聞いていたエピソード、聞いたこともなかったエピソードなどなどを、一気に教えてくれた。 ひえ〜、しゅごい。

さて、これで、この日記で紹介する曾祖母のエピソードにも事欠かなくなった ----- かというと、そうでもない。 教えてもらったエピソードは、さすがに日記には書きづらいものばかりである(←いや、別に、犯罪とかではないよ)。 まあ、何事についてもスケールの大きい人だったのだなあと思う。

メールのやりとりをしていて感じたのだが、親戚の彼女は、ものすごい勢いで文章を書く。 web ページもあって、そちらにもいっぱい文章が書いてある。 もちろん、ぼくも文章はいっぱい素早く書くほうなわけで、ひょっとして、これは曾祖母の遺伝なのかなあという話になった。

それはほぼ確実というのが彼女の意見。 曾祖母は物を書くのが好きで、何かというと、筆で文章をさらさらと書いていたという(実は、曾祖母はワープロを買ってもらって使っていたこともある。実用にはならなかったが、意地で使い方を覚えて、短い文章を書いて得意そうにぼくに見せてくれたことがあった)。 娘時代からの自分の人生を達筆な毛筆で著した「自分史」も見たことがある。あれは、けっきょく完成はしなかったのだろうか?


もう一つ。

「放射線の見えるカメラ」として、新聞でも話題になっているこれ。

「超広角コンプトンカメラ」による放射性物質の可視化に向けた実証試験について(JAXA プレスリリース)
開発チームのリーダーの高橋忠幸というのは、実は、ぼくの学部時代の同級生。というか、親友なのだ。 ここに写真があるけど、けっこう昔と変わらないなあ。高橋、これ、いつの写真だ?

ASTRO-H の親分をやっているという話は人づてに聞いていたけれど、人工衛星に載せるカメラのための技術を利用して、実用的な装置を作ろうとしているんだ。偉いなあ。 あの頃と同じ調子で「あ、これを使えば、放射線が写せるんじゃない?」とか言いながら、一生懸命にやっている姿が目に浮かぶ。


2012/4/8(日)

[sakura] 大学の入学式。

「主任でない」ことの最大のメリットは、入学式の式典に出なくていいことだなあ。いや、入学を祝福する気持ちなら誰にも負けないですよ。式典を愛する気持ちではみんなに負けているということ。

入学式のあとの理学部の教員紹介で新入生に挨拶。 とは言っても、実は、一昨日の履修説明会に勝手に乱入して数学の教科書を配布してマイクを持って話してきたので、既にフライング的に知られているのである。

ホームルームに分かれて、軽く話をして、自己紹介をしてもらう。

では解散ということになったところで、「せっかくだから、ここでアドレス交換しておこう」と誰かが言い始めて、ぼくの部屋で 7 人がアドレス交換会。 能率的にやる方法があるのかなと思っていたら、一対一で送りあっているから、けっきょく 7 × 6 = 42 回の転送をくり返しているだけのようだ。いまいちローテクである。


例年、4 月のこの時期は、ぼくのオフィスの窓のすぐ外は素晴らしい満開の桜だった。

右の写真の左端、満開の桜に隠されているあたりが、ぼくの以前のオフィスだったのだ。 これを見れば、確かに桜がきれいだったのもうなずける。

一年半ほど前に移った新しいオフィスも、やはり窓のすぐ外には木が茂っているが、でも、残念ながら桜ではないんだなあ。 ちょっと残念。

考えてみれば、去年の 4 月が、桜のないオフィスで迎えた最初の桜の季節だったわけだ。でも、そんなことはまったく意識していなかったなあ。 桜のことを考える余裕もなかったということか。


明日から、ベルギーへ行って、
JEAN BRICMONT 60th ANNIVERSARY'S CONFERENCE
に出席。懐かしい顔ぶれが集まる程度に思っていたけど、プログラムをよく見ると、これは豪華メンバーだな。 講演者以外にも、Christian Maes と Pierre Gaspard も座長で参加するし、Anti Kuipiainen と Rphael Lefevere が主催者だ。

この海外出張のため、新学期早々、月曜の駒場の「現代物理学」と水曜日の学習院の「量子力学 2」は休講。申し訳ありません。

金曜の早朝に帰国するので、2 時限目の一年生の講義をするつもり。 入学早々休講じゃ申し訳ないしね。

ただし、いったん家に帰って落ち着くと寝てしまってもはや大学には来られないと思うので、空港から直接大学に来てしまって、そのまま講義をしようという無茶なプラン。 大学のソファで倒れて寝過ごさないように気をつけなくてはね。

では、ともかく行ってきます。


2012/4/14(土)

問題:晴明君は、予定通り朝の 7 時 20 分に朝食を終えて頼んであったタクシーに乗ってホテルを出発し、朝の 7 時 35 分には勤め先の大学の正門前に立って桜の花を見上げていました。ホテルから大学までどれだけの時間がかかったでしょう?

ほんと、15 分で着けばうれしいかぎり。 でも、ブリュッセルのホテルを出たのは木曜の朝で、目白の大学に着いたのは金曜の朝。 時差が 7 時間だから 17 時間 15 分。まあ、通うにはちょっと遠い。

大学に着いてから二時限目の講義が始まるまでの時間は、ものすごく長く感じた。 寝てしまうわけにもいかないし、かといって、残りの体力がどれくらいあるのか自分でもわからないので、事務室に行ったりと本格的な仕事をして体力を消耗するのも危険。 なんとなく、だらだらと居室で時間を過ごした。

講義は、自分でも驚いたほど元気にやれた。 ちょっと普段以上にテンションが高めで、話がすぐに逸れていった気がするけれど、ともかくちゃんと話せたのでよしとしよう。 普段からぼくは板書で漢字を書くのが苦手なのだが、昨日は普段以上に漢字が書けなくなっていてちょっと自分でも焦った。やっぱり、脳のある種の部分は疲れ切って寝ていたということか?

その後、時差ボケはほとんどないようだけれど、かなりばてているのは事実。 今日は、(出たほうがいい会合があったのだが失礼して)家でゆっくりと過ごしている。


[floe from the airplane] 旅程はこれ以上ないほどに順調だった。

出発から到着までプラン通り。ホテルのフロントもみなさん英語が普通に話せるので、実に気が楽であった。 帰りの飛行機は機体が変更になったと言ってお詫びをしていたが、なんのことはない、やりくりがつかなくて大きな飛行機に変更したらしく、機内はガラガラに空いていて、きわめて快適だった。


ぼくは、基本的に高いところから見下ろす風景が大好きで、いつでもチャンスがあれば建物の最上階や屋上に行って景色を見ている。 小学生のとき、アメリカに向かう飛行機の窓から、雲が大地のように連なっている光景を見たときの何とも言えない感覚は(記憶力の悪いぼくでも)忘れられない。 最近は、腰痛対策もあって必ず通路側の席に座っているので(がらがらで、好き勝手に席を移動できるのでないかぎり)自分の席から景色は見えないのだが、それでも、トイレや運動のために席を立つたびに窓のブラインドを勝手に開けて外を眺めている。

右は、行きの飛行機で北の海の上を飛んでいるときにとった写真。

流氷というべきなのか、蒼い海原に浮かんだ氷が様々なパターンを作っているのが眩しい日をあびて美しい。 若いフライトアテンダントのお姉さんが「私も、こんなの初めて見ました!」とうれしそうに言っていた のが萌え ことを感想抜きで客観的に記録しておこう。


[street of Brussels] 月曜日の夜遅くにブリュッセルに到着し、出発は木曜日の朝。 火曜日、水曜日の丸二日間の滞在のために、ほぼ四日を使ったことになるから、能率はきわめて悪い。

しかし、二日の間はびっくりするくらい能率的に色々なことができた。 初日の朝ご飯のときに同じホテルにいた Bruno Nachtergaele と実に何年かぶりで会ってつもる話を始めたところから、Rapahel の家に招いてもらった二日目の夕食まで、ほとんどずっと、誰かと何かをしていた。 わずかな空き時間には、ぼくとしては珍しく、プチ観光も敢行(左の写真は会場の近くの通り。右下の写真は会場の近くのでっかい建物、ていうか、実は王宮。会場は王立アカデミーだったから、王宮が近いのも納得)

実に充実していたし、それ以上に、とても楽しい滞在になった。 主催者のみなさんに心から感謝。


出席していたのは、数理物理学者 Jean Bricmont の還暦を祝うための
JEAN BRICMONT 60th ANNIVERSARY'S CONFERENCE
という会議。 タイトルからして露骨に「身内の会」なわけだが、(自分も入っていて、こういうのはちょっとアレだけど)実に豪華な身内だ。しかも、多くの人がわざわざヨーロッパの外から集まってきている。 Spohn の話以外は初めて聞く話ばかりで学問的にも面白かった。Bruno が最近やっていることもよくわかった。Bohmian quantum mechanics の解説が聞けたのもラッキー。

ぼくにとっては懐かしい顔ぶれが多かったが、なかでも Alan Sokal に会うのは --- 多分、ぼくがアメリカを去って以来だから --- 二十数年ぶりということになる。 例の「『知』の欺瞞」の翻訳で膨大なメールをやりとりしたわけだが・・  もちろん、初めて会う顔もあるし、Christian Maes の学生もいっぱい来ていて、楽しく話した。

[Palace in Brussles] 初日の夜に二人で話していたとき Alan が「昔は平衡系をやっていたみんなが今では非平衡系をやるようになってしまったね」と言ってて、「いや、確かに平衡系で残された問題はものすごく難しいけど、でも、みんな非平衡ってことないでしょ」と応じていたのだけれど、でも、確かに非平衡が多い。 Gawedzki, Kupiainen, そして Tasaki が三人とも非平衡の話をしている --- っていうのは、やっぱり驚くね。

その Alan は、二日目の午後の特別セッションで、"What is science and why should we care ?" という「一般向け」の話をした。

「物理の会議で原稿を読み上げる奴がいたらみんな卵を投げつけるだろうけど、人文系ではみんな本当に原稿を読むんだ。で、驚くべきことに、ぼくも同じことをするようになった。今日もそうするので、たまたま卵を持ってきた人はどうか使わないでください」というわけで、プロジェクターは使わず、演台に原稿を置いて(もちろん、アドリブも混ぜつつ)読み上げるという「人文系スタイル」。 当然予想されるように、随所で笑いをとりながら、実に饒舌に話す。 科学、より広く、証拠に基づく合理的な思考を阻むものとして(より重要でない物から順番に)極端な社会構築主義的科学観、疑似科学、宗教、そして権力者による欺瞞・策謀を論じる。 ぼくが訳した「『知』の欺瞞」と関わる部分はごく一部なのだが、それでも全般的にピントのあっている話題が多いのは、まあ、偶然ではないですね。

終わった後は、質疑応答ということで、まずは(今回の会の主役であり、かつ、Alan といっしょに「『知』の欺瞞」を書いた協力者でもある)Jean Bricmont がコメントや反論。 Alan の議論はきわめて論理的なのだが、Jean はより慎重で、微妙な論点や Alan が見落としている可能性のある現実などを指摘する。なるほど、二人はこういうコンビなのだなあと納得。 その後の、参加者からの質問と応答はまあまあかな。面白いこともあったが、基本的にはどこかで聞いたことのある定番の論点がほとんど。毎度のことだけど、プラセボ効果が何なのかを知らずにホメオパシーの話をされるのは困るなあ。 かなり時間が経って、さして深くない話題で時間がつぶれている感じだったので、ぼくも手を挙げて、最初に Jean が指摘して Alan が一定の答えを与えた論点を取り上げ、

Going back to this question of "going into a different field of science, and making a rational judgment based on a careful sociology", I think, it's easy to say but can be really difficult in reality, because it can happen that a whole field or a whole single discipline is totally dead. For example, it happened in my country almost one year ago that...
という風に話し始めた(話したことをそのまま書いてみると、ダラダラしているなあ)。 まあ、日本の、この日記の読者のみなさんには、お馴染みの(絶望的なまでに)頭の痛い問題である。 Jean もコメントし、それなりにしっかりした議論になったと思う。もちろん、出口が見えるわけではなく、(特に、原発事故以降の日本に暮らす者にとって)頭が痛いという現実は微塵も変わらないのだが。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp