日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2013/4/1(月)

考えてみると、高田馬場の曾祖母の家は、ぼくが親しく知っているたった一つの「古い日本の家」のようだ。 道から石段を上がったところにある玄関、小さな池のある狭い庭、その庭に面した廊下、廊下の先にある便所とその先の開けたことのないドア、狭くて急な階段を上がった二階にある客間、そして、客間の箪笥の上などに置かれた古い日本人形。子供の頃は、この人形を見るのが怖かった。 建て増して付け足したような小部屋もあり、そういうところに親戚や知人の誰それが下宿していたりしてこともあった。 子供の頃から何度も訪れた家だから、記憶力の悪いぼくでも、間取りや、家の中の空気をよく覚えている。

ぼくも、一度だけ、この家に一人で泊まっていた記憶がある。受験のときだったのか? それとも大学に入ったばかりでアパートが決まっていなかったときか? 子供の頃から知っているとはいえ慣れない家でなかなか寝付けず、高田馬場らしく夜遅くまで続く様々な物音に耳を傾けていたのを覚えている。


唐突にこんな話を書いているのは、今日 4 月1日がぼくの曾祖母の誕生日だからだ。

ぼくが物心ついた頃には、曾祖母は八十歳くらいの老人だった。 それで、ぼくの頭の中には「八十くらいにならなくては、本格的な年寄りではない」という常識が作られてしまったようだ。 祖母は長命で、十数年前に百八歳で世を去ったが、そのときには、八歳だったぼくの娘を筆頭に四人の玄孫(やしゃご)がいた。 この時点まで、田崎家では、曾祖母、祖父、父、ぼくら、子供らの五世代が同時に生きていたわけで、これは、けっこう色々なところで話題にしたものだ。

というわけで、4 月 1 日の「日々の雑感的なもの」には曾祖母の想い出なんかを書くのを恒例にしてきた。 これまでに、2002, 2003, 2005, 2006, 2007, 2008 と書いて、2009 は祖父が亡くなったので番外編、だんだんネタがなくなるなかで 2010 もちょっと書いた。 震災直後の 2011 は曾祖母には軽く言及する程度だったが、昨年はネタがないなあと思いつつも少し書いた。

まあ、今年もいよいよネタはないのだが、最近になって知った話などを中心に少し書いてみよう。


曾祖母が嫁いだ田崎の家は、東北のある小さな村の地主で、村長も頻繁につとめる家だった。 しかし、彼女は、自分の子供たちにはこれから先、東京で教育を受けさせなければならないと決意する2008 に書いたように、その主目的は、息子たちを医者にすることだった)。 曾祖母は後妻だったため(←このあたりは、色々なエピソードがあるようだが、よく知らないし、知っても書けないようなことばかりらしい)、彼女にとっての長男(ぼくの祖父の田崎一二)は戸籍上の六男だったという事実もこの決断に大きく影響しているのだろう。

といっても、その時代に、奥さんが「東京に行きましょう」と言い出して大移動ができるわけはない。 彼女は、時間をかけて、夫(つまり、ぼくの曾祖父だけど、もちろん会ったことはない。曾祖母よりもかなり年長だったそうだし)が「東京に移ることを自分から思いつき決心する」ように巧みに工夫したという。 無茶な話だと思うかも知れないが、曾祖母はすさまじく頭がよい策士だったので、常人なら、そういう風にマインドコントロールされてしまってもまったく不思議はないのだ(付記:ちなみに、曾祖父は村長はもちろん県議会議員もつとめた名士だったそうだ。この日記に家族からコメントをもらって初めて知った)。

かくて、曾祖母が何年にもわたって暖めた計画は実現し、田崎家は、東京の高田馬場に移り住んだのである。


地主が地元を去って東京に行ってしまうことで、もはや地元の人たちとは縁が切れたのかとぼくは思っていたのだが、実は、そうではなかったことを最近になって知った。

たとえ元の土地を去っても、地主と農家の関係というのは続くものらしい。 地元では、曾祖母は「東京のお母さん」と呼ばれることになったそうだ。 そして、若者が東京の学校を受験するために上京するときには、「それなら『東京のお母さん』のところに泊めてもらえ」ということになり、高田馬場の曾祖母の家に泊まったという。

なるほど、あの晩、ぼくが高田馬場の家に泊まっていたように、かつては、田崎家の郷里の村から来た若者が同じ家を宿にしていた日々があったのだ。


母の強い意志によって東北の村を飛び出し、東京で教育を受けた祖父は、そのまま基礎医学の道に進み、さらには、日本までをも飛び出しアメリカの NIH で研究を続け数年前に他界した。 誰がどう見ても研究者になるべく生まれたような人で、研究を全てに優先させた激烈な人生を生きた人だった。

曾祖母も、祖父も、激烈に強い個性と意志の持ち主で、二人は多くのことで激しく対立していた。 あるとき、いつものように曾祖母の悪口を言う祖父に、ぼくの母が「そうおっしゃるけれど、お婆ちゃまがあそこで東京に出ようと決心されなかったら、お父様は、そうやって研究をすることもなかったんじゃないですか?」と尋ねたことがあったそうだ。 祖父は黙っていたそうだが、母親の決断がなければ天職である研究者としての自分の人生はあり得なかったとことをかれは強く認識していたとぼくは思っている。


2013/4/2(火)

さて、3/27 の日記で、ぼくが書いた、「量子力学だけを使って熱力学第二法則を出す」という新しい(大胆な)論文のことを紹介した。

論文を公開したところ、ほぼ即座に日本から、少し遅れてアメリカから、証明の方法や定理に必要な仮定についてのきわめて重要なコメントが届いた。 ああ、言われてみれば、そうだった、当たり前ではないか、それまでエネルギー期待値を扱っていたから仕方なかったのだが、低エネルギーの部分空間への射影を考える時点で話が簡単になることに気づくべきだったんだと思うが、あとの祭り。 最初のバージョンで仮定していた non-resonance condition という面倒な条件は不要になるし、長時間の分散の評価も不要だし、証明もぐっと短くなる。

おおそうだったかと議論を続けるうちに、二重確率行列がどうしたこうしたと言っていた「興味深い(非自明な)不等式」も証明には不要なことを指摘された。

あれよあれよという間に、証明はどんどんスリム化されていく。定理の主張はまったく同じだが、条件が少なくなった分、定理が強力になったと言ってよい。 いや、それ以上に、今や証明はほとんど自明になってしまった。 これは、残念なことではなく、素晴らしいことなのだ。数学的な証明が自明に見えるようになってこそ、ぼくらは(数学の威力に目をくらまされることなく)「物理的な本質」を見据えて、その先を考えることができるからだ。 手が出ないと思っていた時間スケールの問題も、このバージョンなら、少しはなんとかなるかもしれない。 実際、その後も、二人と色々と議論するうちに、今回の結果の拡張や関連する結果が豊かになり、さっそく論文にも加筆。いい感じである。


ああ、しかし、ここまで簡略化されてしまうと、最初に書いたバージョンが、無骨で、かっこ悪くて、もう悲しくなってしまう。

しかし、arXiv に公開した以上は、引っ込めることはできないので、ずっとそこにあるわけだ。ああ、恥ずかしい。どうしよう。恥ずかしい。でも、どうしようもないので、羞恥プレイと思って あきらめるしかないよな・・・


さて、アメリカからコメントを送ってくれたのは、Rutgers 大学の Shelly Goldstein だ。

かれは、以前から Lebowitz らといっしょに非平衡過程でのエントロピーなんかの研究をしているし、孤立量子系については、canonical typicality とか quantum ergodic theorem とか、重要な仕事をしている人で、今回の話にも最高にピントが合っている人の一人。 鋭いコメントがやってくるのも当然と言えば当然の人だ。

日本からいち早くコメントを送ってくれたのは、Takashi Hara、つまり、九大数理の原隆さん。 ぼくの物理学科のクラスメートであり、初期の論文はすべて共著で書いた共同研究者であり、三十年来の親友である原隆その人なのである。

パーコレーションや自己回避ランダムウォークなど、確率論の分野で超一流の仕事をしている原(←つい呼び捨てにしてしまう)が孤立量子系の話に絡んでくるのは不思議に思うかも知れない。でも、かれは、前々から、ぼくのこの手の話には興味をもって論文も読んでくれていたのだ。 そして、今回の仕事が気に入ってくれたようで、急激にピントを合わせてくれて、たちまちの内に定理を最短距離で証明するロジックを教えてくれたし、ひとたび周辺の状況がわかると、どんどんと以前の結果を消化し、新しい提案もしてくれる。 持つべき物は親友である --- しかもとびきり優秀な。


というわけで、Shelly と原の貢献は十分に本質的なので、二人にお願いして共著者に加わってもらった新バージョンが、
Sheldon Goldstein, Takashi Hara, and Hal Tasaki
The second law of thermodynamics for pure quantum states
からダウンロードできます(今は、version 3 だけど、Phys. Rev. Lett. への再投稿の前に、もう一つバージョンを上げるかも)。

Shelly とは前の Rutgers 訪問のときに親しく話したのだけれど、かれと共著が書けるのはうれしい。 国際的コラボになるしね。

そして、原との共著は実に二十数年ぶりだと思う。 修士 1 年の駆け出しの頃から、二人で一生懸命に論文を書いてきた原と、再び一緒に論文を書くのは本当に格別な気分。うれしいなあ。

ま、そういうのは個人的な感慨なんで、みなさんにはどうでもいいことなんだけど、でも、物理の分野の人は、いよいよ簡潔になった論文をご覧いただければと思います。 使っているのは、本当に基礎的な量子力学の知識だけで、「量子力学から熱力学を出す」という大胆な企て(でも、解析は堅実)を理解できるはずですぞ。


2013/4/22(月)

いやあ、学期が始まってからは、本当に怒濤の自転車操業の日々。 土日も含めてずっとなにかやっている感じ。 余裕ができたら返信しようと思っているメールもたまるばかり。ごめんなさい。

とはいっても、従来通り、睡眠時間はたっぷりと確保しています。理論物理学者は、やっぱり寝ないとダメだからね。

とにかく、日々の記録をつけるくらいなら、少しでもたまった仕事をしようという感じで、まったく日記を書いてないんだけど、昨日と今日のことくらい書こうかな。なんか楽しかったから(と思って月曜に書き出したが、けっきょく、書き終わったのは水曜の夜でした)


ええと、昨日は日曜。

実は土曜の夕方からこっそり遊びに行ってしまったので、ちょっと疲れ気味で起床。

土曜日が締め切りの「数理科学」の原稿があったのだけれど、土曜のあいだには最後までできなかったので、午前中はこれの仕上げ。ともかく昼過ぎには編集部に原稿を送った。

締め切り厳守ではないけれど、半日遅れなので、まあ、かなりよい。 実際問題として、雑誌の締め切りはかなりの余裕をもって設定されているので、数日以上の遅れは余裕で許されるみたいだ。 とはいえ、早いほうが出版社も楽で丁寧に編集作業をしてくれるはずだし、それ以上に、日頃、大学教員として学生には「締め切りは守れ。社会に出たら甘えは許されない」と指導しているわけで、それを思い出すと、自分もできるだけちゃんと守ろうという気になる。

だいたい、こういう緊急性のない記事の場合は、テーマと締め切りがずっと前からわかっているわけで、締め切り寸前にバタバタしたり、締め切りを過ぎて催促されてなんていうのは、単に計画性に欠けているというだけの話だ。 けっこう、科学者や大学教員なんかでも、「締め切りを大幅に過ぎて泣きつかれたので、速攻で、いい加減な原稿をでっちあげだぜ!」的なことを自慢げに言っている人もいる気がするが、そういうのは、「寝てない自慢」とか「発表の寸前まで準備ができていない自慢」とかと同じで、恥ずかしいことだと思うべきだ。

ま、たまたま今回は締め切り半日後に出せたから偉そうに言っているというところもあるが、正論なのでよいだろう。


それから、月曜の駒場の講義のネタ仕込みの作業。

実は、シャノンの定理については昔講義したことがあるので、二回分くらいの素材はほぼ手元にあるのだ。 ただし、それで安心していると困るのであって、やはり、これから先の講義の展開で何を使って何を使わないかを、よ〜く考えておかないと、講義が先に進んだところで立ち往生しかねない。 だいたい「二手先」くらいまでを読んでおかないと、うまくいかないことが経験的にわかっているのだ(注:駒場での「現代物理学」は、毎年、新しいテーマで講義している)。


夕方くらいに、沙川さんから連絡。 夏の統計物理学の(馬鹿でかい)国際会議 STATPHYS25 で授与される若手賞(Young Sceintists Award)の今回の受賞者が、沙川さんと竹内さんに決まったという大ニュース

別に日本人向けの賞じゃないよ。世界中の統計物理学の若手を対象にした、すごい賞なのだ。

もちろん、二人とも素晴らしい業績を挙げていて、国際的にも活躍しているから、当然といえば当然なのだけれど、やっぱり、きっちりと賞が来るというのは、ほんとうに素晴らしい。 なによりも重要なのは科学的な業績だけれど、それらが正しく評価されるために尽力した周辺の人たちがいての栄誉だとも思う。 そういう人たちにも深く感謝したい。

この若手賞は、数年前の Genova での STATPHYS のときに新設されたばかりで、受賞者は未だ全部で 5 名しかいない。 そのうち、3 名が日本人である。 しかも、(初回の)笹本さん、(今回の)沙川さん、竹内さん、三名とも、ぼくが心から尊敬する(ぼくよりは、ちょびっとだけ若い)友人たちなのだ。

とてもうれしい。

というか、実は、ちょっと涙がでそうなくらい、めちゃめちゃうれしいのである。

日本での統計物理の先行きについては、強く絶望するような経緯があり、ま、その絶望感は続いているわけだけど、それでも、そんな悲観とは無関係なところで、すばらしい若手がガンガン活躍してくれているというのは、もう、本当にうれしいことだ。 ぼくも負けないように(ていうか、近年は完膚無きまでに負けまくっているが)まだまだがんばろう。


駒場の講義の仕込みが一段落したところで、量子力学の講義ノートの作業を少々。先週くらいになぜか唐突に書き始めたのだよなあ。 先週の講義に大まかに該当する部分をタイプしていくのだが、講義ではやらない詳しいことも書くから、大変である。 うううむ。まだ講義に追いつかない。
そして、今日は月曜日。

朝から駒場へ。週一度の電車通勤だ。

ZABADAK の CD を iPhone で聴いていると、ちょうど渋谷で井の頭線に乗り換えるあたりで、Still I'm fine という曲が流れる。 ぼくは、これは一人暮らしを始めて間もない男の子がかつて共に過ごした誰かに心のなかで話しかけている歌だと勝手に思っているので(公子さんによれば、彼女が一人でパリにいたときに書いた詩らしいんだけど、それは気にしない)、かつて、一人暮らしを始めたころに通っていた道でこの曲を聴くのは何か格別の雰囲気がある。 たまたま、先週、駒場以来の友人の M からメールが来て当時のことを二人で語っていたので、なおさら不思議な気持ちだ。 それにしても、ぼくらが大学に入って駒場に通い始めたのは 35 年前という計算になるのだけれど、まったく信じがたい数字である。きっと計算間違いであろう。


「現代物理学」の冒頭は、(条件付き確率の例題として、また、「情報を得る」ことによって何が変わるかということのデモンストレーションとして)取り上げた Monty Hall problem への補足。 実は、先週の講義のあと、駒場の 1 年生が使っている共通の英語の教材に Monty Hall problem が取り上げられているということを教えてもらったので、そのことを紹介し、また、そこでの説明の仕方をざっと解説した --- 国際化教育の一環として、この部分は、英語で。

日本語に戻って、次の大きなテーマである情報理論におけるシャノンの第一定理に入る。 例題を丁寧にやって、なんとか、定理の内容を正確に述べるところまで来た。証明は次週、といいたいが、次週は休みか。

さすがに、こういうテーマについては学生の「食いつき」がよろしい。 講義が終わった後も、何人かと、情報を圧縮するということの意味、定理の主張の仕方に数学や物理とは明らかに異なる情報理論的な文化があるというような話で盛り上がる。


沙川さんと(受賞記念の?)お昼を食べた後、できたばかりの沙川研(まあ、佐々研がそのまま移行したわけだけど)を訪れ、沙川さん、それから伊藤さんから、最近の(というより、どちらも最新の)話を教えてもらい、さらには、「現代物理」の講義にも色々とアドバイスをもらう。 きわめて有益。

Maxwell daemon についてのかれらの理解はいよいよシャープになってきたなあと感じる。 初期の Sagawa-Ueda について多くの人が感じたいくつかの疑問(デーモンも系もまとめて全系として扱ったときの第二法則との関連とか、相互情報量を使うことに本質的な意味があるのか、などなど)についても、かなり明快な答が用意されつつあり、もうあと少しで、全体像が見えてきそうな気がする。 ただし、ロジックは、けっこうややこしいので、それを解きほぐしてみんなに理解してもらうレベルに持って行く作業は非自明だろうなあ。

実は、ぼくがずっと昔に考えかけて放置していることとも、もしかしたら関連するかもしれないという気がしてきたので、また考えてみるのじゃ。


伊藤さんとの議論がちょうど一段落したところで、数理に移動して Stefano Olla さんのセミナーに顔を出す。 「オラの話を聴いてくれ!」というわけである(←ごめんなさい)
講師:Stefano Olla氏(University of Paris-Dauphine)
題目:Thermal conductivity and weak coupling
日時:4月22日 (月曜日) 16:45〜18:15
場所:東京大学(駒場)数理科学研究科棟126号室
講演概要: We investigate the macroscopic thermal conductivity of a chain of anharmonic oscillators and more general systems, under weak coupling limits and energy conserving stochastic perturbations of the dynamics. In particular we establish a series expansion in the coupling parameter.
かれの話は、ここ数年のあいだに、何カ所かで聴いているけれど、まとまった時間の単独のセミナーを聴くのは初めてだった。 物理ならばかなり「当たり前」に近いとされる weak coupling の極限ではあるのだが、ともかく、決定論的な力学系だけを使って熱伝導を記述し、線形応答理論の予言を数学的に正当化しようという地道な努力は立派だと思う。 しかし、それでも道はまだまだ遠いのだから、まあ、なんと難しい問題であろうよ。
というわけで、今日は、
講義 → 講義のあとの学生との雑談・議論 → 雑談・議論しながら昼食 → 議論・雑談しながらお茶 → セミナー
という具合に、朝から夕方遅くまで、学者としてやりたいことだけをして過ごした実感あり。 かなり疲れたけれど、しかし、とてもとても楽しい。
2013/4/30(火)

ああ、早くも 4 月が終わってしまうぞ。どうしよう。


連休といってもほとんど関係ないのだが、それでも月曜の駒場の講義が一回休みになったから、これは大きいよ。 ひたすらの自転車操業を脱して、たまっている仕事が少しできるかなあ --- とか思っていたわけだが、土曜に余分な仕事があって、なんか疲れが取れないままに迎えた日曜日。 少しぼけっとしながら仕事を始めようと思い、でも、雑用とかをする気にもならないので、ずっと考えたかった案件を考え始めた。 孤立量子系の時間発展での時間スケールの問題なのだ。 やれば何かできるのか、それとも何もでてこないのか、そこすら見極めていなかったので、真面目に考え始める。ふうむ、それなりによい感じに見えるが、体力がないので、ふわふわしたままで。

夜は、子供たちがいないので、妻と二人で目白のお店へ。 ついワインを飲んでしまう。

明けて、お休みの月曜日。 ややワインを飲み過ぎた感があって、またしても調子がまあまあ。 とはいえ、昨日の続きを考えているうちに、だんだんとビジョンが明快になってくる。 たぶん、お昼のお蕎麦をゆでようとごそごそやっているところで、ちょっとナイスなアイディアが来て、「あ、いま、定理が証明できたかも」と妻に言った。 それから、紙に詳細を書いて検討してみると、確かに、うまく行っている。 ちょっと前から示せればいいと思っていたタイプの結果が証明できてしまったではないか。 あ、これはうれしい。

まあ、ささやかな定理ではあるのだが、原の示した定理と合わせれば、それなりに全体像を見るためのきっかけになる。まさか、こっち方面でなにか具体的な評価ができるとは思っていなかったので(←モデルの詳細を気にしないでも、ある程度のことはできると原が教えてくれたわけだが)、ちょっとうれしいぞ。 やはり、これらの結果は切り離してまとめるべきだなあと徐々に決断中なう。

というわけで、雑用やたまっていた仕事には進展がなく、むしろ、書くべき論文が一つ増えたわけだが、もちろん、楽しい。


さて、4 月が終わる前に書いておきたかったことを。

NHK という放送局で「みんなのうた」という番組をやっていることをご存知の読者もいらっしゃると思うのだが(←白々しいのお)、この 4 月、5 月には、ぼくと妻が最近すっかり傾倒している ZABADAK の「いのちの記憶」という曲が流れているのですよ。 なにせ、プログレッシブロックなんかがバックボーンという人たちの音楽だから、あまり普通の「みんなのうた」っぽくない。 前座のなんとかいう人たちのへろへろした音楽のあとに、 ぺれれれ〜だんだだだだんだだだ とイントロがかかるだけで、もう、超かっこいい。 あとは、そうだなあ。「かたち変えても生きるもの」の後のヴ〜〜ンンンっていうギターとか、「だいちの」のところのファルセットとかが、個人的なツボですね。

NHK という放送局が受診できる人は、よかったら、聴いてみてください。 アニメもすごいです。

ZABADAK の歌詞や音楽には普遍的な何物かに向かっていろいろな最短距離を模索しながら強く進んで行くようなところがあってぼくは好きだ。 NHK のページでも紹介されているけれど、この「いのちの記憶」という歌は、原初から今日に至るまでの時間のなかでの壮大な生命の流れという、ZABADAK の基準からしても相当に大きなテーマを取り扱っているのだ。 考えてみれば、「みんなのうた」の 2 分程度の枠のなかで、ここまで馬鹿でかいテーマを歌おうというのは本当に大胆不敵な話で、言ってみれば、Physical Review Letters に載せられる 4 ページ強の論文で、ミクロ世界を司る基本法則たる量子力学と、マクロな世界の本質的な不可逆性を象徴する熱力学第二法則を結びつけようとするぼくらの大胆不敵な試み(2 日の日記を見よ)とも相通ずるところがあるのではなかろうか --- と結べばナイスだったのだが、実は、ぼくらの論文のほうは、その後いろいろと知見が増えて風景が見えてきたので、もはや「みんなのうた」じゃない、Physical Review Letters に載るような短い論文はやめて、背景の思想もしっかりと伝わるような長目のアルバム、じゃない、論文に改訂しようということになってしまったのだ。ま、そちらも乞うご期待。一方、ZABADAK の吉良さんと公子さんは、インストルメンタル主体の論文じゃない、アルバムをまさに制作中ということで、すごく期待しています。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp