ドイツ語あれこれ
2024年の模擬講義「ドイツ語の挨拶」 [11/08/2024]
「挨拶は大切です」なんて子供の頃から学校の先生によく言われたものだ。 そう言われると、なんか反発したくなったものだ。 素直に受け入れられる子供と、反発を感じてしまう子供がいる。 反発する側には、それなりの理由がある。それを見逃して、反発する子供をよくない子としてはいけない。
さて、挨拶の時に使われる言葉は、「挨拶ことば」だが、挨拶ことばを発するのは発話行為だ。 ローマン・ヤーコブソン (Roman Jakobson) は Phatic function (交感的機能)と呼び、 「有意味な情報交換をせずに社会的なつながりを確立するために用いる」ものとして位置づけている。 昔、私はこの分類を知らなかったために、<こんなに有名な言語機能の分類を知らないのか?>と、 ある研究会で呆れられてしまったことがある。
この言語機能の説明の中にある「社会的なつながりを確立する」というのはいったい何なのか、 これをテーマにドイツ語の挨拶ことばをいろいろ探ってみたのが今回(2024年8月3日)の模擬講義だった。 初めのうちは、面白さが分からなかったが、しだいにいろいろな話とつながっていき、自分でも面白さがわかってきた。
今回の模擬講義では、【実験「合いことば」】、【体験「短く!」】、【問題:「○○○が交わす挨拶」】を入れ込んで、 視聴者参加型を目指した。
大雑把に言ってしまうと、挨拶ことばは、誰がどのような場面で使うかが慣習的に決まっているものの、 使われる地域やグループ、さらにはその背景までみていくと実に奥深いお話 (Geschichte) がある。 今回は、最後に検討した Mahlzeit が特に面白かった。
ということで、「ドイツ語の挨拶」(2024年8月3日模擬講義)(PDF) という形で公開しておく。これにて、私の公開授業は終わりです。
↑Quittenmarmelade がお気に入り [18/02/2017]
たまたま、昨年おじゃました友人の家で、朝食時に Quittenmarmelade が出てきた。 最近のお気に入りだそうで、日本では見ないなあと思い、試してみるとあまり他にはない味で美味しいことがわかった。 Quitte というのは、日本語では「マルメロ」、英語では、quuince と呼ばれているやつだ。 そのマルメロ・ジャムは、マルメロ自体は細かく刻んであって、飴色の液体は比較的さらっとしていた。
ほぼ忘れかけたころに、今度はロシアの方から手作りの quince jam を頂いた。 これは、直径 1.5cm 程度、厚さは 3mm —5mm 程度にぶつ切りしてあるマルメロと、クルミが入っていた。 どちらかというと、ジャムというよりはマルメロのコンポート (Kompott) という感じだ。 懐かしい思いで頂いたのだが、そもそもマルメロって何だ、という疑問がわいた。 これがドツボにはまるきっかけだった。
まずは、『デジタル大辞泉』で、「マルメロ」を調べてみた。
マルメロ【(ポルトガル)marmelo】
バラ科の落葉高木。葉は卵形で、裏面に灰白色の毛が密生。
5月ごろ、白か淡紅色の 5弁花を開き、洋梨状の黄色い実を結ぶ。
実は香気があり甘酸っぱく、生食や砂糖漬けにする。
イラン地方の原産で、日本には江戸時代に渡来。西洋カリン。
[季 秋 花=春]
「ーにはや新雪の槍穂高/楸邨」
◆「榲桲」「木瓜」とも書く。
出典:『デジタル大辞泉』
まず、最後の方の読むのが難しい漢字表現から。 「榲桲」はマルメロの漢字表記、「木瓜」は「モッカ」と読む。 日本語のWikipedia の「ボケ」の項目では、ここから「ぼっくわ」→「ぼけ」に転訛したという説を紹介している。 ここで生じた疑問は、「マルメロ」と「ボケ」の関係である。
ということで、『独和大辞典』の Quitte を見る と:
Quitte [kvítəオーストリア:kítə]
(女) -/-n
1 〚植〛マルメロ
・Japanische Quitte ボケ(木瓜)
2 マルメロの実(ゼリー・ジャムなどの原料になる).
[vulgärlat. quidōnea—ahd. qitina;<gr.
Kydōͭnion m̃elon „Apfel von Kydōníā
(Kreta 島の古都)“;
◊< Kütte1; engl. quince]
まず、ちょっとびっくりするのは、オーストリアで発音が異なること。 qu のスペリングにも関わらず、発音が [kv] にならない。 それは、語源に関する注釈の最後の方に、Kütte1 となっているのがヒントだろう。 『独和大辞典』では、Kütte1 [kˈʏtə] 「((南部))(Quitte) (植) マルメロ」と書かれている。 つまり、[kı] なのか [kʏ] なのかは、 おそらくドイツ語圏南部の方言の発音上のヴァリエーションだろう。
語源情報を簡単に読み解いておく。『独和大辞典』では、語源はギリシア語で、クレタ島の古都市キドニアの名にちなんで、 「キドニアのリンゴ」と言ったところから来ている、とする。古高ドイツ語では、 qitina、俗ラテン語では quidōnea だった。
さて、『独和大辞典』では、 「Japanische Quitte ボケ(木瓜)」としていることに注目しておこう。 『デジタル大辞泉』では、「マルメロ」を「『榲桲』『木瓜』とも書く」としているが、 『独和大辞典』ではマルメロとボケは異なる、と主張していることになる。
そこで、今度は「ボケ」を『ブリタニカ国際大百科事典』で調べてみた。 すると、「クサボケ」へのリンクがあったので、こちらもついでに引用しておく。
ボケ[木瓜]
Chaenomeles lagenaria
バラ科の落葉低木。中国原産で観賞用として庭園に栽植される。
幹はよく枝分かれして濃褐色。とげのような小枝がある。
葉は長さ 4〜8cm の卵状披針形で互生し,基部に卵形の托葉をつける。
春,深紅の 5弁花を数個集めて咲かせる。
品種により白花のものや淡紅色,絞りなどもある。
果実はカリンに似ているが小型で芳香があり黄色く熟するが,
硬くて渋く酸味が強いので食用にはならない。同属の⇛クサボケ(草木瓜)は日本各地の山地に自生する。
出典:『ブリタニカ国際大百科事典』(2012)
クサボケ[草木瓜]
Chaenomeles maulei
バラ科の落葉小低木。別名シドミ,ジナシ。本州関東地方以西、九州の山野に広くみられる。
高さ 30〜60cm,針状枝がある。
葉は倒卵形。早春,ボケの花に似た朱紅色の花をつける。果実は球形,黄熟するが,酸味がはなはだ強い。
出典:『ブリタニカ国際大百科事典』(2012)
ここで明らかなのは、どちらのボケも、「バラ科の落葉低木」である点だ。 「ボケ」(Chaenomeles lagenaria)は、中国原産で 「果実はカリンに似ているが小型で芳香があり黄色く熟するが,硬くて渋く酸味が強いので食用にはならない」 そうだが、「クサボケ」(Chaenomeles maulei) は、「果実は球形,黄熟するが,酸味がはなはだ強い」とのこと。 「ボケ」の「果実はカリンに似ている」というのが気になって、カリンを調べてみると、 その中に「マルメロ(セイヨウカリン)」へのリンクがあり、ぐるっと回ってマルメロに戻った。
カリン[花梨]
Chaenomeles sinensis
バラ科の落葉高木で,中国原産。高さ 6m 〜 8m ぐらいになり,樹皮は緑褐色で毎年はがれる。春に,枝端にモモに似た花をつけ,
秋になり黄色の液果が熟する。芳香が強いが,石細胞が多く,硬くて食用にはならない。
砂糖漬けなどにするのは別種の⇛マルメロ(セイヨウカリン)である。材は美しい光沢があり細工ものに用いる。
出典:『ブリタニカ国際大百科事典』(2012)
マルメロ(marmelo)
Cydonia oblonga; marmelo
バラ科の落葉高木。ペルシア,トルキスタンの原産で,日本には中国から江戸時代の初期に渡来した。
観賞用または果樹として栽培される。幹は 8m ぐらいで,枝にとげはない。葉は全緑で先は円頭。托葉は早落性である。
5月〜6月に,白色または淡紅色の大型の花を単生し,梨果は径 10cm ほどの楕円形で芳香がある。
カリンによく似ているが,全体に綿毛をかぶることで区別する。缶詰やマーマレード砂糖漬けなどに加工して食用にする。
出典:『ブリタニカ国際大百科事典』(2012)
今度は、ドイツ語と日本語と英語の Wikipedia の情報を比較してみた。 すると、「ボケ」は、ドイツ語で Chinesische Zierquitte となっていて、 英語では、 Chinese quince となっているではないか! しかも、ラテン語の学名まで Pseudocydonia sinensis となっている。 『独和大辞典』では、Japanische Quitte が「ボケ」だったのに、 と思いつつ、もう少し読み進んでいくと、「クサボケ」が、Chaenomeles japonica となっており、こちらの日 本語版が Japanische Zierquitte となっていた。 そして、「カリン」のラテン語名は、Chaenomeles sinensis だった。
かなりこんがらがってきたので、ここまでのところを整理しておく。
ラテン語名をヒントに分けてみると、次のようになる。
(略記:E.Br. = 『ブリタニカ国際百科事典』(2012)、
独大 = 『独和大辞典』第2版 (2000)、
ジ和 = 『ジーニアス和英辞典』第3版 (2012)、
en.Wik. = en.wikipedia.org、
de.Wik. = de.wikipedia.org、
ja.Wik. = ja.wikipedia.org、
wadoku = www.wadoku.de
)
ラテン語 | 日本語 | ドイツ語 | 英語 |
Cydonia oblonga(E.Br.) | マルメロ(セイヨウカリン)(E.Br.) | Quitte(, Süd: Kütte) | quince |
Chaenomeles lagenaria(E.Br.) | ボケ | Japanische Quitte(独大) | Japanese quince(ジ和) |
Chaenomeles speciosa(en.Wik.) | ボケ | Chinesische Zierquitte(de.Wik.) | Chinese quince(en.Wik.) |
Chaenomeles sinensis(E.Br.) | カリン | Chinesische Quitte(wadoku) | Chinese quince(en.Wik.) |
Pseudocydonia(ja.Wik.) | カリン | Chinesische Quitte(wadoku) | Chinese quince(en.Wik.) |
Chaenomeles maulei (E.Br.) | クサボケ | Japanische Zierquitte(de.Wik.) | Japanese quince(en.Wik.) |
Chaenomeles japonica(ja.Wik.) | クサボケ | Japanische Zierquitte(de.Wik.) | Japanese quince(en.Wik.) |
このようにまとめてみると、ボケとカリンに関する情報が錯綜していることがわかる。 ボケは、Japanische Quitte なのか、それとも Chinesische Zierquitte なのか、という問題がある一方で、 ボケもカリンも Chinesische Quitte なのか、という疑問もわく。
この1つの答えは、ja.Wikipedia.org の「カリン」の項目にある。
カリン(榠樝、学名: Pseudocydonia sinensis)は、バラ科の1種の落葉高木である。その果実はカリン酒などの原料になる。
かつてボケ属 Chaenomeles とする説もあったが、C. K. Schneider が1属1種のカリン属 Pseudocydonia を提唱し[2]、分子系統で確認された[1][3]。
カリン(属)に最も近縁なのはマルメロ属 (Cydonia) とカナメモチ属(Photinia) であり[1][3]、それに次ぐのがナシ亜連の他の属で、かつて属していたボケ属のほか、リンゴ属、ナシ属などがある。
マメ科のカリン(花梨)とは全くの別種である(近縁でもない)。近縁なマルメロの果実も「かりん」と称されることがあるが、正しくない。
名称
別名、安蘭樹(アンランジュ)。
果実は生薬名を和木瓜(わもっか)という。ただし和木瓜をボケやクサボケとする人もあるし、カリンを木瓜(もっか)とする人もいる。
なお、日本薬局方外生薬規格においてカリンの果実を木瓜として規定していることから,日本の市場で木瓜として流通しているのは実はカリン(榠樝)である[4]。
中国語では「木瓜」はカリン・ボケ類・パパイヤを意味しうる。
出典:ja.wikipedia.org 項目:カリン(最終更新 2015年10月23日 (金) 01:40)
この説が正しいとすれば、カリンはかつてはボケ属だったが、カリン属に変わったことになる。 漢字表記での「木瓜」は、中国語では「カリン・ボケ類・パパイヤ」を指すことができるそうだ。 そして日本語でも極めて曖昧で、「木瓜」は、「マルメロ」、「カリン」、「ボケ」を指すこともあるのだ。 まったくデタラメの無法地帯という感じがしないでもない。
さて、最初に話を戻すと、ドイツだけではなく、ヨーロッパ各地で、 マルメロのジャム、あるいはパンにぬるゼリーが存在する。 例えば、あの HERO のシリーズにもある (Delicia Quitte (315g) | HERO)。 ドイツのアマゾンでは、いろいろな国のマルメロ・ジャム、あるいはマルメロ・ゼリーが買える (Suchergebnis auf Amazon.de für: Quittenmarmelade)。 でも、独和辞典にはQuittenmarmelade とか、 Quittengelee は載っていない。 ただし『独和大辞典』には、Quittenkäse が「(オーストリア)(固い)マルメロ=ジャム」として載っていたが、これは本当に固いようかんのようなスプレッドだ。 日本のスーパーマーケットにあるジャムは、あまりにも種類が少なくてさびしい。 手始めにマルメロ・ジャムあたりから始めて、いろいろなジャムを作って売れば、それなりに売れるのに、と思ってしまう。
ドイツ語圏の Kochrezepte を紹介しているサイトには、いろいろなジャムの作り方が紹介されている。 Chefkoch で、 Quittenmarmelade を検索語にしてみると、 25件ヒットした。冗談半分に、japanische quitte を検索語にしたら、 関連したスレッドが表示され、食べれるのかどうか議論されていた。 それは、ボケか、クサボケなので食べられないのでは、と思って読んでみると、 結構美味しかったという書き込みもある (japanische quitte bei CHEFKOCH.DE)。 本当だろうか? 一瞬、これも fake ではないか、と思ってしまった ;-) まあ、実態はクサボケではなく、カリンかもしれない。
ちなみに、我が家にカリンの木があり実がなっている、と言ったら、 ジャムをくれた方が我が家のカリンを使ってジャムを作ってくれた。 「芳香が強いが,石細胞が多く,硬くて食用にはならない」とブリタニカは言っていたが、ジャムにすると、 マルメロのジャムと変わらぬ味がした(と思う)。 さすがに、クサボケを試してみる気はないが、ひょっとしたらドイツ人の誰かのように、美味しいと思うかもしれない。
↑Duden: Die Aussprachewörterbuch (2015) が出た! [19/10/2015]
Duden の Aussprachewörterbuch というと、 あのシリーズ辞書の第 6 巻で、ドイツ人音声学者 Max Mangold 監修の辞書を思い出す。 ただし、近年このシリーズの他の辞書が次々と新しくなる中、なんとなく放置されているような印象を受けるものだった。 今回出版された第 7 版(7., komplett überarbeitete und aktualisierte Auflage) は、 Bearbeitet von Stefan Kleiner und Ralf Knöbl in Zusammenarbeit mit der Dudenredaktion となり、中表紙には、 Dudenverlag Berlin と、 INSTITUT FÜR DEUTSCHE SPRACHE の名前がある。中表紙の裏には、複数の著者名(Autoren) の中に、 Max Mangold (†) がある。そう、 Max Mangold 氏は 2015年に亡くなったのだった。
この Duden: Das Aussprachewörterbuch 第 7 版は、
Max Mangold の辞書に基づき、複数の音声学者、
Duden 編集部、
マンハイムの IDS が共同で手を加えて完成させたもののようだ。
さらに、表紙に以下のようなへんてこりんなシールが貼ってある。
この辞書を買うと、発音の音声データとそれを使うためのソフトウエアをダウンロードできる。 本の中には、「ダウンロード用のコード」(Downloadcode) が記載されているとのこと。ちょっと見ると、このシール、 右下の部分が出っ張っていてはがせるようになっているので、 シールを剥がしたらそこに「ダウンロード用のコード」が隠されているのかと思いきや、そうではない。 この辞書の最初のあたりの青ページに印刷されている。 ただし、無料ではなく、1 ユーロを支払う必要がある。
音声データ並びにソフトウエアは、Windows, Mac, Linux 用が用意されているところはすばらしい(日本でもみならってほしい)。 ただし、Linux 用と言っても、deb ファイルなので、 Debian, Ubuntu 系ではそのままで使えるが、 rpm パッケージ系の では alien などで変換しないといけない。
1 ユーロを払うという方式は、ほとんど無料ということなので、 だったら初めからソフトウエアとして無料でダウンロードできるようにして欲しかったが、 おそらくそうできない理由があったのだと思われる。
Duden のダウンロード・サイトで所定のデータを書き込むと(支払い方法の指定を含む)、 その時に指定したメールアドレス宛にメールが届き、それに従ってダウンロードする。 この部分がはっきり説明されていないのは、ちょっと不親切だ。 ダウンロードサイトを探して、あっちこっちをクリックして複数個注文しないようにご注意。 メールが届くまでしばらく(1、2分?)待たされる。
今回は Windows 用の zip データをダウンロードした(およそ 387MB)。 (時間がある時に、Linux 用のソフトウエアも試してみたい。) zip データを展開すると、 setup.exe が見えるのでクリックすると、インストールが始まる。 aussprachewoerterbuch-duden というフォルダが作成されるが、 その下の bin フォルダーには、セットアップ用のソフトウエアと並んで、 version.txt があり、中身をみると version=607 となっていた。 インストール終了時に、ディスクトップにショートカットを作成すると、 Duden-Bibliothek という名前のアイコンが現れる。
以下は、Mädchen を検索したところ。 Office-Bibliothek とは違い、ウムラウトなしで入力してもウムラウトの可能性を表示してくれることはないので、要注意。
ここでスピーカーのアイコンをクリックすると音が聞こえる。単語によって、女性の声だったり男性の声だったりする (Mädchen は、男性の声だった)。 左の枠内には、もうひとつヒット率が100%の Mädchen があるが、 これは本の中ではコラムになっているものだ。この 2番目の Mädchen をクリックすると、 左下のような表示が現れる。
ここでの表示の説明を簡単にしておく。 これは、Duden: Die Aussprachewörterbuch. 7. Auflage の III. Empirische Quellen (S.15ff) に解説がある。 簡単に言ってしまえば、複数のヴァリエーションのある発音に関して、 オンラインのアンケートを実施して、どちらをより「適切」(Angemessenheit) と思うかを尋ねたもの。 S.16 によると、アンケートに参加した人は「1000人を少し越える人たち」 (knapp über 1 000 Personen) というのだが、 実際に北ドイツ、オーストリアなどの地域の区別があるのに、 特定の地域の人たちがどのように関与しているのかは不明である。
Mädchen を具体例として、この数字が何を表すのかを考えてみよう。 まず、ここでのアンケートは、Mädchen の中の母音が、 [ɛ:] が適切か、[e:] が適切なのかを評価してもらった、ということだ。
背景としては、a-Umlaut の音の消失傾向(?)がある。 例えば、Käse, Gerät, ähnlich と発音する時、ちゃんと少し下顎を下げて [ɛ:] の音を出していない人がいるんじゃないか、と一部の人々の間で話題になっていた。
日本人の立場から見ると、日本語の「え」の音は、ほぼ [ɛ] の音なので、 [ɛ:] と言ってもただ音を延ばすだけだろう、と思いがちだ。 で、多くのドイツ語の先生もおそらくその程度の説明で済ませてしまっている。 しかし、実はさにあらず、なのだ。 どんな時に分かるかというと、皮肉なことにちゃんと [ɛ:] の音を発音する人に出会った時である。 「あっ、この人、ちゃんと [ɛ:] の音を使っている!」 とびっくりしてしまうのだ。
それは、ちょうど、助詞の「が」をちゃんと軟口蓋破裂音として発音している人に出会った時のショックに似ているかもしれない。
さて、Mädchen の記述に戻ろう。 Gesamt (ohne Norddeutschland & Österreich) と書いてある理由は、この下に、Norddeutschland と Österreich のアンケート結果が載っているからだ。 「北ドイツ」と「オーストリア」を別扱いして、それ以外を「全体」としているのだが、 これでは「南ドイツ」が中心であると間接的に言っているのと同じになってしまう。 そしておそらく「スイス」のドイツ語は、この「全体」の中には入っていない。 また、それぞれ(「全体」、「北ドイツ」、「オーストリア」) で同じ人数の人がアンケートに答えているのかどうかは不明だ (実際の数値が示されていないので、そうなっていないのではないかと疑ってしまう)。
さて、アンケートは、どのような尺度で行われたかというと 「形式的な発話場面での発音形式としての適切さ」を 5段階評価してもらったのだそうだ。 「完全に適切」(voll angemessen)、「十分に適切」(weitgehend angemessen) の 2 つが肯定的な評価(「+」と表記)、 「完全に不適切」(ganz unangemessen)、「十分に不適切」(weitgehend unangemessen) の 2 つが肯定的な評価(「ー」と表記)、 中間的なものを「はっきりしない」(neutral) とし、「+」評価、「ー」評価、中間評価と 3 つにわけて百分率で示してある。
Mädchen
Umfrage: [ɛ:] vs. [e:]
• Gesamt (ohne Norddeutschland & Österreich)
— ˈmɛ:tçən
+77 % 10 % −13 %
— ˈme:tçən
+63 % 10 % −27 %
• Norddeutschland
— ˈmɛ:tçən
+57 % 26 % −17 %
— ˈme:tçən
+78 % 13 % −9 %
• Österreich
— ˈmɛ:tçən
+61 % 8 % −31 %
— ˈme:tçən
+77 % 15 % −8 %
Quelle: Duden: Das Aussprachewörterbuch. (2015: 572)
まず、これはとても分かりにくい表記だと思う。 +77 % 10 % −13 % という のは、この発音を「形式的な発話状況」で使って「完全に適切」、「十分に適切」と思った人が合計して全体で 77%いた、という意味だ。 それに対して、「完全に不適切」、「十分に不適切」と思ったのは合計 13%。中立的、つまり「どちらでもない」という判断をした人が 10%。 それで、77+13+10=100 となる。私は、この表記を見た時に、(+77)+(10)+(−13)=74 というのは何のことだろう、と思った;-)
この数値、どの程度信じられるものだろうか? まず、上でも指摘したように全体の人数がわからない。 「全体」といって「北ドイツ」と「オーストリア」を除いた人数は何人で、 「北ドイツ」と「オーストリア」の人数は何人かが不明だ。
第 2 に、オンラインでのアンケートの信頼性がある。 同じ人の複数回の参加をどうやって防止しているのか、 信頼性はどの程度確保できるのか、地域性はどのようにして確定しているのか(自己申告か、複数回居住地を変えている人をどう扱っているのか)、 など疑問はつきない。
そして、一番注意しなければならないのは次の点である。 「形式的な発話状況」での「適切性」を音を聞いて判断する、ということになっているが、 これは「言語音を聞いた時に感じる」印象を尋ねているだけである。 実際に「これだけの割合の人たちが、このように発音しているということではない」。 つまり、ここで見られる数値の意味は、「受動的な意識の違い」 でしかない。 実際に発音の違いを聞き分けることができる人でも、その個々の音を発音できるとは限らない。 少なくとも音声に関しては、人間の知覚と産出は等しくない。
さて、これまでいろいろな所で参照してきた Duden: Die Aussprachewörterbuch だが、あるドイツ人言語学者と話していた時に「あそこまで規範的な辞典である必要はないのに」という意見を聞いた。 確かに、例えば今でも als の語末の音を歯茎摩擦音の [s] で示しているだけで、歯擦音 [ʦ] の表記はない。 Walkman や Walking の 語頭の子音を [v] と書いているのも、おやおや、と思わせる。 まあ、どのような観点でどこまで規範を求めるのか、というのは難しい問題である(そういえば、この第7版からは、1つの音を示すのに使われた [͜ ] が使われなくなった。だから、[͜ts] ではなく、[ts] と記されている)。 それでも Krech, E.-M./Stock, E./Hirschfeld, U./Anders, L. Ch. (2010) Deutsches Aussprachewörterbuch. Berlin: de Gruyter. ほど規範性は強くない。 まだ全部読んだわけではないが、前半のドイツ語の発音部分の解説には、 ずいぶん現実のドイツ語の発音についての情報が増えたし、 コラムの中には、現実の発音の状況を解説するものもある(例. S. 678, <pf->-Aussprache im Wortanlaut)。
13万2000語以上の語を収録(背表紙の情報)、とのことだが、前の版もおよそ13万語の語を収録と言っていたので、実はそれほど収録語彙が増えたわけではない。 音声が聞けるソフトウエアに収録されている語は、その十分の一以下の1万2000語だ。 downloaden の音声は収録されていないが、なぜか skypen の音声は入っている。 呼びかけの Hi ! の発音記号が [ha̭ɪ] だが、収録されている音声は [hi:] なっている。 表紙のシールに書いてある Vertonung とか Downloadcode は、この辞書には載っていないのでご注意。不思議なところはいろいろある。
それでも、本の辞書としてははるかに見やすくなった。本の幅が若干広くなり、フォントの間隔がわずかだがふえたのだろう。
辞書本体の前についているドイツ語の発音に関する説明は、以前よりずっと親切なものになっている。
これで、この第 6 巻も、ようやく現代の Der Duden in zwölf Bänden
の仲間入りをした感じになったのは間違いない。
価格: 29,99 €(D), 30,90 €(A)
参照 URL http://www.duden.de/
『アクセス独和辞典』で熟語を調べる話 [02/11/2014]
もう一年以上前に書いた以下の「電子辞書を買い換えた話」の中で、
EX-word XD-7100 に採用された『アクセス独和辞典』(第3版)で熟語が以前採用されていた『クラウン独和辞典』に比べて少ない印象を受ける、
という話を書いた。
その後、たまたま『アクセス独和辞典』の執筆者の一人と話をした時、
「schmutzige Wäsche waschen は成句としてちゃんと載っていますよ」
という指摘を受けた。ポイントは「成句検索」を使うことだ。
「成句検索」を選んで、例えば 「schmutzig & wasche」
のように &(アンパーサンド)でつないで 2語を検索エリアに入力すると、
以下のように表示される。
【*Wä⋅sche】
▶schmutzige Wäsche waschen
((口語))内輪の恥を人目にさらす
出典:『アクセス独和辞典』第3版、三修社。
前回やったように「例文検索」で「schmutzig & wasche」 を検索エリアに入力すると、以下のようになる。
【**schmut⋅zig】
▷schmutzige Wäsche
汚れた下着
出典:『アクセス独和辞典』第3版、三修社。
少し解説しておく。 「成句検索」に登場するのは、紙の辞書でも各語彙項目の最後にまとめて記載されている成句の部分であるのに対して、 「例文検索」では、その成句の部分ではなく、本文中の表現が対象になる。 ここでは、Wäsche という項目を辞書で調べると、 そこの成句には、schmutzige Wäsche waschen が載っている。 それに対して schmutzig を調べると、本文の中に schmutzige Wäsche が載っている。
ここから分かることは、『アクセス独和辞典』の電子辞書版は、 あくまでも例文検索で出てくるのは、本文記述の中の表現であり、 中には文になっていないような句の実例も含まれる、ということだ。 そして、もし成句の部分に例文が載っていても、 それは「例文検索」にはひっかからないということらしい(すぐ後に反例あり)。 そうすると、成句の例文は「成句検索」で探す、というのが『アクセス独和辞典』電子辞書版の使い方らしい(すぐ後の反例から判断すると、そうでもないかもしれない)。 私の使い方が悪かった、ということで schmutzige Wäsche waschen もちゃんと『アクセス独和辞典』電子辞書版に載っていました、ごめんなさい。
しかし、新しい使い方をマスターして『アクセス独和辞典』電子辞書版を使い始めたところ、 実は「例文検索」でも成句に載っている例文が表示されるものもあることに気がついた。 例えば、sich4 gewaschen haben は成句として載っている。「成句検索」で gewaschen で検索すると、[B] に出てくる。 ここでの記述は、以下の通り。
【**wa⋅schen*】
▶sich4 gewaschen haben
((口語))(試験・罰などが)きびしかった,きつかった
▷Die Prüfung hat sich gewaschen.
その試験はすごく難しかった
出典:『アクセス独和辞典』第3版、三修社。
今度は、「例文検索」で gewaschen で検索してみると、8つがヒットする。 そして、8つ目 [H] には、なんと成句に載っている例文が登場しているのだ。 そこでは、成句の見出しと和訳を取った形が表示される(およそ以下のように)。
【**wa⋅schen*】
▷Die Prüfung hat sich gewaschen.
その試験はすごく難しかった
出典:『アクセス独和辞典』第3版、三修社。
全体ではどうなっているのか気になるところだが、ユーザーとしては、 『アクセス独和辞典』電子辞書版で例文、あるいは実例の句を調べたい時、 初めから熟語であることを確信できる場合は「成句検索」から始め、 どちらかよく分からない時はまず「例文検索」をし、 見つからなかったら検索画面で上向きのカーソルを押して「成句検索」するような使い方を想定しているようだ。
個人的には、熟語は『独和大辞典』で最初に調べる。それでも見つからない時には、 これまでは独独辞典で調べていた。 『アクセス独和辞典』電子辞書版の「成句検索」を使うことを覚えたので、 この頃は時々使ってみる。先日、およそ以下のような文があった(若干簡略化した)。
Doch kommt der Wasserkraft im Zuge der Energiewende wieder eine bedeutende Rolle zu.
文の構造は zukommen が作っているが、 間に入っている im Zuge der Energiewende をどう訳すか、 ちょっと思案した。『独和大辞典』の例文検索で、 im & Zuge としてヒットする 4件の例では、2格が後続する例が見つからない。 『アクセス独和辞典』電子辞書版の「成句検索」で見ると、2件ヒットし、 2番目に「▶im Zuge+((2格))」があり、 以下のような記述があった。
【**der Zug】
▶im Zuge+((2格))
…2の過程で
▷im Zuge der Rationalisierung
合理化の流れの中で
出典:『アクセス独和辞典』第3版、三修社。
Zug は、動詞 ziehen の名詞なのでたくさんの意味があり、和訳する時には頭を悩ます。 ここでは、『アクセス独和辞典』にならって、例えば「エネルギー大転換の流れの中で」という和訳ができそうだ。
なんで例文にこだわるのか、というと、該当の語や句の本当の使い方を知る近道だからだ。 特定の表現を使いこなすためには、独和辞典の示す日本語対応表現では分からない。 上で挙げた sich gewaschen haben は、『独和大辞典』では、 例文検索で 2つひっかかる。最初の例は、句の形で書かれているだけで、ほとんどなにも分からない。 2番目の例では、Ohrfeige とか Prüfung を対象にして使えることが分かる。
【waschen*】
•sich4
gewaschen haben
((話)) すごい<すさまじい>ものである
出典:『小学館独和大辞典』第2版
【waschen*】
・eine Ohrfeige <eine Prüfung>, die sich gewaschen hat
((話)) したたかな横びんた<ものすごく難しい試験>
出典:『小学館独和大辞典』第2版
もっと情報を得たい時は、やはり独独辞典を調べるしかない。例えば、 Ex-word XD-N7100 には、 Duden Deutsches Universalwörterbuch. 6. Auflage が標準で入っているので、ここで「成句検索」で、 sich & waschen を入力すると、 以下のような記述がでてくる。
【wạ|schen】
*sich gewaschen haben
(ugs.; von äußerst beeindruckender [u. unangenehmer] Art sein ):
die Klassenarbeit hatte sich gewaschen; eine Ohrfeige, Strafe, die sich gewaschen hat;
Quelle: Duden Deutsches Universalwörterbuch. 6. Auflage
ここでは、 Ohrfeige(平手打ち、びんた)、 Strafe(罰)、 Klassenarbeit(授業中の課題) が主語になりうることが分かる。 意味の説明は、 beeindruckend(強い印象を与え)、 [u. unangenehm](そして不快なこともある) との説明になっている。ここまでくると、他の辞書も見たくなる。 Langenscheidt の辞書では、以下のようにあっさりと熟語扱いしていた。 主語の候補には Strafe(罰)の他に Prüfung(試験)が入っている。 この用法では、要するに主語は人間以外のある種の「課題」や「罰」であるようだ。
ID etwas hat sich gewaschen
gespr ;
etwas ist besonderes streng <eine Strafe, eine Prüfung>
Quelle: Langenscheidt Großwörterbuch Deutsch als Fremdsprache.
ずるずると『アクセス独和辞典』の話から横道にそれてしまった。 『アクセス独和辞典』電子辞書版の話は、これにておしまいです。
ここからは余談。
気になったので Lutz Röhrich
の Lexikon der sprichwörtlichen Redensarten.
も見てみたが、たいした説明は載っていなかった。
ようするに、人間が主語の時に、「Xは自分の体を洗った」の意味なので、
その結果の反映として「Xはすごいやつだ」(tüchtig)
という意味ができたとか。それが、強意表現として機能するようになった、
と言いたいらしい。
「あの試験は、自分を洗っちゃったぜ。」と言って「すごく難しかった」の意味を出すというのは、 日本語ではちょっと無理。 「あの試験は自分に磨きをかけていたよ」 いうと、近寄りがたい印象が出て、多少は想像できそうだ。 ただ、この表現は、「擬人化したジョーク」として解釈されるのがオチだろう。 また、「磨きをかける」というのは、日本語では基本的にポジティブな表現で、 「難しすぎる」とか「厳しすぎる」という「度を超えて不快」な意味はない。
↑電子辞書を買い換えた話(EX-word XD-N7100) [19/06/2013]
2007年3月に、EX-word XD-GW7150 を購入して以来、 一回アップデートをしたものの、その後はずっとそのまま使い続けていた。 一部の周囲の人達が、新機種を使っているのは横目で見て知っていたが、特に魅力も感じずにいた。 2012年にEX-word のドイツ語版が、 『クラウン独和辞典』から、『アクセス独和辞典』に切り替えたという話を聞き、 「アクセス独和ってどうなんだろうか?」という相談を受けた。 「語彙数は多いよね」というのが当時の私の(しようもない)率直な答えで、 実際にそれ以外の面ではどうなのか、気になっていた。
6年間経って、新しいモデル(EX-word XD-N7100)を買う気になった動機はいくつかあるが、 液晶がカラーになり、ただの文字表示も白地に黒となり見やすくなったこと、 標準で、Duden Deutsches Universalwörterbuch が付属するようになったこと、 百科事典に画像情報が付くようになったことなどがあげれれる。
簡単にスペックを比べてみる(様々なタイプの電池に対応した新機種の細かいスペックには触れない)。
まずは、液晶表示
旧:XD-GW7150: 5.5型(縦73.1mm×横119.9mm) 480×320フルドットマトリックス液晶表示
新:XD-N7100: 5.3型 タッチパネル(5.0型528×320ドット TFTカラー液晶)
大きさと重さ
旧:XD-GW7150: 奥行き109.9×幅150.5×高さ17.2mm (閉時、最薄部)、高さ20.9mm(閉時、最厚部)、約320g(電池込み)
新:XD-N7100: 奥行き105.5×幅148.0×高さ15.8mm (閉時、最薄部)、高さ18.6mm(閉時、最厚部)、約290g(電池込み)
電源と電池寿命
旧:XD-GW7150: 単4形アルカリ乾電池LR03(AM4)2本、電池寿命: 約130時間(英和辞典の訳表示で連続放置、バックライト消灯時)
新:XD-N7100: 単3形アルカリ乾電池LR6(AM3)2本、電池寿命: 約130時間 (英和辞典の訳画面で連続表示時)
最後に本体メモリ容量
旧:XD-GW7150: 約50MB
新:XD-N7100: 約100MB
こうして並べてみると一目瞭然。新機種の XD-7100 の方が小さいのである。 しかも、電池が単4から単3になったにもかかわらず XD-7100 の方が、 30g 軽い。そして、本体メモリは、約50MB が約100MB へと倍増した。 コンピュータ関連のハードウエアの進歩を見ると、6年で生じた差としては、まあ当然ではある。
さて、 XD-7100 に収録されている『アクセス独和辞典第3版』 を、 XD-GW7150 に収録されている『クラウン独和辞典第3版』と比べてみた。 といっても、毎日、いろいろな調べ物をする時に2つの辞書をひいて比べるというようなことはしていない。 たいていは、『小学館独和大辞典第2版』で間に合ってしまうからだ。 2月末に新機種を購入して、時々使ってみた感想程度のものだ。
ここでは、『アクセス独和辞典第3版』を『ア』、『クラウン独和辞典第3版』を『ク』と略記する。
これまで3ヶ月強使っての感想は、以下の3つに集約される。
(1) 『ア』は、『ク』に比べて例文が少ない、
(2) 『ア』は、『ク』に比べて熟語がかなり少ない、
(3) 『ア』は、『ク』より新語を多く載せているが、用例はほとんどない。
もちろん、「量」の差がすべてではなく、「質」こそ問われるべきである、 という考え方には一理ある。ただ、学習者にとって、熟語だと思って調べてみると載っていない、というのは大きな問題である。
先日、出てきたのは、次の文。
Meine Damen und Herren, es ist nicht meine Art, in aller
Öffentlichkeit schmutzige Wäsche zu waschen, aber [...]
Nele Neuhaus Wer Wind sät, S.202.
スピーチをしている場面で、schmutzige Wäsche waschen (「汚れた下着を洗う」)わけはない。「ほらね、こういう時は、熟語だと疑ってみるんだよ」 と言って、学生が『ア』で調べると、 「schmutzige Wäsche 汚れた下着」 と出てくる(schmutzig の項目)。 電子辞書の場合には、用例検索をするのだが、これしか出てこない。
『ク』で用例検索すると、 「¶schmutzige Wäsche einweichen 汚れた洗濯物を洗剤につける.」というのと、 「¶[seine] schmutzige Wäsche [vor anderen Leuten] waschen (話)[人前で]恥をさらす.」 という2つが出てくる。もちろん、ここでは、この2つ目が正解だ。 ちなみに、『小学館独和大辞典第2版』では、用例検索をすると6つの関連表現が出てきて、 その最後に、 [vor anderen Leuten] seine schmutzige Wäsche waschen 「((話))[無関係な第三者の前で]私的な不快事をぶちまける,[人前で]内輪の恥をさらけ出す」 という説明が載っている。
上記の本の同じページに、さらに以下のような部分があった。
Geschickt gekontert, dachte Bodenstein und war nun selbst gespannt, was die Bürgerinitiative
in petto hatte.
Nele Neuhaus Wer Wind sät, S.202.
etwas in petto haben というのは、『小学館独和大辞典第2版』 では、用例検索でpetto だけを入れても出てくる。 「((話))…をもくろんで〈する気で〉いる」という説明がある。『ア』では、 用例検索で petto と入れても、 in & petto と入れても、 inpetto と入れても「該当する候補がありません」 と言われる。 無いのかな、と思うと、見出し語検索で inpetto とスペースを入れずに入力すると不思議や不思議、ちゃんと出てくる。 おやーっ、変ですね。「►【4格】+in petto haben 「((口語))…4 をもくろんでいる,胸に秘めている」という説明がついている。
では、『ク』はどうか。
用例検索でpetto と入れると、一発で
¶ et4 in petto in petto haben「((話))…をもくろんで〈する気で〉いる」
と出てくる。『ク』は、『ア』より熟語の面では充実しているなあ、と思いつつ、
よく見るとなんだか変。
見出し語で inpetto と入力すると、おっとびっくり!
「(イタリア語)(im Herzen)((次の成句で))
et4 in petto in petto haben
[何]4 を胸中に抱いて(もくろんで)いる.」となった。
目を疑ったが、et4 in petto in petto haben
となっているのだ。別に繰り返さなくてもいいのに...(in pettoが2つもある!もちろん間違いだ)。
ということで、口語的な慣用句を2つ例に『ア』と『ク』を比べてみた。 これ以外にも、10個前後の慣用句で比較してみても、 『ア』には載っていないことが多いことも分かってきた。 どれくらい意味のあることか分からないが、『ア』の用例検索で nehmen と入れると、229件ヒットし、 『ク』の用例検索で nehmen と入れると、414件ヒットする。 まあ、用例としてはこれくらいの数の差があるように思える。
もう1つ気になっていたのは、Duden Deutsches Universalwörterbuch のカシオ電子辞書版が、実際の記述より少ないのではないか、という一部の利用者からの声だ。 目下、Vine Linux 6.1 (Pape Clement) で、 Office Bibliothek を使い、 購入した Duden Deutsches Universalwörterbuch も使用しているので、それと比べてみることにした。 これも、体系的に大規模に比べるのではなく、 つまみ食い的にいくつかの項目を比較するだけなのでご容赦。
つまみ食い的に warnen, fürchten, fürchterlich を見ても特に違いがない。それならと、さっき見た nehmen はどうか。 すると、
1. b) R woher n. und nicht stehlen?
3. b) sich<Dativ> nicht n. lassen, etw. zu tun
9. *etwas auf sich n.
12. b) einen n.
14. b) R wie mans n.
*jmdn. nicht für voll n.
これらが XD-7100 の Duden
Deutsches Universalwörterbuch
には無い、いや、一見無いようにみえる。
実は、液晶画面の右上に赤字で四角に囲まれた[成句]と書いてあるのがヒントで、
手元の液晶画面で[成句 複合語]という表示をタップすると、成句の部分だけが出てくるようになっているのだ。
だから、例えば、nehmen の項目に行った後で、
[成句 複合語]表示をタップして慣用句だけをまとめて見ることができる、という仕様なのだ。
一見まびきされているように見える
XD-7100 の Duden Deutsches Universalwörterbuch
だが、実は間引きされていないのではないか、と思うようになった。
もちろん、もっと多くの項目を検証する必要はある。
Duden Deutsches Universalwörterbuch の記述が間引 きされていないとしても、例えば、上の例だと、 1. b) R woher n. und nicht stehlen? などは、[成句 複合語]表示をタップしてみても、これ以上何も出てこない。 紙媒体の辞書でも実は同様で、何の説明もない。 Duden Deutsches Universalwörterbuch は、このような辞書なのだ(つまり、「外国語としてのドイツ語」を意識していない)。
そんな時は、もちろん『小学館独和大辞典第2版』で用例検索をする。 今回は、woher & nehmen を入れると5件ヒッ トするが、面白いことに上から2番目から4番目までがほぼ同じ結果となる。 具体的には:
Woher nehmen und nicht stehlen?
Woher nehmen und nicht stehlen?
Woher nehmen und nicht stehlen!
となって、上から順に、
nehmen の項目に現れ、
「((話))そんなものは盗みでもしなければ手に入れようがない」
stehlen の項目に現れ、
「((話))いったいどうやって都合したらいいだろう(必要な物がなくて困った時の表現)」
woher の項目に現れ、
「((話))さてどうやって手に入れたものか」
という和訳(+説明)が載っている。使う立場からすると、2番目の解説が一番親切だ。
こういうのは、辞書の執筆者がそれぞれの項目で違っていた証なのだろう。
すべてが、それぞれ状況に応じて可能な訳になっているところが面白い。
さらに、『ク』では、
「¶((話))そんな金(もの)ないよ、盗みでもしなけりゃ.」という訳がついている。
scherzhaftな感じは出ているが、ちょっと誤解を招きそうな訳である。
ちなみに、Langenscheidt の e-Großwörterbuch Deutsch als Fremdsprache 4.0 には、 ちゃんと以下のような説明が載っていた。
Woher nehmen und nicht stehlen?
gespr; verwendet, um auszudrücken,
dass man etwas nicht hat und auch nicht weiß, wie man es bekommen soll(te)
Quelle: e-Großwörterbuch Deutsch als Fremdsprache 4.0
ドイツ語の一部の収録辞典の話しかしなかったが、 XD-7100 は実に盛りだくさんな内容だ。国語辞典系には、『明鏡国語辞典』が入ったのはうれしいし、 『角川類語新辞典』もなかなかよい。 『クラッシック名曲2000フレーズ』なんていうのは、曲の頭出しクイズに挑戦する人にはぴったりだ(暇つぶしができる)。 『世界文学1000作品』も、タイトルからするとすごいと思うが、 Goethe の作品を選んでも英訳が出てくるので注意しよう。 ドイツ語版の電子辞書じゃあなかったの、と思わず心の中でつぶやいてしまった。
↑ドイツ語の長い単語の新種は Eierköpfer の新種だった。 [05/02/2013]
先日、夕食の席で「こんなの知ってる?」という例の話が始まった。 ドイツ語では、ながーい単語を比較的簡単に作ることができる。昔から有名 なのは、Donaudampfschifffahrtsgesellschaftsraddampferkapitän みたいなやつだが、これも、まだまだ長くできる。 Donaudampfschifffahrtsgesellschaftsraddampferkapitänskajütentürsicherheitsschlüssel みたいに、「分かち書き」せずにつながっていくところがミソ。 英語では、「分かち書き」してしまうのが普通なので、 せいぜい antidisestablishmentarism 位だろう、というのがその場での話題の一部だった。 日本語も分かち書きせずにながーい単語が作れる言語だが、 平仮名が間に入るとちょっと間延びした感じになる。
今回、教えてもらったのは Eierschalensollbruchstellenerzeuger だったが、ネット上では、 Eierschalensollbruchstellenverursacher が圧倒的に多かった。この単語は、そんなに長くない。 それでも38文字。そして、現実に商品として存在するところがすごい。
どんな器具かというと、朝食の時のゆで卵を適切な位置で殻にきずを付けて割ってくれるもの。 普通、朝のゆで卵は、ナイフの背などでカチカチと叩き、 卵の殻に傷をつけて割るのだが、なかなかきれいに割れない。 これをきれいに簡単に割ってくれるのが、この道具。 「馬鹿らしい」というコメントも多くあるが、面白い器具ではある。 後にリンクされている動画を見れば分かるが、使い方によっては、 頭の殻を完全に切り落とした状態にしたり、生卵を割るのにも応用できる。
さて、まず
Eierschalensollbruchstellenverursacher
の漢字を使った和訳を考えてみた。
(1) 「卵殻予定破損箇所生起具」(らんかく・よてい・はそんかしょ・しょうき・ぐ)
(2) 「卵殻予定破損箇所生成器」(らんかく・よてい・はそんかしょ・せいせい・き)
どんなもんでしょうか?
簡単にドイツ語の単語の説明をしておくと、 Eierschale が「卵の殻」、 Bruchstelle は「破壊箇所」、 Soll- は、 Sollkaufmann 「登記による商人」とか Soll-Stärke 「予定員数」とかいう時の 「未来」に関する意味を付加する要素。 そして、最後の Verursacher は「原因となるもの、引き起こす物」。
Google で検索すれば、 いろいろな説明や写真、動画が見つかる。 説明としては、例えば、http://de.wikipedia.org/ の Eierköpfer には YouTube の動画へのリンク Clack - der Eierschalensollbruchstellenverursacher がある。 ここで紹介されているのは、 Take2 Designagentur GmbH & Co. KG の製品。この会社、いろいろ変わったデザインの器具を作っていて面白い。
その他には、http://www.stupidedia.org/stupi/Eierschalensollbruchstellenverursacher なんていう説明もあった。 ドイツのアマゾン http://www.amazon.de/ で Eierschalensollbruchstellenverursacher を検索すれば、製品一覧が出てくる。値段としては、20 Euro 前後で買えそうだ。 1ついかがでしょうか?
この単語を使って、Gestern habe ich einen Eierschalensollbruchstellenverursacher gekauft. とか言ってドイツ語の練習をするのはいかがでしょうか ;-) Hast du gestern einen Eierschalensollbruchstellenverursacher gekauft? なんていうのも楽しいかもしれません。
ちなみに、Eierköpfer というのは、 直訳すると「卵の頭切り道具」。 この名詞を作り出している元は、köpfen。 この動詞は、『独話大辞典』によれば、他動詞では、 「1. (…の)首をはねる、斬首する、2. (サッカー)ヘディングする、 3. <et.4> (…に)見出し<標題>をつける」 という意味があるので、語尾に -er を付けることで、「〜する人、〜する物」になる可能性があります。 そこで、「卵の頭を切り落とす物」になりました (Eier + köpfer)。
ただし、Eierkopf は、 「1. (話)卵形の頭、2. (話)おろか者、3. (話)(世間知らずの)知識人、学者、4. = Egghead(= (軽蔑的に)インテリ)」(『独話大辞典』)という意味。 この単語に、-er が付いたのではありません。念のため。
↑Haselnuss を食べる [11/01/2013]
Haselnuss は、近年では「ヘーゼルナッツ」と呼ばれることが多いが、 辞書を見ると「ハシバミ」とか、「ハシバミの実」と書いてある。 「ヘーゼルナッツ」という呼称は、英語の hazelnut から入ったものだが、 チョコレートやアイスクリームなどに入れたれたものが知られるようになって広まったような気がする。
昔、グリム童話の「灰かぶり」(Aschenputtel:≒「シンデレラ」)を読んだ時、 「ハシバミの木」(Haselbaum)が出てきて不思議に思ったものだった。 それは、こんな風だった。以下に3箇所引用する。
„Vater, das erste Reis, das Euch auf Eurem Heimweg an den Hut
stösst, das brecht für mich ab.“
Er kaufte nun für die beiden Stiefschwestern schöne Kleider,
Perlen und Edelsteine, und auf dem Rückweg, als er durch einen
grünen Busch ritt, streifte ihn ein Haselreis und stiess
ihm den Hut ab. Da brach er das Reis ab und nahm es mit.
Kinder- und Hausmärchen, Jacob Grimm und Wilhelm Grimm, KHM 21
お母さんが死んでしまい、継母が2人の娘を連れてやってきた。 ある時、父親が市(Messe)へ行く時、 何が欲しいかを娘たちに尋ねた。義理の娘たちは、美しい服と、真珠と宝石をねだるが、 灰かぶりは、その時、帰り道で帽子にぶつかった最初の枝を持ってきてくれ、と頼む。 帰り道で帽子にぶつかった枝は、 「ハシバミの枝」(Haselreis)で、それをお父さんは持ち帰る。
Als er nach Haus kam, gab er den Stieftöchtern, was sie sich
gewünscht hatten,
und dem Aschenputtel gab er das Reis von dem
Haselbusch. Aschenputtel dankte ihm,
ging zu seiner Mutter Grab und pflanzte das Reis darauf, und
weinte so sehr, dass die Tränen darauf niederfielen und es
begossen.
Es wuchs aber, und ward ein schöner Baum. Aschenputtel ging
alle Tage dreimal darunter, weinte und betete, und allemal
kam ein weisses Vöglein auf den Baum, und wenn es einen Wunsch
aussprach, so warf ihm das Vöglein herab, was es sich
gewünscht hatte.
Kinder- und Hausmärchen, Jacob Grimm und Wilhelm Grimm, KHM 21
ハシバミの藪(Haselbusch)から持ってきた枝を、 父親は灰かぶりにあげる。灰かぶりは、お母さんのお墓に行き、その枝を植え、 そこで泣いたら、涙がその枝の上に落ち、その枝に注いだ。 ハシバミの枝は、大きくなり美しい木になる。 灰かぶりは、毎日3回ハシバミの木のもとへ行き、 泣いてお祈りをする。すると毎回白い小鳥がやって来て灰かぶりが望みを口にすると、 そのたびに小鳥が望む物をこちらへ投げ下ろしてくれる。 ハシバミの木と白い小鳥が、あたかもお母さんの化身のようで、 望むものを灰かぶりにくれるのだ。
Als nun niemand mehr daheim war, ging Aschenputtel zu seiner Mutter Grab unter den Haselbaum und rief:
„Bäumchen, rüttel dich und schüttel dich,
Wirf Gold und Silber über mich.“
Kinder- und Hausmärchen, Jacob Grimm und Wilhelm Grimm, KHM 21
3番目の引用箇所では、灰かぶりが2人の義理の姉妹がパーティー(Fest) に出かけてしまった後で、 ハシバミの木(Haselbaum)の元のお母さんのお墓の所にやって来て、 お願いをする場面だ。「ちいさな木さん、体を揺すって、私のところに金と銀を投げておくれ」 みたいにお願いをする。 ハシバミの木は、以後の本文で、「ちいさなハシバミの木」(Haselbäumchen) とも言われている。 もちろん、 ハシバミ自体が、Haselstrauch と呼ばれるところから、低木であることが分かるが、 いったいどんな木なんだろう、と不思議に思っていた。
インターネットの普及で、簡単に画像の検索ができるようになり、Haselbaum でも、「ハシバミ」でもさまざまな画像が見れる。 例えば、http://www.google.co.jp/search?q=haselbaum&hl=ja。 電子辞書で見てみると、 「榛」(Corylus heterophylla var. thunbergii) となっていて、「カバノキ科の落葉小高木」で、セイヨウハシバミは、 Corylus avellana となっており、 食用に栽培されているそうだ。
ハーゼルナッツの実物を見てみたいと長い間思っていたが、 ドイツのあるローカルなスーパーマーケットでミックスナッツ(Mischnüsse)の袋を発見。 この中に、 クルミ(Waldnuss)、 殻付きアーモンド(Krachmandel) と並んで入っていた。後ろの原産国表示を見ると、 このハーゼルナッツ、産地はフランスで、種類は Barcelona だそうだ。
試食する前に、さっそく記念撮影。 割ってみると、うーん、これは「どんぐり」の大きいやつに似ている。 殻は厚くなく、パリッと割れ、中から出てきたのは、薄皮に包まれたやつ(これもドングリそっくり)。 パクリと半分食べたら、白っぽい中身が見えた。
このMischnüsse、 ハンブルクのnutwork Handelsgesellschaft mbh の製品。 nutwork がホームページだ。
気がつくとクルミだけをせっせと食べてしまい、残ったのがヘーゼルナッツとアーモンドになった。 アーモンドは、殻がものすごく硬い。 クルミ割りのさまざまな器具を使ってみたが、 まったく歯が立たない。しようがなく、石の上で横の「繋ぎ目」(?)を立てにして金槌で叩いて、 ようやく割ることができた。割ってみると、 中からは薄いたよりないアーモンドが登場。 日本で売っている「殻付きアーモンド」は、 外の厚い殻はすでに取り去ってあるもので、その下の薄皮だけが残っているもののようだ。 これだと、簡単に手で割れるのだが。
ヘーゼルナッツは、簡単に割れて食べやすいのだが、 続けて食べていると「それほど感激するような味」ではないので、 手が止まってしまう。チョコレートやアイスクリームの中に入れたものの方が、はるかに美味しく感じられる。
せっかくなので、自宅にあった日本産の殻付きピーナッツと、 先日、日本のスーパーマーケットで発見した「殻つきでローストされている」マカデミアナッツと一緒に記念撮影をした。
左側にあるのが、マカデミアナッツ。 原産国はオーストラリア、製品は、「マカデミア」という名前で、 販売者は (株)ハードナッツインターナショナル。 売り込み文句は、「世界一硬い殻の木の実を割って食べよう! 殻つきのまま、こだわりローストした香ばしくおいしいマカデミアナッツです。」 と言うだけあって、これも金槌がないと割れない。 殻割り器(クラッカー;ドイツ語で Nussknacker と言うと、「クルミ割り器」になってしまう)で割ると、カッキーンと割れるそうだが、 自宅にあるのはプラスチック製の殻割り器のため、マカデミアナッツは割れない。 ホームページを見ると、どうやら「マカデミアナッツ」と殻割り器をセットでも販売しているようだ。 マカデミアナッツのロースト、味は、後を引く美味しさだ。
(株)ハードナッツインターナショナルのホームページ曰く、 「海外では、物を壊すことの快感を活かした心理療法として破壊セラピーがあるそうです。 マカデミアナッツが、“カッキーン”と割れた瞬間の気分は最高! ストレス発散にも最適です。 」 そう、確かに「破壊セラピー」でストレスが発散できるのは、世界的に知られているところだ。 大切な物やパブリックな物を壊されては困るが、ナッツ程度なら安全だ。
右端に置いたのが、殻付きアーモンド(Krachmandel)。 さっき上で説明したように、これも相当硬い。 この写真ではよく分からないが、この殻付きアーモンドは、 全体としては薄べったいアーモンドのような形をしていて(当たり前か)、 マカデミアナッツやハーゼルナッツのようにおおむね球体をしているわけではない。 この写真だと、クルミにも多少似て見えてしまうが、ぜんぜん違う。
中央の下がヘーゼルナッツで、中央の上がピーナッツ。 日本産の高級落花生は、輸入物のピーナッツと比較すると味が断然「濃い」。 ただし、相当値段は高い。 単純に人件費の差なのだろうか? 多くの「柿ピー」では、輸入物のピーナッツが使われていて、 ピーナッツの味はこんなもんだ、と思ってしまうが、 日本産の殻付き高級落花生を食べると、その味の濃さには感動してしまう。 実は、ちょっと見回すと、いろいろな違いのある物が無造作に転がっていたりするのだが、 何も考えないでお手軽に「いつもの物」に手を出している限り、 目には入らない。
↑Schirach を読む [09/06/2012]
日独協会「ドイツ語圏文化セミナー49」:酒寄進一氏による<ドイツミステリが熱い!!> で、Ferdinand von Schirach を勧めるにあたって、 まずは、Verbrechen (2009) を、そして、次に Schuld (2010) を読んだ。短編集なので、がちっとした長編を読まないと読んだ気がしない、という人には向いていない。 自ら、刑事弁護人 (Strafverteidiger) でもあるという著者 Ferdinand von Schirach だが、 読んでびっくりするのは、その飾り気のないコンパクトなドイツ語表現だ。
これなら、中級ドイツ語の授業でも読めるかな、と最初は思ったが、 内容的には赤裸々な犯罪が描写されているので、残念ながら授業に使うのは難しそうだ。
Schuld (2010) の背表紙には、 Welt am Sonntag に載った書評の一部が紹介されているので以下に引用するが、 この一文がSchirach の文体を的確に要約しているように思う。
»Da sitzt jedes Wort, da ist alles an seinem Platz, Poesie durch
Klarheit.«
Benjamin von Stuckrad-Barre, Welt am Sonntag
つまり、すべての語がぴったりとはまっていて(sitzen)、 あらゆる語が適所に配置されている(alles an seinem Platz)。 そして、明晰さが(あたかも)Poesieを作っているかのように感じられる。 「詩的」かどうかは定かではないが、2冊読んでみて、少し感想が変わった。
「その飾りのないコンパクトなドイツ語表現」と言ったが、 意外にもかなりの「ある種の読解力」がないと読めないのだ。 一体何に悩まされたか、というと:
(1) 突然、場面がとぶ。
(2) 代名詞が指すものがすぐに分からないことがある。
(3) 話し手の視点が理解できない。
たとえば、Ausgleichという作品(Schuld (2010:171)) の中では、突然 An Weihnachten begann es. で始まるパラグラフがあるが、このパラグラフを読んでも、 es の正体は分からない(もちろん、勘のいい人には分かる)。 まあ、日本語でも、「クリスマスの時にそれは始まった。」と言って、 「それ」が何かをすぐに言わない、というテクニックは成立するし、 実際に使われていると思う。次のパラグラフは、 Er machte es stumm. で始まる。 er は、Alexandra の夫なのだが、 名前は出てこず、ずーっと er のままだ。 ここでの es の正体は、その次の文 Er hatte früher geboxt und wusste, wie man schlägt, um wehzutun. を読んで推測することで間接的に理解できる。
結果として、平易な文章なのにもかかわらず、緊張感を持って読むことを読者に強いることになる。 簡潔で緻密な描写がなされていると思ったら、次の瞬間、まったく何が起こったのか説明されていない。 このアンバランスが、「えっ、何?」、「ここはどこ?」という感覚を増長する。
「いったい何が犯罪なのか?」、「いったい何が罪なのか?」という問題を考えさせる2冊の本だが、 読んでいて楽しいものではない。しかし、この手の話は、読み始めると先が知りたくなりやめられなくなる。 そして、もちろん「刑事弁護人という視点から事件を見ると、こう見える」という世界が新鮮だ。
世界には、きっと、まだまだ一般には知られていない(興味深い)視点があるのではないか、 そんなことを考えさせる本であった。さて、もう1冊読もうかなあ…。
↑Tee vs. Ocha [30/01/2012]
「あったかいお茶でもいかがですか?」と言われると、断りきれずにずるずるとお邪魔してしまうことがある。 田舎でのコミュニケーションでは、「まあお茶でも」と始まることが多い。 そんな感覚で、ドイツ語で Wie wär's mit warmem Tee? とか言うと、 「??」とびっくりされてしまう。 warm (deutsch) ≠ atatakai (japanisch) なのだが、これは、言語文化的違いだという人もいるが、 そうではない、というのが今回の話。
元はと言えば、拙著『ドイツ語文法へのプロローグ』を評価してくれているドイツ語母語話者の方からの指摘で気がついた。 形容詞の練習問題に、 例文の名詞の前にカッコをつけ、別なところに示した8つの形容詞の中から、 好きな形容詞を入れて文を作る、というものを用意した(形容詞の語尾も、もちろん補う)。 好きな形容詞を入れられるというと、すべての形容詞が入れられそうだが、 実は、そうならない、というところがミソ。 決まった組み合わせしか許容しないケースもあるからだ。
問題の例文は、以下のもの。この例文で、 warm を入れるのは、 かなりおかしい(「あまのじゃく」 (Quarkopf) は別)。 ここでは、heiß が普通である(しかし、 選択肢の形容詞にheiß がなかった)。
Ich trinke gern ( ) Tee mit Rum.
まずは、 warm と Tee の関係から考えてみよう。
(1) Der Tee ist warm.
(2) Der Tee ist heiß
(3) Der Tee ist kalt.
まず、問題の(1)だが、これは、「その紅茶は、ぬるい」という意味に解釈されてしまう。 つまり、warm ではなく、 むしろ、lau(warm) に近い。 (2)は、「その紅茶は、熱い」という意味だが、文字通り「熱い」。 なぜ、warm と言わずに、heiß と言うか、というと、紅茶は、熱湯で入れるのが普通だからだ。 日本茶は、「ぬるめ」の「お湯」で入れるのがよい、とされている。 でも、お茶を勧める時に、「ぬるいお茶でもいかがですか」とは言わずに、 「あたたかいお茶でもいかがですか」と言うのは、「ぬるい」という言葉が、 ネガティブなニュアンスを持っているからに他ならない。
ちなみに Der Tee ist ... で始める文なら、 後ろにどんな形容詞を付けようが、話し手の自由である。話し手の判断を表現していると解釈されるからだ。 従って、(1)の文をつかって、「この紅茶、まだちょっとあたたかい(=実は、かなりぬるい)」 (Der Tee ist noch etwas warm.)とか、(2)の文を使って、 「この紅茶、冷たいよ」と言っても間違いではないし、 schon を付けて、 Der Tee ist schon kalt. のように言うことも十分ありうる。
一般論から言うと、warm は、 heiß より、温度的には低い状態を表す。 しかし、よく知られているように、 気温(気候(Klima)、天候(Wetter)条件の一部) を表す場合には、かなり「暑い」状態でも、 warm を使う母語話者がいる。
(4) Heute ist es ziemlich warm.
(5) Heute ist es ziemlich heiß.
「かなり暑い」時に、(4)のように言う母語話者がいる。 しかし、もちろん(5)のように言ってもいい。 経験上、私は意識して(4)のようにいったら、逆に、heiß と言われてしまったことも記憶にある。 従って、私の想像するところでは、 「かなり暑い」時に必ずwarm を使うというような、1対1対応にはない。 むしろ、 気温に関する限り、 warm --- kalt という軸があるから、関係概念として用いられるのだろう。 heiß --- kalt という軸もあるが、 これは、ドイツ語の場合、 気温(気候(Klima)、天候(Wetter)条件の一部) にはそれほど関与的ではない(Wärme は、Kälte の反意語でもあるが、 Hitzeはやや特殊)。
形容詞の表す温度だけに注目すると、 heiß -- warm -- lau(warm) -- kalt という尺度が存在し、 warm は、 時には heiß に近づき、 時には lau(warm) に近づくように見えてしまう。
形容詞と名詞の結びつきの強さを、コロケーション(Kollokation) として捉える、という立場がある。 この立場に積極的に関与するつもりはないが、 形容詞の使用は、修飾される側の名詞によって多かれ少なかれコントロールされている、 というのは事実だろう。 これが、言語文化の一部であると断定するのは早すぎる。 暑いお湯で紅茶を入れるのが、ドイツ語の言語文化だと言えるか、 問われれば、これは紅茶を入れる時の慣習であって、 別にドイツ語(圏)でなくてもよいことが分かる。 気温に関しても、ドイツ語(圏)の文化と直接的な関係があるとは言い難い。
「明るい vs. 暗い」という形容詞と、 hell vs. dunkel を昔、比較した小論を書いたことがある。 その時は、日本語で「明るい髪の毛」とは言わない、と判断した(実際に、 多くの日本語の母語話者が、この判断に賛成していた)。 しかし、時が経つに従い、髪の毛を染める習慣が一般化し、 毛染(カラー剤)の商品の中には、「明るい髪の毛」という表現を使うことが定着してしまった。 もちろん、「明るい髪の毛」とは、「明るい色の髪の毛」 という意味。時とともに、形容詞と名詞の結びつきは変化する、 という事態を実体験することになった例である。
時代の変化とともに意味が「ずれて」いく、というのは、一般的な現象だ。 もう1つ、ついでに名詞の例を、『ドイツ語文法へのプロローグ』 から挙げておく。
Wegen der Depression gibt es heute viele ( ).
[arbeitslos]
練習問題 S.52, 1. 3)
和独辞典には、Depressionの訳語に、 「不景気」、「不況」という語が入っている。しかし、Langenscheidt の独独辞典に載っている例が示唆するように、この「不況」という意味の用法は、古い用法となりつつあるようだ (例.die große Depression der 20er Jahre 「1920年代の大不況」)。 では、「不況」や「不景気」にあたる現代的な言い方と言えば、 Wirtschaftskrise(経済危機)だろう。 die schlechte Wirtschaftslage もよく使われる。
では、Depression という語はどうなってしまったか、というと、 「落ち込んだ精神状態」、「鬱的な精神状態」を表すのが現在では普通だ。先日読んでいた本にもそう言えば出てきた。
»Er hat eine Depression.«
»Urs und eine Depression. Weshalb?«
Quelle: Martin Suter. Die dunkle Seite des Mondes. (2000)
Diogenes, S.144.
ちなみに、2番目の文のund は、ドイツ語でのコンストラクションの例として知られるもので、 『小学館 独和大辞典』では、 「主語+und+不定詞化された述語・述語名詞句の形で不釣合いを示して」 と説明されているもの。「あのウルスが鬱だって?」、とか「あのウルスが落ち込んでいるんだって?」という感じ。
いまさらだが、「お茶」と Tee は、その物が違う(Referentの違い)。 そして、その飲み方も違う。 このような違いを一様に「特定の言語文化の違い」に帰するというのは、 ちょっと無理がある(「紅茶文化」とか、「日本茶の文化」を否定するつもりはない)。
また、最後の Depression や「明るい髪の毛」 の例が示すのは、時が過ぎるにしたがい、非常にゆっくりとではあるが、 実は刻々と言葉の意味はずれていっている、ということだ。 2012年では、ありえない組み合わせの形容詞と名詞の組み合わせも、 10年後は普通になっているかもしれない。
↑原発事故 vs. 事故で破損した原発 [12/10/2011]
2011年3月11日の東日本大震災に伴う福島第1原子力発電所の事故に関する一連のドイツ語報道を収集していて、 日本語とは違ういくつかの表現に気がついた。 いずれ、「ドイツ語で語る原子力問題」なんていう表現集をまとめるつもりだが(本を作っても売れないでしょうね)、 今回はその前フリとして、3つの表現をピックアップしてみる。
(1) 原子力発電所は、 havarieren される。
havarieren の元になるのは、Havarie という女性名詞。小学館『独和大辞典』によれば:
1 [海損](船・積み荷の損害・損壊)
2 a) (飛行機・大型機械などの)破損、事故
b) ((オーストラリア))(自動車の)事故<損壊>
となっている。Duden などを見ると、 どうやらアラビア語の「損害」を表す語からきたらしい(ロシア語説もある)。もともとは、 海損事故に対して用いられたようだが、 飛行機や大型機械の場合にも用いられるとされている。 実際に、飛行機事故の用例が辞書には載っているが、原発事故にも多く使われていた。 「船」→「飛行機」というメタファーと並んで、 「船」→「原子力発電所」というメタファーがあるというのは面白い。
動詞化して、havarieren とすると他動詞なので、例えば、過去分詞にして、 「破損された原発」のように使う。これは、ただ、原発事故(Atomunfall) というよりも、「破損させられた」という意味が全面に出てくるので、 読んでいて深刻度が違う。 日本語に訳す時には、「破損した」とか「事故を起こした」のように、 自動詞的にしないとしっくりこないかもしれない。
(a) im havarierten japanischen Atomkraftwerk Fukushima
(破損した日本の福島原子力発電所において)
(b) das havarierte Atomkraftwerk
(その破損した原子力発電所)
(c) der havarierte Meiler
(その破損した原子炉)
なお、「津波によって引き起こされた福島原子炉の破壊」という名詞句は、 (d) のように表現されていた。これを元に文にすれば、 (e) のようになる。「引き起こす」というどうしに、auslösen が使われているのも特徴的だ。
(d) die durch einen Tsunami ausgelöste Havarie des Atomreaktors Fukushima
(e) Die Havarie des Atomreaktors Fukushima wurde durch einen Tsunami ausgelöst.
(2) 原子力発電所は、 vom Netz genommen werden (ネット(電力網)から切り離される)。
「原発を停止させる」時に使う動詞は、 stilllegen で、 例えば、「浜岡原発は、地震の危険性があることから、停止させられた。」 というのは(f) のようになる。
(f) Das Atomkraftwerk Hamaoka wurde wegen der Erdbebengefahr stillgelegt.
その他に、「原発を止める」という時に使われる動詞は、 abschalten。これは、「スイッチを切る」 という意味なので、広く使われうる表現だ。 さらに、schließen で「…を閉じる」 と表現することももちろんできる。
面白いのは、「原発をネット(電力網)から切り離す」 (das Atomkraftwerk vom Netz nehmen) という言い方で、 これは「原発を停止させる」のとほぼ同義で使われることがある。 原発は、制御棒を挿入して「停止」させても、実は、 燃料棒(Brennstab)の熱はなかなか下がらない。 本当の意味で「止まっている」のかどうかは怪しい。 そう考えると、発電所から電力網へ電力を供給するのを止める、 というのは1つの現実的な表現方法と言える。
例えば、「その原子力発電所は、ネット(電力網)から切り離された」と言えば、 ほぼ「その原子力発電所は(機能的に)停止した」という意味と解釈できる。 以下の(g)は、「地震で危険状態になる浜岡原発は、完全に停止された」 と訳してもいいが、文字通り考えれば、「電力網から切り離された」 ということだ。(h)の ans Netz gehen という表現は、逆に「ネット(電力網)につながれる」という意味で、 「発電を始める、送電を始める」というのとほぼ同じ。 (i) の vom Netz bleiben というのは、「ネット(電力網)から離れた状態のままである」というのが文字通りの意味で、 この文は、「8基の目下停止中の原子炉は、最終的に電力網から外された状態である」 という状態表現。日本語では、「最終的に」と言えば、「外された状態になる」 という状態変化の意味を出して訳さないと変だ。
(g) Das erdbebengefährdete Atomkraftwerk Hamaoka ist vollständig vom Netz genommen werden.
(h) Ein weiterer Reaktor sollte ursprünglich wieder ans Netz gehen, dies wurde nun verschoben.
(i) Acht derzeit stillgelegte Atommeiler bleiben endgültig vom Netz.
(3) super-GAU
なんといっても、ドイツ語を理解できる日本人を驚かせたのは、GAU。 さらに、super をつけて super-GAU とは恐れ入った。
GAU: Abkürzung für größter anzunehmender Unfall
小学館『独和大辞典』によると、これは、「(特に原子力発電所での)想定可能な最大規模の事故」
だそうだから、super がついたら、
「特大の想定可能な最大規模の事故」とか、
「想定可能な超最大規模の事故」
ということ。
とにかく、ドイツのマスコミでは「最大規模」に「スーパー」が付き、
「スーパー最大規模」になってしまった。
そう言うと、「想定外の事故」という表現が日本のマスコミでは繰り返されていたが、
これなんかは、nicht anzunehmender Unfall
ということになるかもしれない。「想定外なこと」は、
das Unerwartete で、(j)
の文は、「福島は、想定外のことが起こりうることも、教えてくれている。」
という意味。
(j) Fukushima lehrt auch, dass das Unerwartete passieren könnte.
もちろん、何を想定するか、というのは、立場によって異なる。 原発推進派にとっての想定と、反原発派にとっての想定は当然異なる。 ただ、「想定する」というのは、「想像力」の問題でもあり、 「想像力に欠ける専門家」というのは、専門家たりえない。
↑「ペン回し」ドイツ語の小説に発見! [20/12/2010]
Daniel Kehlmann の Ruhm を読んだついでに、
Unter der Sonne を読んでいたら、
「ペン回し」らしき記述が出てきた。「ペン回し」というのは、英語では、pen spinning
というらしいことは知っていたので、ドイツ語の Wikipedia のサイトを見てみると、
Penspinning という項目があり、
Stiftdrehen という言い換えが載っていた(最終更新履歴 am 31. Oktober 2010 um 01:23 Uhr の時の記事)。
そこでは、「ペン回し」は、どこでもできるので、生徒や大学生によって授業中に好んで行われると書いてあり、
笑ってしまった。また、「ペン回し」とバトン・トワリング(Stabdrehen)やジャグリング(Jonglage)
との共通点が指摘されていたのも面白い。(ちなみに、独和辞典では、Jonglage
が載っていない。バトントワリング(baton twirling)にあたる Stabdrehenは、独独事典にもない。)
で、さっそく、 Kehlmann に載っていた例文から紹介する。
Bertold nahm einen Bleistift und ließ ihn eine schnelle, runde Pirouette um seinen Zeigefinger
vollführen - es gelang.
Kehlmann (2008) Unter der Sonne. S.99
「ベルトルトは、鉛筆を取り、それを自分の人差し指の回りで素早く丸く回転させた ─ うまくいった。」という感じの和訳ができる。 「うまくいった。」と敢えて言っているところから、そんなに上手ではないことが想像できる。 丸くない回転などあるのか、というツッコミはさておき、ポイントは、Pirouette。 すぐに想像できるように、この単語は、フランス語由来だ。まずは、『独和大辞典』(小学館)と『ジーニアス大英和辞典』(大修館)から(どちらも電子辞書版)。
Pirouette[...]
[女] -/-n
1. 【バレエ・スケート】 ピポットターン(つま先で立って旋回).
2. 【馬術】 ピルエット(後足を中心としての旋回).
[fr.] 『独和大辞典』 (2000)、小学館より
pirouette [...]/
[フランス]
[名][動](自) [バレエ・スケート] ピルエット(する)、つま先を軸にした旋回(する);
[馬術] ピルーエット(する)《(主に駆歩(かけあし)で)後脚を軸にしてゆっくりと 360° 回転すること》; 旋回する、向きをぐるりと変える.
『ジーニアス大英和辞典』(2004)、大修館より
どうやらもともとバレエ用語らしい。それが転じてスケート用語、あるいは馬術用語として使われるようになったのだろう。 馬術用語では「ピルエット」ではなく「ピルーエット」と言うというのはちょっと変な感じだ。そこで、ついでに Das große Wörterbuch der deutschen Sprache(2000)と、『ブリタニカ国際大百科事典』(小項目電子辞書版) (2006)で 見てみた。
Pirouette die; -, -n [frz. pirouette, H. u.]
1. (Eiskunst, Rollschuhlauf, Ballett) schnelle Drehung um die eigene Achse auf dem Standbein. [...]
2. (Dressurreiten) Drehung des Pferdes auf der Hinterhand im Takt u. Tempo des Galopps.
Quelle: Das große Wörterbuch der deutschen Sprache. (2000)
ピルエット (pirouette)
バレエ用語。回転するパ(ステップ)の代表的なもの。体を片脚で支え、
それを軸に、そのままの位置でこまのように体を回転させること。
回転の回数、回転するときのポーズや回転の方向によって多くの種類がある。
左脚で立っている場合、上げられてる右脚の方向へ回転するものを外回り(アン・ドゥオール)といい、
反対に左へ回転するのを内回り(アン・ドゥダン)という。また、空中にとびあがったままで体を回転する場合もある。
名称は、ブルゴーニュ地方のピルエル(紡績用のこま)から、
あるいは片脚で回転するところからピエ(足)とルエ(旋回)の合成語に起源するといわれ、
18 世紀にドイツ人バレリーナ、アンヌ・ハイネルによって完成されたといわれている。
『ブリタニカ国際大百科事典』(小項目電子辞書版) (2006)より
まず、馬術用語。ジーニアスでは、 「ピルーエット(する)《(主に駆歩(かけあし)で)後脚を軸にしてゆっくりと 360° 回転すること》」としているが、 「駆歩」というのは、ギャロップだ。 「駆歩」で「ゆっくりと 360° 回転」というのは矛盾した言い方のように思える。 Dressurreiten(ドレサージ、馬場馬術、大賞典障害飛越競技)で馬にかかる負担を考えると、かなりかわいそうだ。
ギャロップというのもくせものだ。英語では、gallopだが、 ドイツ語では、Galoppと微妙にスペリングが違う。 英語でも、galop とすると、「19世紀に人気のあった2拍子の軽快なダンス」、 またの名を gallopade, galopade (『ジーニアス大英和』)。 日本語では、「駆歩」(くほ)という日本語を紹介するのは、『大辞泉』だが、「襲歩」(しゅうほ)という日本語をあてるのは、 『ジーニアス大英和』のgallop の説明だが、おなじ『ジーニアス大英和』でも、 上に見たように、pirouette の項目には、「駆歩」(かけあし)とふりがながふってある。 ちなみに、フランス語では、galop で、駆け足もギャロップ(ダンス)も表せる男性名詞だ。 しかし、galopade にすると馬術用語のギャロップになるらしい(『プログレッシブ仏和辞典』)。なんじゃこりゃ。 混乱してきたのでちょっと整理。
日本語 | 英語 | ドイツ語 | フランス語 |
ギャロップ,駆歩(くほ,かけあし),襲歩(しゅうほ) | gallop | Galopp | galop, galopade |
ギャロップ(ダンス名) | galop | Galopp, Galoppade | galop |
次に目をひいたのがバレエ用語の「パ」。バレエをやっていた人に聞いてみると、本当に通常使う用語なのだそうだ。 これは、フランス語の pas なんですね。 pas というと、 否定の時に ne と一緒に使う pas と同形なのだが、 こちらは男性名詞で、英語の step、ドイツ語の Schritt にあたるもの。仏和事典をひけば、「(バレエの)パ、(ダンスの)ステップ」などと記載してあるはずだ。 ちなみに、Das große Wörterbuch der deutschen Sprache(2000)では、 ちゃんと Pas が男性名詞として載っていて、 (Ballett) Tanzschritt と書いてある。バレエ用語はフランス語の世界だった。
ちなみに、Wikipedia の日本語サイトでは、「ペン回し」の項目は充実してる。 ペン回し の歴史から、 さまざまなバリエーションに対して記述できるメタ言語まで解説してあり、恐れ入りました。
今日は混乱しつつ、まとまりがないままに終了です。目がまわるような忙しさの中で頭がまわらずペンだけがくるくるまわっている、
そんな2010年の末のお話でした。
ところで、私は、いまだにペン回しができません。練習すればできる、なんて言わないで下さいね;-‹
私は、コーヒーだ。 [23/11/2009]
その昔、「ぼくはうなぎだ。」のようないわゆるコピュラ文が、ドイツ語でも可能か、という議論をしたことがあった。 例えば、喫茶店に入って、飲み物を注文する時に、ドイツ語で、„Ich bin der Kaffee.“ のように言えるかどうか、という議論だ。
Bastian Sick (2009) Der Dativ ist dem Genitiv sein Tod, Folge 4. Köln: Verlag Kiepenheuer & Witsch. を読んでいたら、 Ich bin die gelbe Markise (S.146)という章があり、再びこの問題を思い出した。
Bastian Sick のこのシリーズも、これで4冊目となり、「柳の下のどじょう」 は、もういないよ、という感もいなめず、かなり新鮮味は欠いてきた。 と言っても、飽きてきたのは読者としての私の方であって、書き手の方に責任があるわけではないのかもしれない。 別にドイツ語だからといって特別な事情があるわけではないのだが、昨今の出版界、 ベストセラーがでると、その著者に第2、第3の同じような本を書かせて、<どじょう>を狙う、という風潮はある。 ただ、このシリーズ、基本的にネットのコラム(Zwiebelfisch-Kolumnen)なので、 ネットのコラムが終わらぬ限り、本として後追いして出版され続ける可能性はある。さて、いつまで続くことやら。
さて、問題を元に戻そう。日本語では、助詞の「は」は、話題を示すとされ、主語のマーカーではない、 と言われてきた。「は」は格助詞ではない、というのは通説になっている。そして、(突然跳ぶのだが)現代言語学では、 生成文法の発展とともに、一時から「母語話者の直感」で言語データを判断するというナイーブな方法論(?)というか、 習慣が定着していった。他方では、文の文法性を決めるのは、文法であって、 母語話者の直感ではない、とN. Chomsky が宣言したのだが、 母語話者の直感は、依然として「尊重され」ている。
事の発端は、ある学生が、ドイツ語の母語話者に、「喫茶店に入って、飲み物を注文する時に、 ドイツ語で、„Ich bin der Kaffee.“ のように言えますか」、と訊いて回ったところ、「言えますよ」と答えたドイツ人がいた、という。 当時は、OK と答えたドイツ人は少数派だったので、このデータは信頼できないのではないか、 いや、できる、と言った議論が周囲でなされた。根拠は薄弱なので、宗教論争のようになり、 結局決着はつかなかった。
Bastian Sick (2009) の146ページ以下には、以下のような文例が登場する。
(1) Ich bin die gelbe Markise.
(2) Sind Sie der Zug nach Lübeck?
(3) Ich bin Ihr Kleiderschrank!
(4) Meine Frau ist der Rollbraten.
(5) Ich bin das Schnitzel.
(1)は、Bastian Sick が、スペイン旅行の際に出会ったザールラント出身の若い女性に、 「何階にお泊まりですか?」(In welchem Stock wohnen Sie?) と尋ねた時の答え。 「5階よ。ここからも見えるわ。私は、あの黄色い日よけよ。」 (Im fünften! Man kann's von hier aus sehen. Ich bin die gelbe Markise.) と答えた、という部分。
(2) は、Bastian Sick が、ハンブルクの駅で偶然耳にした疑問文で、 「あなたはリューベック行きの列車ですか?」というもの。 それに対しての乗務員の答えは、 「私はたんなる乗務員です。列車は私の後ろに停まっています。」 ( Ich bin nur der Zugbegleiter. Der Zug steht hinter mir. ) だったとか。
(3) は、Bastian Sick が、自分で所有していた洋服箪笥(Kleiderschrank) をネットの競売にかけて売ったのだが、落札した人と出会った時に、その人がBastian Sick氏に向かって発した言葉。 「私が、あなたの洋服箪笥よ。」 (Ich bin Ihr Kleiderschrank!)
(4),(5) は、Bastian Sick がTagesordnung(ありふれたこと!) として想像したレストランでの会話。注文する時に、「妻は、ロール巻ローストで、私は薄切りのカツレツだ。」 (Meine Frau ist der Rollbraten. Ich bin das Schnitzel.) というもの。
日本語の「うなぎ文」では、「買う」、「選ぶ」、「取る」、「食べる」などの時に、コピュラ文が使われるという説明があるが、 それに当てはめて考えると、ドイツ語のこれらの例文では、(4)と (5) しかあてはまらない(「選ぶ」の意味)。 コピュラが特定の意味の動詞の代わりに使われる、という視点ではなく、 ここでは、日本語の場合の「XはYだ」、ドイツ語の „N ist DP“ の統語形式がどのような意味に対応できるか、 が問題なのだろう。
さらに興味深いことに、ドイツ語では以下のような会話が可能なようだ。無理やり日本語版の対応する会話に置き換えてみた。
(A)
[ヘンリー] おまえ、車、どこにとめた?
[バスティアン] 俺は、すぐそっちの後ろにとまっているよ、白いライトバンの前だよ。
(B)
クロークの係の人に向かって:
[おばさん] そんなに後ろの方を探さないでちょうだい。わたしは、すぐ前の方に掛かっているわ ---リュックサックの隣りよ。
(A)の会話では、「おまえ、車、どこにとめた?」 (Wo hast du geparkt?) 「俺は、すぐそっちの後ろにとまっているよ、白いライトバンの前だよ。」 (Ich stehe gleich dahinten, vor dem weißen Lieferwagen.) と答えているのだが、答えている本人は、質問者のすぐ隣りに立っているという設定だ。 私の語感からは、ちょっと無理(もちろん、5、6回、繰り返している内に、言えるような気がしてきたが)。
(B)の会話では、クロークにコートを取りに来たおばさんが、「そんなに後ろの方を探さないでちょうだい。わたしは、すぐ前の方に掛かっているわ ---リュックサックの隣りよ。」 (Suchen Sie nicht so weit hinten. Ich hänge gleich hier vorn -- neben dem Rucksack!) と言った、というのだが、これなんかは、笑ってしまう。 もちろん、「わたしは、すぐ前の方に掛かっているわ。」ではなく、 「わたしのは、すぐ前の方に掛かっているわ。」とやって、所有物を表せば問題ないし、「わたしは」を言わずに、 「すぐ前の方に掛かっているわ。」とすれば何の問題もない。
Bastian Sick は、人間が物にグレードダウンする、なんて皮肉っているが、 そもそも書き言葉には、こういう表現はめったに登場しないし、話し言葉でも、 どちらかというとルースな使い方という意識があるので、お勧め表現ではない。むしろ、 ドイツ語を外国人として使う場合には、避けるべきだ。
ただ、いい加減な使い方だ、と断定して、非文法的(?)だと決めつけられるか、というとそこが判断の難しいところ。
(1)の状況なら、日本語でも言えそうだ。
(2)のような疑問文を駅員はよく聞くらしい、という Bastian Sick の推測が当たっているとすると、
日本語ではいわないなあ、と思うが、それは、とりもなおさず「あなたは---?」みたいな質問が、
そもそも日本語に馴染まないからでもある。(3)は、ちょっと「おちゃめ」に言ってみただけかもしれない。
(B)のおばさんも、ちょっとおちゃめなのかもしれない、と考えていた時、おぼろげな記憶が蘇ってきた。
私も、クロークで友人がこんな言い方をするのを聞いたことがあるのだ。その時は、呆れてそんな言い方するのか、
と尋ねた時の答えは、Warum nicht? うーん、そういう答えをしたくなるのは分かるのだが、
言語学者としては、理由が知りたい。そして、理由は、母語話者が知っているわけではない。本当のところは誰にも分からないのだが、
ここから先は、仮説と理論の世界だ。
Word2003(ドイツ語版) の文法修正機能 [08/30/2009]
0 イントロ
以前から試してみたかった Word の文法修正機能。
Wine on VineLinux 4.2 で MS-Word
の環境ができたので、手軽に試せることを思い出した(VineLinux 5 へ移行する前の話)。
試した版は、Word2003 のドイツ語版。
今や、Word2007 や、
Word2008 が出回っており、
さらに、Word2010 まで射程に入っているので、
いささか古い情報となる。
Word2007 から、ユーザ・インターフェイスが大幅に変わり、 ただでさえ使い辛い Word が、ますます使い辛くなった。 この春、使わざるをえない状況に追い込まれて、 Word2007 で原稿を書いたが、 「リボン」に隠された機能(脚注機能など)がなかなか見つからなかったり、 Excel の表を張りつけたら、プリント時に右端が印刷されなかったり、 <怒り>の連続だった。 Word2007 の文法修正機能がどれだけ進化した(?)のかは、 分からないことを最初に念を押しておく。
1. 文法修正機能とは?
ここでは、Microsoft Office 2003 のドイツ語版を用いるが、
日本語版の Word2003 に、
Proofing Tools 2003 をインストールしても、
おそらく同じようになるはずだ。
Proofing Tools 2003 を購入してインストールすることで、
英語以外のスペリングチェック、ハイフネーション、シソーラス、文法修正機能が Word
に加わる。ただし、メニューの前面に文法修正機能が出ているわけではないので、
設定が必要となる。
まずは、 Word2003 を立ち上げる。そこで、メニューから
Extras→Sprache にマウスのポインタを移動すると、
その下に、 Sprache festlegen ...,
Übersetzen ..., Thesaurus... Umschalt+F7, Silbentrennung...
というメニューが表れる。
最初に、まず言語設定から行うので、
Sprache festlegen をクリックする。
すると、以下のような窓が開くので、テキストの言語をドイツ語にしておく。
すなわち、Ausgewählten Text markieren als:
の枠の一番上に、Deutsch Deutschland を選択。
その下にある Rechtschreibung und Grammatik nicht prüfen
の前の「□」にチェックが入っていたら、そのチェックをはずす。
その下にある Sprache automatisch erkennen
の前の「□」はチェックしておく。
そして、「OK」をクリックして窓を閉じる(言語の設定をした後で、Extras の下の隠された
Rechtschreibung und Grammatik F7
をクリックしても、正書法・文法修正機能が働く。F7 でも同様)。
これで、文法的な間違いがあったら、
緑の波線が間違いを含む語の下に引かれるはずだ。
なお、赤の波線は、スペリングの間違いを示す。
さて、どの程度の文法的な間違いを直してくれるのだろうか?
学生の書いたドイツ語を全部訂正してくれるのなら、大歓迎だが...。
2. 文法修正機能をちょっと検証
まず最初は、ネット上にある Wir sitzen alle in einem Boot
という Witz を元データとして使った。
かつては、ドイツの日本大使館のサイトにもあったのだが、
詠人不知 (Autor unbekannt) の文章。
この「笑い話」は、ドイツ人を笑いの対象にしているというより、
現代の合理主義を笑いとばしているものだ。日本人を引き合いに出して、
日本人のことを褒め讃えているわけではない。誤解なきよう。
場所としては、ライン川を使ったもの、エルベ川を使ったもののバリエーションがあるし、
若干の語句の違いもある。今回は、エルベ・バージョンの新正書法版を用いる。
まずは、オリジナルの第一パラグラフから。
Original (1. Ausschnitt)
Vor einiger Zeit verabredete eine deutsche Firma ein jährliches
Wettrudern gegen eine japanische Firma, das mit einem Achter auf
der Elbe ausgetragen werden sollte.
まず、形容詞の語尾から。
einiger を einiges
にしてみると、以下のように、 einiges に緑の波線アンダーラインが引かれた。
ここでは、Grammatik während der Eingabe überprüfen
にチェックを入れてあるので、上のように語尾を書き換えた後に、カーソルの移動、
あるいは、スペース・バーを押すことで文法修正機能が働く(カーソルが Zeit の前にあることに注意)。
Fehler (1)
思ったように修正すべき箇所として緑の波線アンダーラインが引かれたことで気をよくして、
元の einiger を einige
に変えてみた。すると、おや?
Fehler (2)
緑の波線アンダーラインが出てこない。
ここから推測できるのは、前置詞の格支配と名詞の性はチェックしているが、動詞との関係は見ていない、という状況だ。
vor は、3・4格支配の前置詞なので、単独で見れば、vor の後ろに4格の語尾が来てもよい。
なるほどね、この程度なんだ、と思い、名詞の性がきちんと認識され
ているのかをチェックするために、語尾を em に変更した。
Fehler (3)
すると、予想通り、今度は、 einigem に緑の波線アンダーラインが引かれた。
では、動詞のスペリングミスはどうだろう?
verabredete を verabredte にすると、予想通り今度は赤の波線アンダーラインが引かれた。
Fehler (4)
文法的に気になるのは、やはり主語と動詞の一致だ。
そこで、次に、
verabredete を verabredeten
としてみたら、ちゃんと緑の波線アンダーラインが登場。
一応、主語と動詞の一致はチェックしているようだ。
Fehler (5)
次に、eine deutsche Firma を ein deutsche Firma ,
eine deutsch Firma ,
eine deutsche Firmen と変えてみたが、
緑の波線アンダーラインは、(6-1), (6-2), (6-3) のように修正箇所として妥当な形で表示された。
Fehler (6-1)
Fehler (6-2)
Fehler (6-3)
「形容詞+名詞」の組合せは、おおむねチェックしているのか、と思った矢先、 ein jährliches Wettrudern でつまずいでしまった。 それは、Fehler (7-1), (7-2) を比べて見れば分かる。 どうやら、Wettrudern のような動詞の名詞化が分からないらしい。 それでも、組合せとして、eine -es + N がダメなの はチェックするが、eine -e + N はOKとしてしまうのは、あさはかだ。 分からない名詞が出てきたら、とりあえず、このパターンのチェックだけする、ということらしい。 ちなみに、この文の中で、Elbe の性は登録されているようで、 チェックされたが、mit einem Achter を mit einer Achter にしても修正波線は引かれなかったので、名詞の辞書も充実しているとは言いがたい。
Fehler (7-1)
Fehler (7-2)
次に、動詞の部分をいじってみよう。 原文では、受動態に助動詞がついた形になっている。 (8-1)では、受動態の部分をaustragen werden として、通常の動詞+助動詞の形にしてみたが、関係文の中の構造、 すなわち、das Wettrudern wird ausgetragen という受動態の構造が解析できていないので、間違いにならない。 また、(8-2)では、ausgetragen wurden sollte のようにおよそ文法的にありえない連鎖にしても、文法修正機能は働かない。
Fehler (8-1)
Fehler (8-2)
もうここまでくると、予想がつくように、関係文もほとんどお手上げだろう。
意味関係を把握していないので、例えば、先行詞 Wettrudern
に対して使われる関係代名詞 das を die
に変えても、(9-1) のように文法修正機能は働かない。
また、(9-2) のように、関係代名詞としては、この文ではありえない
der にしても、ノーチェックだ。
最後に、(9-3)のように sollte
を sollten に変えても、
何も言われない。 sollten に対応する主語を探していない、ということだ。
そもそも構文解析をしていないのである。
Fehler (9-1)
Fehler (9-2)
Fehler (9-3)
3 感想
本当は、文章全体のいろいろなチェックを試してみるつもりだったが、
第一段落で、すでに挫折してしまった。
だんだんあほらしくなってきたので、
もうこれで打ち切りとする。
Word 2003 でドイツ語の文法修正機能は、 ほとんど使いものにならない、という噂は聞いていたが、 その通りだった。 実際にやってみて最初はそれでも、少しは期待をよせたのだが、 だんだんと絶望的になっていった。Word 2007 では、もう少し向上しているかもしれないが、とにかく、疲れた。
4 おまけ
実は、Word 2003(ドイツ語版)で、
ハイフネーションをさせるとどうなるか、というのにも興味があった。
メニューから Extras → Sprache → Silbentrennung
と降りていき、Silbentrennzone を3.8mm
にし、Times New Roman, 16pt, 左右の空きを
38mm にすることで、LaTeX で、times
12pt を使い、幅を 133mm にしたものと、画面上で比較的近い結果が得られた。
(もともと、ページ設定の基本方針が違うので、無理なのだが...。)
あくまでも、try and error で行き着いた近似ということで、
参考に比較たスクリーンショットを見たい方は、どうぞ。
組版としては、やはり、LaTeX の方がきれいだ、と思いますね。
latex-word2003-vergleich-1.png,
latex-word2003-vergleich-2.png,
latex-word2003-vergleich-3.png.
『世界の測量』(Die Vermessung der Welt)の中の間接話法 [21/06/2008]
目次
0. イントロ
1. ドイツ語の間接話法の基本
2. Die Vermessung der Welt の中の間接話法と非間接話法的表現
第1例
第2例
第3例
第4例
3. 最後に
0. イントロ
2005年に発売された Daniel Kehlmann の
Die Vermessung der Welt
(Rowohlt Verlag GmbH:Reinbek bei Hamburg)
は、2007年にドイツの本屋で平積みになっていたので手に取り、
面白そうだと思って購入していた(入手したのは、2007年1月の第36版)。
その後、ぱらぱらと30ページ程読んだところで、別の本に浮気してしまい、
家のどこかに消えてしまっていた(時々起こる行方不明事件)。
忘れかけていたところ、 2009年4月6日に朝日新聞(The Asahi Shimbun Globe, G-7) に ダニエル・ケールマンのインタビュー が掲載されているのを読み、この際、三修社 から瀬川裕司訳で出版されている日本語訳 『世界の測量』 と読み比べてみるのも面白いかな、と思い、急遽、邦訳を購入して読んでみた。 『世界の測量』(初版が2008年5月20日)は、2009年6月4日に amazon 経由で購入したが、 入手したのは、2008年7月20日の第2刷だった(後日、書店で、7月30日の第3刷を発見)。 ということは、 順調に売れたのは、最初のうちで、その後はあまり売れていない、という状況かもしれない。 日本語訳は、土日にかけて読み終え、ドイツ語のオリジナルは、 土日では終わらずに、空き時間を利用して一週間かけて読むことになった。 (2刷と3刷の日付を修正。7/2/2009)
アレクサンダー・フンボルト(Alexander von Humboldt, 1769-1859) と、 ガウス(Carl Friedrich Gauß, 1777-1855) の2人が主人公のこの小説、実在した2人の巨人を表面上は「測量」という共通項で結びつけているが、 実際に1828年にガウスがドイツ科学者会議に出席するために、 ベルリンのフンボルトのところに宿泊したという記録を元に結びつけ、 そこから時代を遡って2人の人生を一章ごとに交互に物語る。 最後の方では、再び舞台がベルリンに戻り、さらにガウスの息子、オイゲン(Eugen) の話となる。 もちろん、途中では何回か兄のヴィルヘルム・フンボルト (Karl Wilhelm von Humboldt, 1767-1835) も登場する。
地理学者のフンボルト(弟)は、世界中を駆け回った地理学者(冒険家)なのに対して、 数学者ガウスは、ほとんど旅行に出かけないない家にこもった数学者、 という意味で2人は非常に対照的な存在だ。この2人の生き方が、 風刺に満ち、時には古風な表現を用いて語られている。 さらに、さまざまな同時代の有名人が登場し、 その時代の背景的出来事も散りばめられているので、 歴史的・社会文化的、科学史的知識がある人には、この上なく楽しめる作品だ(カントを崇拝している人は怒りだすかもしれないが)。 私にも、やはり何箇所かは、意味不明なところがある。いずれ、 専門的知識のあるネイティブの人達に尋ねてみたい。
Frankfurter Allgemeine Zeitung, 09.02.2006(http://www.faz.net/参照) には、„Ich wollte schreiben wie ein verrückt gewordener Historiker“ というインタビュー記事が掲載され、 Daniel Kehlmann は、 „Eine satirische, spielerische Auseinandersetzung mit dem, was es heißt, deutsch zu sein“ (ドイツ的とは何を意味するかを風刺的に遊び心を持って議論すること)と、 Altern(老いること)がテーマであるとしている。
この本の翻訳は、大変だったと思う。 間接話法が多用されているというだけで、私など「和訳不可能!」と言って逃げてしまうし、 これだけ背景的知識がないと楽しめない本を、一般の人にも分かるように日本語にするのは困難を極めるからだ。 ドイツ語で読む前に、この翻訳をざっと読んでおくと(理系の語彙に恐れをなしてしまう人には特に)理解しやすいだろう。
さて、本日の中心的関心事は、ドイツ語の間接話法がどのように日本語に訳されているか、 という点だが、その前にドイツ語の間接話法の基本を簡単に復習しておく。
1. ドイツ語の間接話法の基本
「直接引用をせずに書き手の視点からある人の発言を報告する」という言語形式は、
日本語ではほとんど未発達であるといえるだろう(ただし、日本語にも「伝聞」を表現する表現手段はいろいろある)。
例えば、以下の(1b)の例では、ただ括弧をはずしただけだ。
(1) a. 太郎は、「僕は、ずっとひとりぼっちだった」と言った。
b. 太郎は、僕はずっとひとりぼっちだったと言った。
これに対して、英語では、時制のbackshiftや人称代名詞の入れ換えなどが起こるし、 ドイツ語では、人称代名詞の入れ換えと動詞の接続法I式(緊急避難的に、接続法II式)が用いられる。
(2) a. John said, "I
was
alone."
b. John said that
he
had been
alone.
(3) a. Hans sagte, „Ich
war
allein.“
b. Hans sagte, „Ich
bin
allein
gewesen
.“
c. Hans sagte, „Ich
war
allein
gewesen
.“
d. Hans sagte,
er
sei
allein
gewesen
.
ドイツ語では、(3a),(3b),(3c)の直説話法は、すべて(3d)の形になってしまう。 つまり、間接話法では、直説法の過去形、現在完了形、過去完了形の区別がつかず、 (3b)の現在完了の形をもとにした1つの形式(3d)だけが間接話法として用いられる(seiが接続法I式)。
このほかに、文の種類による書き換えがなされるが、ここでは疑問詞付き疑問文と命令文を追加的に見ておく。 (4a)では疑問詞 was を使った疑問文で、 Hans が私(mich) に尋ねたので、 間接話法内では、人称は、私(ich)になる。 また、(5a)では、Sie に対する命令文の形をとっているが、 意味的には、「いい夢をみて下さい→ぐっすりおやすみ下さい」という願いを表した文だ。願望表現の部分は、 伝達文で wünschen を使えばよく、 (命令口調の弱い)命令文自体は、dass文(dass ...【mögen の接続法I式】.)で表現できる。 それに対して、(命令口調が強い)命令文は、dass文(dass ...【sollen の接続法I式】.)で表現する。 注意すべきなのは、人称代名詞で、dass文中の主語は、(5b)では、 Herr Meyer を受ける er となる。
(4) a. Hans fragte mich: „Was willst du denn?“
b. Hans fragte mich, was
ich
denn
wolle
.
(5) a. Er sagte: „Träumen Sie gut, Herr Meyer.“
b. Er wünschte Herrn Meyer, dass
er
gut träumen
möge
.
2.Die Vermessung der Welt
の中の間接話法と非間接話法的表現
第1例 まず最初に見るのは、原書の7〜8ページに渡る部分の間接話法だ。翻訳書 では、5ページに該当箇所がある。
Er beruhigte sich nicht einmal, als Eugen von der einen und Minna von der anderen Seite
ihre Hände auf seine Schultern legten und beteuerten,
man werde gut für ihn sorgen,
er werde bald daheim sein,
es werde so schnell vorbeigehen wie ein böser Traum.
Aus: Daniel Kehlmann Die Vermessung der Welt, S. 7-8.
オイゲンとミンナが左右両側から肩に手をのせ、何の不自由もありません、
すぐに帰ってこられますよ、悪い夢みたいにあっというまに消え去ってしまいますからと囁きかけても、
気持ちは静まらない。
出典:瀬川裕司訳 『世界の測量』P.5
原文中の werde が接続法I式の部分で、間接話法の文が3つ連続している。
和訳を見ると、気がつく点を箇条書きすると
(a) 主語がない。原文の主語 er は、 Gauß
を指す。
(b) 3つの間接話法の文は、口語調、つまり、話し方を反映した直説話法的な響きがする。
特に、2番目の文の最後の「よ」、
3番目の文の最後の「しまいますから」は明らかに直接的に述べた文であることを示唆している。
(c) 日本語では、3つの間接話法の文に接続する伝達動詞は、「囁きかける」だが、
ドイツ語では、beteuern(断言する、誓う)であり、
その動詞の語尾から beteuerten、
話し手は複数、すなわち 息子の Eugen と妻の Minna
であることが分かる。
この他にも、細かいことを言えば、日本語で「左右両側」と言っているが、 原文では、 <オイゲンが片方から、ミンナがもう片方から>となっていたり、 nicht einmal 「ちっとも...ない」という否定強調形が訳されていない、とかがあるが、 何といっても、 日本語表現が、間接話法の持つ「直接話した言葉から離れる」というイメージからほど遠いことが分かる。 「この直接話したイメージから離れる」ことこそ、 ケールマンが間接話法を使った意図だったことを考えると、 「話しことば」を多く持ち込んだ和訳は原書のイメージを損ねていることになる。 (「よ」や「しまいますから」のような直接的な「話しことば」表現を取り去ってしまうと、 平凡な語り口になって面白くない、と感じる人もいるだろうが...。)
第2例 次に短い文を1つ。
Um ehrlich zu sein, sagte Eugen, die Schwester sei nicht eben
hübsch.
Aus: Daniel Kehlmann Die Vermessung der Welt, S. 8.
正直申しまして、とオイゲンは応えた。あの娘は器量がよくないのです。
出典:瀬川裕司訳 『世界の測量』P.5.
この部分は、ガウスの息子オイゲンが、 姉の結婚が話題になった時、父親であるガウスに言った場面だ。 19世紀の親子が果してどのような言葉で会話していたのかは分からないが(だからこそ間接話法にしているのだが)、 「申しまして」という丁寧表現はよいとしても、 自分の姉(Schwester、おそらく Wilhelmine*1) のことを「あの娘」(あのこ)と言うだろうか? さらに、「器量がよくないのです」と言い切ってしまっているが、元のドイツ語は nicht eben hübsch であり、「特にかわいいというわけではない」(∼ziemlich hässlich) という「控えめな表現」で、遠回しに「かわいくない」と言う時の表現だ。 従って「あの娘は器量がよくないのです」という日本語は、 原文のドイツ語のニュアンスをかなり曲げていると思える。 「正直にいって、とオイゲンは言った。姉は特にかわいいというわけありませんから。」 というのが素直な訳だと思う。ちなみに、英語版では To be honest, said Eugen, his sister wasn't exactly pretty. となっていて正直な英訳である(Carol Brown Janeway 訳 Measuring the World Vintage Books: New York.)。
注 *1 http://de.wikipedia.org/ によれば、 ガウスには、2人の娘がいた。ドイツ自然科学者会議が1828年に開かれた当時、 息子のオイゲンは、およそ17歳、娘のヴィルヘルミーネ (Wilhelmine: Johanna との間に生まれた第2子) は、およそ20歳、 末っ子の娘テレーゼ (Therese: Minna との間に生まれた第3子) は、およそ12歳だったと思われる。
第3例 次は、カントとガウスが会話する、ちょっと有名になった箇所。
Wurst, sagte Kant.
Bitte?
Der Lampe soll Wurst kaufen, sagte Kant. Wurst und Sterne. Soll er
auch kaufen.
Aus: Daniel Kehlmann Die Vermessung der Welt, S. 97.
ソーセージ、とカントは言った。
何とおっしゃいました?
カントは召使に向かって、ソーセージを買ってきたまえ、と言った。
ソーセージと星をな。星も買ってくるのだぞ。
出典:瀬川裕司訳 『世界の測量』P.100.
命令文の間接話法は、(5b) で示したように、
dass文で書き換え、命令口調が強いか弱いかで、
sollen か、sögen
の接続法I式の形を使い分けるのが原則。
しかし、上の Der Lampe soll Wurst kaufen
は間接話法になっていない。soll であって、
solle(接続法I式)になっていないからだ。
sollen には、「話し手の意志」を表現する用法があり、これで実は「間接的」に表現できている。
この文をもう少し説明しておくと、Der Lampe
という主語は、召使(Diener)の名前(姓)で、
名前の前に定冠詞が付いている形(女性名詞の Lampe(ランプ)
ではないので注意)。「話し手の意志」を表すsollen
を使うことで、「ランペは、ソーセージを買うように!」とか、
「(私は)ランペにソーセージを買って欲しい。」という意味になっている。
もし、間接話法にするなら、 Kant befahl dem Diener, dass er Wurst kaufen solle. となる。ヴァリエーションとしては、 Er solle Wurst kaufen, sagte Kant. というのもあるが、そうすると、Er が誰なのか分からなくなってしまう。 間接話法にせよ、「話し手の意志」を表すsollen を使うにせよ、具体的に言った言葉を隠している点は共通している。 つまり、Kauf Wurst! と言ったのか、 Kaufen Sie Wurst! と言ったのか、 Wurst kaufen! と言ったのかは分からない。 直接言った言葉を隠しているからなのだが、日本語の「ソーセージを買ってきたまえ」は、まったくそうなっていない。 「〜したまえ」というのは、明らかに上から下への命令口調の直接表現だからだ。
Sterne(星)に関して一言説明しておく。 買うことのできる Sterne というと、 私は、大好物の Zimtsterne(シナモン味のお菓子)を連想する。 その連想でおそらく半分はよいのだが(「食べられる星形のお菓子」)、 ここでは、カントの『純粋理性批判』の中の「星空」を連想できる。 ガウスが非ユークリッド数学から見た宇宙像を熱く語った後に、 カントは唐突に Wurst と召使に向かって言った、 というショッキングな場面だ。もちろん、場面的には、ガウスは、 自分に向かって発せられた言葉だと思い、 Bitte? とカントに尋ねたのだが、カントは、召使のランペに向かって言っていることが、 次の文で判明する。
Wurst に深いメッセージが込められているのかどうかは分からない。 しかし、 大物哲学者がコメントとして「ソーセージ」と言った、 と一瞬誤解されてしまう場面だ。 誰でも唖然としてしまうコメントだが、もちろん、コメントではない。 そう解釈できてしまう状況が一瞬生まれたところに、Wurst が出てきて、おもしろいのだ。*2
注 *2 このフィクション場面は、ガウスが20歳を越えた頃とあるので、1797年頃であり、 カント((Immanuel Kant, 1724-1804) は73歳位だろう。
英語版では、この部分、非常に簡素な翻訳となっている。召使ランペが、 間接話法の中に登場せずに、伝達文の中にthe servant としてしか出てこないところに特徴がある(日本語の翻訳でも、なぜかこのパターンが使われている)。
Sausage, said Kant.
Pardon?
Buy sausage, said Kant to the servant. And stars.
Buy stars, too.
Aus: Daniel Kehlmann, translated by Carol Brown Janeway Measuring the World, P. 80.
第4例 最後に、第6章のセア神父(Pater Zea)とフンボルトの会話の部分。 ここでは、間接話法の後に、引用符がない直説話法がなにげなく接続されている。
[...] Zwischen großen Füssen, habe er gesagt,
gebe es keine Verbindung im Inland. So etwas brächte den
Kontinent in eine Unordnung, die seiner nicht würdig
wäre. Pater Zea schwieg einen Moment, dann stand er auf und
verbeugte sich. Träumen Sie gut, Baron. Und wachen Sie gut
auf!
Aus: Daniel Kehlmann Die Vermessung der Welt, S. 118.
[...] 内陸にはふたつの大河を結ぶものはない、
そんなものがあったなら大陸は不適切な混乱に陥ってしまうだろう、
というのです。セア神父は一瞬沈黙したのち、
立ち上がってお辞儀をした。男爵、よい夢をご覧になってください、そして快適なお目覚めを!
出典:瀬川裕司訳 『世界の測量』P.122.
日本語では、「というのです」という所の主語が明示されていないが、 ここでの主語は er = La Condamine (ラ・コンダミン)。 つまり、セア神父がラ・コンダミンの言った言葉を、間接話法で述べている部分が、 さらにセア神父の言葉の間接話法の中に入っている部分だ。 高階の間接話法(「二重間接話法」)は存在しないので、普通の間接話法なのだが、ラ・コンダミンは、 非現実話法を使っている( So etwas brächte den Kontinent in eine Unordnung, die seiner nicht würdig wäre.)ために、間接話法の中に接続法II式が出てくる。
そして、最後に、直説法が顔を出す。 Träumen Sie gut, Baron. は、 (5b) で示した形で書き換えれば、本来は Der Baron möge gut trämen. のような間接話法になるべきところだが、そうなっていない。 直説法の2人称 Sie や、呼びかけ言葉としての Baron が登場する。 ここには、間接話法、非現実話法、直説法を巧みに織り込んでいる原文の構造が見てとれる。
日本語では、「というのです」という伝聞体を使うことで、セア神父が他の人の言葉を伝えていることが分かる。 ただし、「というのです」という言葉自体が原文では間接話法の中にある、 とは考えられない。
以下に、英語の対応部分を引用するが、英語においても、 原文のドイツ語ほど面白味は感じられない。
[...] Great rivers, he said, had no inland connection.
Such a thing would be a disorder of nature, and unworthy of a
great continent. Pater Zea fell silent for a moment, then got to
his feet and bowed. Dream well, Baron, and wake in good health!
Aus: Daniel Kehlmann, translated by Carol Brown Janeway Measuring the World, P. 98.
3. 最後に
『世界の測量』には、オビに以下のような言葉がある。
『ハリーポッター』『ダ・ヴィンチ・コード』を抑え「世界のベストセラー」第2位 (2006年・米Publishing Trends調べ) ドイツ国内で120万部突破!
ドイツ国内だけでなく、世界的にも非常に多く読まれた本だが、 どうも日本ではそれほど脚光を浴びていない。 いくつか理由があると思う。
一つは、この「間接話法」の世界が翻訳書から伝わってこない、 というバリアーだ。「間接話法」は、直接的な「発言」が伝わってこない分、 読み手の想像力をかき立てる。 この本の場合には、自分なりのガウスの言葉、フンボルトの言葉を、 詠み手が頭の中で想像することができる。 個人個人が、「My ガウス」、「My フンボルト」を作れるという意味でユニークなのではないか。 ただし、日本語の翻訳では、それはできない。
もうひとつは、19世紀のヨーロッパの面白さ、 この猛烈な時代の変化、科学と科学的思想の発達が日本に伝わっていない、 という点にあるのではないか。
『ダ・ヴィンチ・コード』を私は読んでいないが、 原書を読んだ人からの感想では、かなり難しいとのこと。 面白さが分かるには、かなりの知識を必要とする、という点では、 『世界の測量』も同様だ。
ただ、もし『世界の測量』が映画化されれば、 日本でも爆発的に売れる可能性がある、と思う。 時代背景、登場する世界的に有名な学者、政治家が生き生きと描ければ、 映画の大ヒットは間違いなしだ。もちろん、作るのは大変だろうし、 一部の研究者からはブーイングの嵐が起きるかもしれない。
もし映画化されてしまうと、当然、原作とはかけ離れたものになる可能性があるし、 オリジナルの作品が日本で世俗的に解釈されてしまう危険性があるので、 私は個人的には、映画化に反対だ。
原書 Die Vermessung der Welt は、 間接話法で書かれている、といういい方は、少し誤解を招く。 正確には、間接話法を多用している作品であり、引用符はないが、 こっそりと直説法の表現も使われている、というのが実態だ。 この本の面白さが分かるためには、 時代背景や科学史の知識がある程度必要なので、敷居は高いが、 ドイツ語で読めると、面白さは確実に倍増する。
悩ましき downloaden [31/10, 7/11/2008]
ドイツ語に入って来た英語は、当然、借用語(Lehnwörter)だが、 特に英語風慣用語法(Anglizismus)とか、 アメリカ語法(Amerikanismus)と呼ばれ、 近年、その数はおびただしいものがある。 そんな中でも、downloaden という動詞が今回のテーマ。 この動詞は、当然ながら「ダウンロードする」という意味だが、 ドイツ語では、ちゃんとherunterladen という同じ意味の分離動詞が作られて使われていた。 しかし、いつのまにか、downloaden という動詞も現われた。
「クラウン独和辞典」第3版の電子辞書(XD-GW7150)で、downloaden
を調べてみると、次のような記述がある。
/[過分;downgeloadet;⇒変化 4]
他[h]
[[電算]] ダウンロードする.
「クラウン独和辞典」第3版の電子辞書(XD-GW7150)より
そして、「変化 」をスーパージャンプで指定すると、次のような変化表が現われる。
変化表 4
【基本形】
<不定詞>
downloaden
<過去基本>
downloadete
<過去分詞>
gedownloadet
【現在】
ich downloade wir downloaden
du downloadest ihr downloadet
er downloadet sie downloaden
[以下省略]
「クラウン独和辞典」第3版の電子辞書(XD-GW7150)より
ご覧のように、本文と変化表で、過去分詞の形が違っている。
辞書記述の一貫性という観点からは、修正すべきところだ。
そこで、本日の課題です。
(1)
なぜ、「クラウン独和辞典」第3版は、このような首尾一貫しない記述をしてしまったのか?
(2)
どちらの過去分詞形(gedownloadet
oder downgeloadet)に合わせて修正したらいいだろうか?
1. Googleに訊いてみる
Googleで、downgeloadet
とgedownloadet を検索してみた(2008年10月24日)。
検索に当たっては、検索範囲を「ドイツ語」に限定した。
downgeloadet が多数を占めると予想していたのだ
が、結果は逆だった(downgeloadet は全体の約35.4%)。
gedownloadet に一致するドイツ語のページ 約 130,000 件
downgeloadet に一致するドイツ語のページ 約 71,200 件
2. Duden: Die deutsche Rechtschreibung (24. Auflage,2006)に訊いてみる
新語をいち早く取り入れるDuden の
Die deutsche Rechtschreibung では、S.331 に次のように記述している。
(engl.)(EDV Daten von einem Computer, aus dem
Internet herunterladen); ich habe downgeloadet;
Duden: Die deutsche Rechtschreibung (24. Auflage),
(2006: 331)
となっている。ここでは、見出し語の中の縦線は、独和辞典で採用されている 「分離前綴り」を示す記号ではなく、分綴(ハイフネーション)できる所を示している。 Duden: Die deutsche Rechtschreibung は、 downgeloadet を採用していることが分かる。 そこで、ドイツ語を母語とする(と思われる)人たちのネットの書き込みを読んでみることにした。
3. ネット情報
この手のゆれ(Schwankung)のある表現は、
母語話者も当惑して質問しているケースが目立つ。
判明したのは、ドイツ語版Windows のメッセージに、
Ein oder mehrere Dateien werden gedownloadet.
なるメッセージが表示されるようなのだ。
そうすると、当然のことながら、gedownloadet
のネット上の数が増えることになる。
もう少し見ていくと、Duden が、
downgeloadet を採用している指摘が多く見られ、
どうやら語感的にも、前にアクセントを置く downgeloadet
に賛成する話者が目につく。
例えば、Jörgs Webnotizen
のn-2007-4/ge-down-ge-loadet.html
には、以下のようなgedownloadet に対する直感が述べられている。
04.04.2007 Während eines Windows Updates erscheint zu einem bestimten Zeitpunkt ja immer die Mitteilung, dass ein oder mehrere Dateien gedownloadet werden. Innerlich geht mir diese Form gegen den Strich - ich würde eher die Form downgeloadt verwenden - aber warum eigentlich, ist dies nur eine Frage der individuellen Präferenz?
4.Duden: Die Grammatik (2005)
ということで、今度は、同じDuden でも文法書を見てみることにした。
すると、S. 453-454. にかけての弱変化動詞に関する解説の中で、
seltener(稀)に分類されているのが、
gedownloadet の形であった(S.454)。
この判断は、2002-2004年のインターネット調査の結果とある。
ただし、問題なのは、むしろ以下の記述の方だ。
In finiter Form werden Rückbildungsverben normalerweise nicht getrennt; wir notlandeten, man schlussfolgert(↑1082) Bei den in jüngster Zeit entlehnten Verben herrschen Schwankungen. Für beide Verbtypen gilt, dass sie eher selten — wenn überhaupt — in finiter Form vorkommen.
簡単に解説しておくと、名詞からの逆成で作られたこの種の動詞は、 通常分離しないが、近年借用された動詞では、揺れが見られる。 通常は、定形では用いられない、ということだ。
5.Balcik, Ines (2007) Zweifelsfrei Deutsch: Grammatik.
Stuttgart: Ernst Klett Sprachen GmbH.
PONS のシリーズ本Sichere Antworten auf knifflige Fragen の中に、
文法編があり、その中にここでテーマとするdownloaden
が載っている(S.52)。そこには、表があり、短い解説が付いている。
ich ... | ich habe ... | Bedeutung, Hinweise | |
downloaden | downloade | downgeloadet | Dateien herunterladen; die Vorsilbe down- ist untrennbar. |
ここでもう一度、 Duden: Die Grammatik (2005) の分類に戻ってみよう。S. 454 には、2つのタイプが示されている。
muster (a) | teilnehmen | nahm teil | teilgenommen | teilzunehmen |
muster (b) | schriftstellern | schriftstellerte | geschriftstellert | zu schriftstellern |
Zweifelsfrei Deutsch: Grammatik (2007) の記述が妥当だとすると、downloaden は、muster (a) でも muster (b) でもなく、 muster (c) とでも呼ぶような混合タイプで使われるということになる。
muster (c) | downloaden | downloadete | downgeloadet | downzuloaden |
6.課題の答
さて、課題の解答です。
課題(1)
なぜ、「クラウン独和辞典」第3版は、 このような首尾一貫しない記述をしてしまったのか?
まず、この解答は、あくまでも推理であることをおことわりしておきます。
辞書執筆者が、変化表担当者に尋ねられました。
「downloaden は、分離動詞(muster a)
ですか、それとも非分離動詞(muster b) ですか?」
辞書執筆者は、「非分離動詞ですよ」と答えました。なぜなら、
ich downloade ... と使うからです。
そうすると、変化表担当者は<機械的>に「クラウン独和辞典」の変化表 4を作成します。
なぜならこれが、従来の非分離動詞の変化表のパターンだから。
それに対して、過去分詞形は、Duden
を見れば、downgeloadet
と書いてあるので辞書執筆者はそれを辞書項目の記述に書き込む。
推理終わり(実際には、電子辞書のソフトウエアで「変化表担当者」
の処理している可能性もあります)。
課題(2)
どちらの過去分詞形(gedownloadet
oder downgeloadet)に合わせて修正したらいいだろうか?
Duden: Die deutsche Rechtschreibung, Duden: die Grammatik さらにPONS Sichere Antworten auf knifflige Fragen シリーズの記述に従えば、downgeloadet を正解とすることになる。 これだけだと、説明になっていないので、少し解説をつけておきましょう。
downloaden は、
まず前綴りに強勢が置かれる2つ要素から成る外来語動詞です。
「2つの要素から成る動詞で、前にアクセントが置かれる」というのは、
従来の分離動詞の特徴そのものです。
従って、downgeloadet には違和感がない、と想像できます。
ただし、英語からそのまま借用して動詞化したので、
分離させることに<違和感>があるのかも知れません。
現在形や過去形の平叙文で分離させないのは、その意識の反映かもしれません。
このような<違和感>がない人たちも当然存在するので、 そのような人たちは、分離動詞として使っています(現在は、どうやら少数派)。
7.問題点
今後、muster (c) のような型(例えば、「第2非分離動詞」と命名しておく)がどれくらい広まっていくか、という点にある。
Zweifelsfrei Deutsch: Grammatik (2007)
の表の中には、upgraden が同じパターンとして記載されている。
Duden: Die Grammatik (2005) には、
updaten, doppelklicken が同列に並べられている。
「なんだ、コンピュータ関係の英語慣用語法でしかないんじゃないか!」 と言う人もいるだろうが、そうではない。 「名詞+基礎動詞」で作られた分離動詞の中には、 すでに、notlanden, danksagen, bergsteigen がこの型に属するのだ。 「クラウン独和辞典」の電子辞書版をお持ちの方は、 notlanden の項目から、「変化 4」 へジャンプしてみると、downloaden と同じ種類の間違いを発見できる。つまり、 notlanden の項目の説明には、 丁寧に以下のような説明があるにもかかわらず、 「変化 4」には、genotlandet となっている。 あれれ...。ね、上の推理と一致するでしょ!
定動詞は単一語扱い.例:Der Flugzeug notlandete.
(飛行機が不時着した).過去分詞およびzu 不定詞は分離動詞扱い.
例:Der Pilot ist auf der Wiese notgelandet.
(パイロットは草原に不時着した).um notzulanden
(不時着するために).
「クラウン独和辞典」第3版の電子辞書(XD-GW7150)より
danksagen の場合は、 「変化表 2」にジャンプすると、ちゃんと danksagen - danksagte - dankgesagt が表示され、本文の記述と矛盾しない。
bergsteigen の場合は、 「変化表 174」にジャンプすると、 bergsteigen - ------ - berggestiegen と表示される。これは、「不定詞」または「過去分詞」でしか使わない、 という本文の記述と矛盾しない。このようなタイプの動詞が、 確かに存在するのだが、実際には、定形で使うこともあり、 その場合は、 downloaden と同じパターンになるのだ。つまり、 ich bergsteige という使い方もアリ、 ということ(Zweifelsfrei Deutsch: Wortbildung & Wortbedeutung (2008: 19))。
今のところ、コンピュータ関係の動詞4つと、上の3つの動詞が この「第2非分離動詞」ということになるが、調べればもっと出てくるかもしれない。 いずれにせよ、あまり気持のよくない動詞だなあ、とつくづく思う。
downloaden, doppelklicken, upgraden, updaten,
notlanden, danksagen, bergsteigen, ...
ドイツ語版「ふるさと」を聞いた時の違和感 [15/06/2008]
5月31日(土) 田辺とおる氏のトークコンサート(於:学習院大学) に行った。 ドイツリート、ウィーンの歌、日本の歌のドイツ語版、 アニメソングと盛りだくさんで、会場の音響がいまいちだったが、 面白い話とすばらしい歌を堪能させてもらった。 講演会の形でもあったのだが、終了後は、 コンサートと同じようにピアニストと手をとりあって挨拶し、 拍手で退場したと思ったら、なりやまぬ拍手で再登場、 そしてアンコールというパターンになった。
さて、そのトークコンサートで、 日本の曲「ふるさと」のドイツ語版が披露された。 あらかじめ、日本語の歌詞とドイツ語の歌詞が併記されている楽譜が配られていたので、 途中でそれをみながら聴衆も合唱するということになり、 やってみたらなかなか見事、私の後ろの席のドイツ人女性は、 すでにドイツ語版を歌ったことがあったようで、 大きな声で情感豊かに(?)歌い上げていた。
田辺氏の解説によると、ドイツ語の歌詞は、 Goethe Institut の先生がつけたそうで、 スイスのテノール歌手、エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger, 1919-2007) が歌っていたそうだ。実際に、「ドイツ語で歌う日本の歌曲」とか、「日本の歌曲を歌う」 というようなタイトルの CD が何枚も出ており、 1995年にEMIミュージック・ジャパンから出された CD(TOCE-8624)には、「ふるさと」が収録されている。
田辺氏の解説では、ヘフリガーはこの曲をかなりアップテンポで、
明るく楽しそうに(?)歌っていたとのことだ。
実際に、アップテンポでもその場で歌ってくれたのだが、
元の日本語の曲とは別物のような雰囲気となる。
<故郷を思って、うれしくなる。うきうきする。>というのが、
どうやらヘフリガーの解釈だったようだ。
が、しかし、「ふるさと」という曲は不思議な曲で、
「うさぎおーいし」と歌うと「子供達は、うさぎを食べたらおいしかった」
という誤解をすることでも有名だが、
どことなく余韻がある曲なのだ。決して寂しい曲ではないのだが、
そして多分、短調でもないはずなのだが、
日本人が歴史的に培ってきた
「故郷」への郷愁が秘められている感じがする。
田辺氏も、そのあたりの感覚があるようで、
ヘフリガーとは異なり、ゆっくりと歌い上げていた。
さて、まずは、ドイツ語の1番の歌詞と日本語の歌詞を比べてみよう。
Ging auf die Hasenjagd in Feld und Wald,
fing Fischlein unverzagt im Bächlein kalt.
Im Wachen, im Träumen, mit den Freunden und allein,
du ferne Heimat: ich denke dein.
兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷(ふるさと)
「故郷」(ふるさと)は、高野辰之作詞、岡野貞一作曲の文部省唱歌(6年生用)
である。ドイツ語へ翻訳された歌詞は、もちろん、
100% 日本語の歌詞と同じ内容を伝えているわけではないが、
ドイツ語として、うまく作られている。
1行目と2行目は、ちゃんと
Wald, kalt
として、韻をふんでいるし、3行目と4行目も、
allein, mein と
n でそろえている。
元の日本語も古風なので、ドイツ語でも、
im Bächlein kalt
のように形容詞を名詞の後ろに置いて韻をふみながら古さを出しているのもいい。
Ich denke dein. も古風だが、
「忘れがたき故郷」という部分を、
du ferne Heimat
(おまえ、遠くの故郷よ)と呼かけてから、
Ich denke dein.
(わたしは、おまえのことを思っている)
とつなげたのには、感心する。
Unvergessliche Heimat
と直訳したら、味もそっけもなくなっていたところだ。
では、ドイツ語の歌詞を日本語に直してみるとどうなるだろう。
率直な和訳を試みた。
ウサギ狩に野や森へ行った
小魚を気おくれせずに釣った 冷たい小川で
目が覚めていても、夢の中でも、友と一緒でも、一人でも
遠き故郷よ、わたしはおまえのことを思っている
田辺氏が挑戦したように、ゆっくりと歌えば、これでも十分に情感をだせるのかもしれない。 が、「情感」とか「郷愁」という感性の話では説得力がないので、 少し違う視点から眺めてみよう。
日本語のオリジナルの歌詞を眺めていると、主語の「私」が隠されているのと同時に、
各行の中心は名詞であることが分かる(=名詞句)。
つまり、
1行目は「かの山」
2行目は「かの川」
4行目は「ふるさと」
だ。3行目だけが変則で、
先頭に置かれている名詞「夢」が、
話題となっている(「夢がめぐっている」のは、私の頭の中であろう)。
かくして、背後に隠れている「私」と各行の中心的名詞が、一行ごとに関係を持つ。
それに対して、ドイツ語の方は、 1行目と2行目で主語が隠されてはいるものの、 明らかに「私」が主体的に行為をしている様子が過去形で語られている。 3行目では、違う展開になり、4行目の「わたしは、おまえ(=故郷)のことを思っている」 という文につながる様々な場面が先行して登場する。
「余韻を残した表現」というのは、乱暴に言ってしまえば、 「複数の解釈の余地を残した曖昧表現」である。 日本語の歌詞の特徴は、1行目、2行目、3行目と名詞句表現で、 「私」とのつながりが直接的に動詞と結びついていないところにある。 例えば、「ウサギ追いし かの山」を「わたしは、かの山でウサギを追った」 と言えば、それは、出来事として捉えられるが、 「ウサギ追いし かの山」と言うと、「それで、かの山で何をしたの?」 と聞き返される状況を想像できる。そう、そのオープン・エンドな部分が余韻を残すのだろう。
以下、2番と3番の歌詞も日本語とドイツ語で並べておこう。 ここでは、1番とはまた違った面白さが発見できる。 では、分析しようと鑑賞しようとご自由に。
如何(いか)に在(い)ます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷(ふるさと)
Vater und Mutter mein,
geht es euch gut?
Und ihr Gesellen fein,
habt frohen Mut.
Im Regen, im Winde,
in der Sonne warmem Schein,
du ferne Heimat: ich denke dein.
志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷(ふるさと)
水は清き 故郷(ふるさと)
Hab' ich mein Ziel erreicht,
fand ich mein Glück,
fällt hier der Abschied leicht,
kehr' ich zurück.
Grün die Berge, weit die Felder,
und das Wasser klar und rein,
du ferne Heimat: ich denke dein.
Happy Aua って何? [21/04/2008]
Bastian Sick のHappy Aua: Ein Bilderbuch aus dem Irrgarten der deutschen Sprache. が2007年8月に発売になったことは知っていたのだが、入手したのは、 すでに11月になってからだった。Happy はドイツ語だが、 Aua って何だろう、と思っていた。本を手にとって、 知らず知らずのうちに声を出してタイトルを読んでみたら、すぐに分かってしまった。 Aua は、英語の Hour だったのだ。 日本では、和製英語という言葉があるが、 独製英語とでも呼べるような英語がある(英語がドイツ語に入ってきたのは、 Anglizismus(イギリス語法)とか、 Amerikanismus(アメリカ語法)と呼ばれるが、 これらは、「英語」として<間違って使われている>ので、 Bastian Sick 曰く、Denglisch というのがふさわしいかもしれない。「英語なのに、ちょっとドイツ語化している」 というか、「ドイツ語流の間違いが混入している英語」というものだ。
この本は、ドイツ語圏各地にある看板やポスター、新聞記事などの写真と、 それに対してのコメントで構成されている。 Bastian Sick 本人が集めたというよりは、 各地の一般人が彼のところに送ってきた写真を集めたものだ。 従って、「読み物」というより、半分は、 その看板やポスターそのものに書かれたドイツ語や「独製英語」などを見て<楽しむ>ものとなっている。 もちろん、Bastian Sick のコメントもなかなか面白い。
写真と文字で構成されているネタなので、ここで紹介するのは難しいが、 WAZ, 11.06.2005 の記事のタイトルを引用しておこう。 これは、筆者の意図と反して、別の解釈ができる文の例で、 言語学者の好きな曖昧文だ。
Frauen finden später einen neuen Job als Männer
Nachteile auch bei der Lehrstellensuche
(Sick, Bastian (2007)Happy Aua: Ein Bilderbuch aus dem Irrgarten der
deutschen Sprache. Kiepenheuer & Witsch: Köln. S. 43)
同書 57ページには、この本のタイトルとなったようなポスターがあるのだが、 そこには、Do you speak Denglisch? というタイトルがついており、そのポスターの中には、 Happyauer! と書いてある( Aua ではなく、Auer )。 Aua は、実は、Au という間投詞の幼児語として辞書にも掲載され、 「苦痛、嘆き、困惑、驚き」などの感覚とつながっている。 他方 Auer は、ドイツ語の姓として存在する。 先日、来日して講演をした言語学者もAuer さんだったし、 Carl Auer(1858-1929)という化学者や、 Leopold Auer(1845-1930)というハンガリーのバイオリニストもいた。 何を言いたいのかといえば、本のタイトルの Happy Aua も、ベルリンの Kreuzberg で見つかった Happyauer も、ドイツ語スペリングの仲間である、という話だ。
そもそも音を文字に書くという作業、「話しているように書く」 というやり方がある。話し言葉の文体をそのまま書き言葉にしてしまおう、 という試みは歴史的にも世界中で行われてきた人間の営みなのかもしれない。 「音」をXX語流に書く、という試みもある。 同書 57ページには、Bastian Sick による創作(?)と思われるこんな「ドイツ語流英語」の文が載っている。
Wie will feinelie owerkamm!
笑っちゃいますね! (解答はこちら)
さて、看板やポスター、新聞記事などをこれだけ見せられて、 へんてこりんなドイツ語を読んで笑いまくると、 ハッピー・アウアを過ごせるのだが、なんでそもそもハッピーになるのだろう?
一つは、書き手の方が意図した意味が、実は読み手に伝わらない、 たとえ伝わっても誤解を生む、という状況がある(上に引用したような例)。 もう一つは、「こんな間違いをしている」というのが分かると、 「ドイツ人も、こんな間違いをするんだ」とか、 場合によっては、外国人が書いたドイツ語に「こんな間違いがある」 と気づき、その表現の<おかしさ>で笑ってしまう、というものだ。 「あなたも間違えましたね。」という一種の Schadenfreude もあるかもしれない。
Schadenfreude(「他人の不幸を喜ぶ気持ち、ざまをみろと思う気持ち」(クラウン独和辞典)) と言えば、 Hueber から出版された Ausgewanderte Wörter にもSchadenfreude が出ていたのを思い出す。 「移住した単語」とは、「他の言語に入って行ったドイツ語」を指すのだが、 例えば、Schadenfreudeは、 オーストラリアでも使われるのだそうだ。その部分を引用すると(P.42):
Schadenfreude is what you feel when you see two bigs Mercs [Mercedes Benzs] having a small accident.
なるほど、確かに、多くの日本人も「ざまあみろ」 と心の中で思ってしまう状況かもしれない。
参考までに、Langenscheidt と Duden の定義を挙げておこう。
Schadenfreude die; nur Sg; die Freude, die jamand daran hat, dass einem
anderen Unangenehmes passiert.
(Langenscheidts Großwörterbuch Deutsch als Fremdsprache.)
Schadenfreude, die <o. Pl>: boshafte Freude über das Missgeschick,
Unglück eines andern:
(Duden: Das große Wörterbuch der deutschen Sprache.)
考えてみると、「様(ざま)を見ろ」という言葉も変わった言葉だ。 「人の失敗をあざけりののしって言う」言葉だが、「それみたことか」 というのもほぼ同じ罵り言葉だ。Schadenfreude が「心の中の状態」を表すとすると、「ざまあみろ」の方は、 面と向かって罵る時に主に使われる言葉だ。これは、 Das geschieht dir ganz recht! とか、 Das hast du verdient! が近いように感じるが、これでは罵り言葉としては弱すぎる。「ざまあみろ」というのは、 かなり語気の強い独特な語感がある罵り言葉だ。 Zamā-miro! というのは、 数少ない日本語の罵り言葉(?)の中では、輸出できる有力な語かもしれない。 ということで、 Zamā-miro! の辞書記載の一例を考えてみた。 反意語の間投詞は、おそらく Kawaisou(-ni) (Ausdrück der Sympathie) だろう。
Zamā-miro, Interj. (Japanisch) verwendet als Schimpfwort für jemanden, dem ein Missglück
od. Unglück passiert, und bei der Äußerung
drückt man aus, dass man Schadenfreude empfindet.
Varianten: Zamawo-miro (Urspr.), Zamaa-miro
(Ggs:) Kawaisou(-ni)
ドイツ語版 Harry Potter Band 7: Der gesprochen hatte, saß... [12/09/2007]
ドイツ語版のHarry Potter 第7巻は、2007年10月27日に Carlsen Verlag から発売になった。 ドイツ語のタイトルは、Harry Potter und die Heiligtümer des Todes だ。日本語版は、「ハリーポッターと死の秘宝」(仮題)で、2008年7月23日 発売予定だ。
Heiligtümer とは、Heiligtum の複数形で、 「神聖な場所、神聖なもの」のこと。 オリジナルの英語版タイトルが、Deathly Hallows となっていたので、「聖人、聖職者」のことかと思ったが、「神聖なる物」(複数) の意味で使っているようだ。その意味では、今回のドイツ語のタイトルは、 ぴったりとしている。日本語では、「死の神聖なるもの」ではタイトルにならないので、 「秘宝」が選ばれたのだろうか。 「秘宝」は、言葉として確かに分かり易いが、ちょっと違うなあ、と思う。
そのうちドイツ語版も注文しようと思いつつ、つい忘れていたので、11月に入って Amazon で注文したら、一週間で届いた。 でも、なかなか読む時間を作れない。というのも、ドイツ語版は、英語版よりも大きいのだ。 かさばるので、持ってあるくのに困る。かさの割には、軽いのだが、それでもそんなに大きな本を毎日もってあるくのは辛い。 ついつい論文の薄い抜き刷りとか、ペーパーバックの本をつかんでしまう。
それでも、ぱらぱらと読み始めたら、「なんだこれ?」と思う文に遭遇した。 その部分を赤文字にして以下にその前後を含めて引用する。
>>Yaxley. Snape.<<, sagte eine hohe, klare Stimme vom
Kopfende des Tisches her.
>>Ihr kommt äußerst spät.<<
Der gesprochen hatte, saß direkt vor dem Kamin, weshalb es
für die Neuankömmlinge zunächst schwierig war, mehr
als seine Silhouette zu erkennen.
(Harry Potter und die Heiligtümer des Todes: 11)
基本的に書き言葉も、話し言葉と同様に(頻度的には低いが)間違いを含むので、 ドイツ語の文章を読んでいる時も、時々さまざまな過ちに遭遇する。 初めは、Wer gesprochen hatte かな、 と思ったが、明らかにそれでは変だ。 Der Gesprochene hatte というのは、もっと変。 何度か読み返して、英語の原文を確認してみると、 The speaker となっていた(以下の原文を参照)。
`Yaxley. Snape,' said a high, clear voice from the head of the
table. `You are very nearly late.'
The speaker was seated directly in front of the fireplace, so that
it was difficult, at first, for the new arrivals to make out more
than his silhouette.
(Harry Potter and the Deathly Hallows: 10)
ここでの文脈を確認しておくと、すぐ前に発言したのは、 Voldemort だが、 この時点で筆者はこの文の話し手を隠している。そして、「その(たった今の)発言をした人」 という意味で、The speaker と言っているのだ。 ドイツ語で 、Der Sprecher とすると、一対一の逐語訳になるが、 語の意味として固定された Sprecher (例えば、「スポークスマン、講演者、など」)を連想してしまい、 「ついさっき話した人」という意味に取れない。 つまり、ここでの Der gesprochen hatte とは、 Derjenige, der gerade gesprochen hatte の意味なのだ。実際に、 ネイティブの友人に尋ねてみて確認できた。
Derjenige, der gerade gesprochen hatte ではなくて、 Der, der gerade gesprochen hatte としてももちろんよい。derjenige, der というのは堅いいい方なので、こちらの方が口語的だ。 さらに、今回のように、 Der (gerade) gesprochen hatte が口語では可能なのだ。 つまり、「たった今、話した人は」という意味だ。 ここでは、 gerade を入れたが、 soeben でもOK. ただ、ドイツ語訳では、これらの副詞が欠けているため、 最初読んだ時に、「ひっかかる」のだ。 「えっ、なんだって?」と思ってしまう。
私が質問をしたネイティブの友人も、一瞬「おやっ?」 と思ったようだ。 また、ネットでも、 Schlechte Übersetzung??? というアマゾンのディスカッションの中で、 Nic が同じ箇所を指摘して、 etwas irritierend とコメントしている。
少しだけ、言語分析にかかわるコメントをしておくと、 この Der gesprochen hatte は、 Der, t gesprochen hatte ではない。先頭の der は、関係代名詞だ。 先行詞がないので、不定関係代名詞と思ってしまうと大間違い。ここでは、機能的には定関係代名詞であり、 先行詞は表面に現れていない、ということ。 t, der gesprochen hatte なのだ。
翻訳は難しい。そこには、2つの言語のさまざまな規則、
制約が絡み合っているだけでなく、
語彙的な背景が隠されているからだ。
この箇所で、もう1つ気になったのは、
`You are very nearly late.'
を >>Ihr kommt äußerst spät.<<
と訳していることだ。
äußerst
というのは、「とても、すごく」というような強調表現であり、
sehr とか、extrem
に言い替えられる。しかし、英語表現の
very nearly
というのは、イギリスの上流中産階級(upper-middle class)
の人々が典型的に使う表現だそうで(上流中産階級の先生が特に典型的に使う)、
almost
の意味だ(ネイティブに確認済)。日本語で言えば、「ほとんど遅刻だぞ。」
と言っているのに、「すごく遅いぞ。」とドイツ語に訳してしまったわけで、
これも誤訳ということになる。
「もっと早く起きなくっちゃだめだよ」[10/27/2007][11/03/2007]
学生と一緒に、「点子ちゃんとアントン」(Pünktchen und Anton) のDVDを見ていた時、カルロスに点子ちゃんが壁に追い詰められ、おまえの家は金持だよな、 金よこせ、と言い寄られた時に次のように言ったのが聞こえた。
Pünktchen: Du machst mir keine Angst, Carlos. Da musst du früher aufstehen.
映像を見ていると時間がどんどん過ぎていき、聞いている言葉が頭に残らないことも多いのだが、 この時はたまたま下を向いてドイツ語を聞いていたので、はっとした。 後で確認したところ、字幕には、「あんたなんかぜんぜんこわくないわ。」 としか出ていなかったので、この部分はとばしたことが分かる。
もともと、この言葉は、本日の表題にあるように 「だったらもっと早く起きなくっちゃだめだよ」という意味でしかないのだが、 口語表現では、さまざまなニュアンスを伴って使われる。 文字どおりの意味で使うのなら、話し相手が「明日〜する予定なんだ」 とか言った時、「それなら早起きしなくっちゃね」と使ったり、 もうちょっとのところで〜に間に合わなかった話し相手を見て、 「ほらほら、もっと早く起きなければだめだね。」 とほんのちょっぴり他人の不幸を喜んでいるような(schadenfroh) 雰囲気で使われる。 後者の場合は、Da hättest du früher (eher) aufstehen müssen! (「もっと早く起きなければならなかったね。」) と言うのが接続法II式完了形を使った本来のいい方なのだが、 その意味で、現在形でも使われている。
この表現にさまざまなニュアンスが込められる背景には、 2方向の推論があると思われる。と言っても、 途中で枝分かれしているだけ、と考えることもできる。
「もっと朝早く起きる」
<そのためには>↓
「もっと努力が必要だ。」
<命令への変換>↓
「もっと努力しろ!」
「もっと朝早く起きる」
<そうすれば>↓
「もっと多くのことができる。」
<常識的推論>↓
「もっとまともになれるはずだ。」
<皮肉への変換(逆転)>↓
「まともじゃないよ!」「そんなの通用しないよ!」
基本形は、
Da musst du früher (eher) aufstehen!
で、früher
の代わりにeher を使うこともできる。
まずは、ドイツ語での意味の説明から見ていこう。
(1)
e-Großwörterbuch Deutsch als Fremdsprache. 4.0, Langenscheidt
( gespr )
wenn du etwas erreichen willst, musst du geschickter, intelligenter
handeln als bisher.
「何かをやり遂げたいなら、これまでよりももっとうまく賢く行動しなくっちゃいけない。」
(2)
Das große Wörterbuch der deutschen Sprache, Duden (2000) CD-ROM
( salopp )
da musst du dir mehr Mühe geben, um zu erreichen, was du
früher im Sinne hast.
「以前に計画していたことを成し遂げたいなら、もっと努力をしなくっちゃいけない。」
(3)
Duden Stilwörterbuch (1988: 96)
da mußt du dir schon etwas Besseres einfallen lassen.
「おまえは何かもっとよいことを思いつかなければならない。」
(4)
Duden Stilwörterbuch (2001: 113)
( salopp )
da musst du dir mehr Mühe geben.
「おまえはもっと努力しなければだめだ。」
(5)
Klappenbach/Steinitz (1978: 283)
( salopp )
bei mir richtest du so nichts aus.
「そんなことでは、私のところでは失敗するよ(そんなことでは、私には通用しないよ)。」
(6)
http://de.wiktionary.org/
aufstehenの項目
da musst du dir noch anders ausdenken.
「それなら、もっと他のことを考えださなけりゃだめだ(そんなことを言っても私は君を信用できない)。」
では、独和辞典はどのような訳を載せているだろう、 と思って調べてみたら、これがまた千差万別。なかなか面白い。 が、しかし、本当にこれらの日本語の表現の持つ効果(発話媒介行為)が、 このドイツ語表現で達成できるかどうかは、検証してみないと分からない (本当にこれらの表現が、同じような効果を持って同じような場面で使えるかどうかは、 検証されていないから分かりませんよ、という話)。
(1) 独和大辞典第2版
(話) その手にはのらんぞ、顔を洗って出直せ;
もたもたするな。
(2) クラウン独和辞典第3版(2003)
(話)《註:接続法II式完了形での例文だけを載せている》
その手はもう古いぜ
<おまえはもっと早く起きなければならなかったのに;
朝寝をすると不利な立場に置かれることから>
(3)プログレッシブ独和辞典第2版
(話) 出直してこい
(4)独和中辞典(研究社)(1996:109)
(口) そんなことは皆とっくにご承知だ。
顔を洗って出直してこい。
(5) 独和広辞典(1986: 119)
もっと早く起きなければいけないよ;
(俗) 遅すぎるよ、もう間に合わないよ、それじゃ駄目だね。
(6) 郁文堂独和辞典第二版(1993:124)
そんな古臭い手に誰が乗るもんか。
(7)フロイデ独和辞典(2003:123)
そんなとろいことじゃ駄目だ、なに寝呆けてるんだ、顔を洗って出直せ。
(8)マイスター独和辞典(1993:122)
君はもっとうまいことを考えつかなければ目的を遂げられないぞ;
その手はもう古い。
(9)新アポロン独和辞典(2003:106)
(俗)その手に乗るもんか(←君はもっと早く起きないといけない)
さて、点子ちゃんのセリフ、どの訳が適切だろうか? どれでもいい、と言ってしまうと元も子もないので、 どのような原則の基に訳をつけるかを決めてかからねばならない。 aufstehen の元々の意味からすると、 「(朝)起きる」という意味に関係づけたくなり、 「顔を洗って出直してこい」なんかが面白い、という人もいるが、 これでは、かなり元の表現から感覚的にずれてしまう、と思う。 ここは、Klappenbach/Steinitzの説明からきた 「そんなの通用しないよ!」を選びたい。 前の文との関係から補うと、「そんな脅しなんて私には通用しないわ。」となる。 「その手はもう古い」というのは、 話し相手が「罠をしかけてきた」ような場面ではぴったりだろうが、 ここでは脅されている場面なので、不適当だと思う。
とか書いてみると、カルロスの脅しに対して、点子ちゃんが 「あんたなんかぜんぜんこわくないわ。」 と言った後なので、 「もっと努力しなくちゃ駄目だよ」とか、 もう一歩踏み込んで「もっとがんばらなくっちゃそんな脅しはきかないよ」 でもいい気がしてきた。[11/03/2007 このパラグラフ追加]
それにしても、「もっと早起きしろよ!」という表現から、 ここまで(語用論的)意味が広がっていくというのは面白い。 逆転させて皮肉にするところのドイツ語のメカニズムが、 どうも日本語には合わないケースがあるなあ、と感じたりする。 ほかにもありますね、そういえば…。
EX-WORD (XD-GW7150)の大独和に間違いを発見 [5/20/2007]
EX-WORD (XD-GW7150) は,日常的に便利に使っている. 特に,小学館の『独和大辞典』の威力はすばらしい.電子辞書になったことで, 簡単にその限界も見えてきた.そんな中で,つい一ヶ月ほど前に発見した間違いを紹介しておこう.
『独和大辞典』第2版コンパクト版のS.344.
beschäftigenの下の
II beschäftigtの項目.
EX-WORD (XD-GW7150) では,通し番号つきで,
beschäftigenの項目の下に訳語だけがまずは表示される.
そこで「用例・解説」ボタンを押し,下へ移動するカーソルを3回押す.
そうすると,以下のような例文が現われる.
・voll beschäftigen sein
フルタイムで勤めている
・Er ist bei der Post <in einer Firma> beschäftigen
彼は郵便局<会社>に勤めている
そこで,さらに下へ移動するカーソルを押すと, II beschäftigtの2番目の項目の例文が現われる.それも,以下に引用する.
・ein sehr <stark> beschäftigener Arzt
多忙な医師
・sehr <viel> beschäftigen sein
多忙である(→vielbeschäftigt)
・Ich bin jetzt beschäftigen.
私は今は手が離せない
そこで,さらに「訳/決定」ボタンを押すと,この続きの例文も表示される. 注目しておきたいのは,その際に一番上に表示されているのが, 【be·schäf·ti·gen】 と表示されていることだ.以下では,上で示した例文の下の例文から, 以下に引用する.
・im Garten <am Herd> beschäftigen sein
庭<台所>で仕事をしている
・mit dem Abräumen beschäftigen sein
片づけものをしている
・mit einem Problem beschäftigen sein
ある問題にかかずらっている
・Er war gerade damit beschäftigen, einen Brief
zu schreiben
.
彼はちょうど手紙を書いているところだった
ドイツ語がある程度分かる人なら,間違いは明らかだ.上の例文の beschäftigen は,すべて beschäftigt でなければならない.
『独和大辞典』第2版コンパクト版のS.344を再度見直してみると, これらの例文の該当箇所は, すべて「〜」になっているのだ.紙媒体の辞書では,スペース節約のため,特定項目の例文中では, その項目の語を 「〜」 で代用している. しかし,そのようなスペースの節約が(昨今)不要な電子辞書では, すべて「その項目の語」を例文中で,ご親切にもイタリック体で表示している.
ここから想像できることは,辞書記述にあたり特定辞書項目を変数(variable)
として扱っている,ということだ.上で指摘したように,
例文表示の際に,
一番上に表示されているのが,
【be·schäf·ti·gen】
であったが,
【be·schäf·tigt】
でなければならない.ここでの変数を仮に x
とすると,
x=be·schäf·tigt
でなければならない所に,
x=be·schäf·ti·gen
としてしまった.
変数にバインドする値を間違えると,このように間違い大量生産につながる (ここでは9個の間違いにつながった). 直すのは,おそらく簡単だろう. すでに,この辞書執筆関係者に伝えてあるので,そのうち訂正されるものと期待している.
それにしても,
ein sehr <stark> beschäftigener Arzt
にはマイッタ.
これでは,「動詞の不定形に形容詞語尾をつける用法」が存在するように見えてしまう.もちろん,正解は,
ein sehr <stark>
beschäftigter Arzt
計算機パワーが生み出す間違いとして,非常に象徴的な例であった.
ちょっと不安になって,同様の例としてbestimmen
を見てみたが,こちらはちゃんとなっていた.但し,
bestimmen の下にあるbestimmt
の例文表示では,一番上に,be·stim·men
となっているが,bestimmt の例文中に間違いはな
いので,変数の使い方と,ページの一番上の表示は対応していないのかもしれない.ドイツ語の例文の示し方としては,逆に,
例文表示モードの一番上に表示される語としては
be·stimmt としてくれた方が親切だと思う.
EX-WORD (XD-GW7150)の使い心地 [3/15/2007]
2007年2月23日に発売予定だったCASIO EX-WORD(XD-GW7150) は,発売が3月2日に延期されたが無事に発売された.今回は,その使い心地をちょっとレポートする.
これまで,私は電子辞書を自分で購入して使ったことはなかった. ただ,学生が使っているものを手にとって,単語を検索したことはある. なぜ自分で電子辞書を買わなかったか,と言われると,(1) 全文検索ができないから, (2) 独和辞典と言っても「クラウン独和辞典」しか入っていないから,という理由だった. 冗談のように,電子辞書もこれからはワンセグの時代でしょ, なんて言っていたら,本当に,ワンセグ対応, ネット対応をうたう電子辞書が出てきてしまったので,様子を見ていたら, 小学館の独和大辞典第2版(収録語数:約160,000語)を収容した電子辞書が登場した. それが,このCASIO EX-WORD(XD-GW7150)だ. まずは,恒例の重量測定から. キッチンで計量の結果,318 g. これは,単4電池2本を入れた重量でSD Card 未装着の状態だ.
この電子辞書,26コンテンツ収録ということで,もちろん, 本としての辞書の総重量から比べたら,おそろしく軽いはずだ. しかし,電子辞書だと思って手に取ると思ったよりもずっしりとした重さを感じる. たかが318 g なのだが,大きさから期待する重量を越えている, ということだろう.
試しに,小学館の独和大辞典第2版を箱ごと計量してみた.
独和大辞典第2版は,1368 g. 確かに重い.1kg 以上,独和大辞典の方が重い.体力作りには,独和大辞典 の方が適している,とも言える;-)
定価が,60,900円というのは,電子辞書にしてはかなり高価ではある (私は,23%引きで購入). しかし,国語辞典,漢和辞典,英和辞典,和英辞典,独和辞典(クラウン独和も入っている), 和独辞典,英独・独英辞典,英英辞典と入っていれば,十分過ぎる程の価値がある,と言ってよい. ただ,残念なのは,独独辞典が入っていないこと. ドイツ語版の電子辞書では,多くの場合 Duden Deutsches Universalwörterbuch が入っているのだが.
では,具体的に1つの単語をいろいろ検索してみた結果を紹介しよう (ここは,「ドイツ語あれこれ」というページなので).
Flammkuchen という単語をご存じだろうか? 実は,私はまだ食べたことがない.この単語を調べるには, 独和辞典指定してから検索することもできるが,左上のON/OFF スイッチの右隣りにある複数アルファベット/複数ひらがな を選択するのが賢いやり方だ.「複数アルファベット」とは, 「複数辞書(を)アルファベットで検索」することができるモード. これで,辞書を串刺し検索できるわけだ.
独和辞典や独英辞典などの結果がずらずらと左側に表示されるはずなのだが, Flammkuchen は,なんと1件しかヒットしなかった. しかも,辞書名表示には,「料理」と書いてある.「訳/決定」ボタンを押すと, 「世界の料理・メニュー辞典」だった.
Flammkuchen[フランム・クーヘン]
薄いパン生地にベーコン,タマネギをのせ,チーズをまぶして焼いたスナック.
「世界の料理・メニュー辞典」よりの引用
なんで,「フランム・クーヘン」という発音になるのか分からないが, 普通にカタカナ発音を書けば「フラム・クーヘン」ですね. でも,「世界の料理・メニュー辞典」が入っていなければ,この単語は, 見つからなかったわけで,電子辞書に複数の辞書が入っている重要性を再認識させれらた.
しかし,話はこれで終わらない.知っている人なら知っている, あのquiche(キッシュ)の説明と酷似しているではないか?! そこで,今度は,quiche を「複数アルファベット」 検索してみた.その結果は,合計12件ヒット.ただし,その中には, 「キチェ族の人,キチェ語」,「キシュラ」(Quicherat)【人名】も入って いるので,それを除くと,9件ヒットしたことになる.以下は,発音を省略 し,それぞれの電子辞書の記述を並べて引用してみる.
●「ジーニアス英和大辞典」《卵・チーズ・ベーコンなどを入れて焼いたパイの1種》
●「ケンブリッジ英英和辞典」
a dish made of a pastry base filled with a mixture
of egg and milk and usually cheese, vegetables, or meat
●「デジタル大辞泉/逆引き大辞典」フランスのパイ料理の一つ。
パイ皿にパイ生地を敷き、ベーコン、ハム、チーズなどの具を入れ、
生クリームや牛乳を混ぜた塩味の卵液を注ぎ、オーブンで焼いたもの。
オードブルに用いる。
●「オックスフォード英独辞典」Quiche, die; bacon quiche; Speckkuchen, der
●「世界の料理・メニュー辞典」(米) キッシュ。パイ皮に野菜、肉、チーズ、
魚介などを卵とミルクを混ぜたもので寄せて、オーヴンで焼いたパイ。
●「世界の料理・メニュー辞典」(仏) とき卵に生クリーム、
ベーコン、チーズなどを入れて焼いたパイ。アルザス、ロレーヌ地方が有名。
●「ジーニアス英和大辞典」quiche lorráine
キッシュロレーヌ《ほうれん草・チーズ・ベーコンなどを入れて焼いたキッシュ》
●「世界の料理・メニュー辞典」(米)
キッシュ・ロレーヌ。ハム、ベーコン、タマネギ、チーズの入ったフランスのロレーヌ地方のパイ。
●「世界の料理・メニュー辞典」(独)
小さな円形パイに野菜やハムなどをのせてクリームソースをかけ、オーヴンでこんがり焼いたスナック。
興味深い結果がいくつか判明したが,結局,Flammkuchen とquiche の関係は,この電子辞書では分からなかった. 「世界の料理・メニュー辞典」では,どこの料理かが書いてあるのだが,米, 仏,独と3種類がエントリーされていて,微妙に違うところが面白い. キッシュロレーヌの存在が,フランス料理に分類されていないのも,偶然ではないかもしれない.
そこで,ノートパソコンにインストールしてある Duden Deutsches Universalwörterbuch. 5. Aufl. Mannheim 2003 で,Flammkuchen とQuiche を調べてみた結果が,以下の引用である.
Flammkuchen, Flammenkuchen, der [der Kuchen wurde früher im von Glut
u. Asche gesäuberten vorderen Teil des Backofens (a) gebacken,
während im hinteren Teil noch Feuer brannte]
(landsch.): fladenartiger Kuchen aus Hefeteig, der bes. mit Speck
u. Zwiebeln belegt ist u. warm gegessen wird.
Quiche die; -, -s [; frz. quiche, wohl aus dem Germ.]
(Kochk.): Speckkuchen aus ungezuckertem Mürbe- od. Blätterteig.
Flammkuchen の語源として, 「オーブンの前の部分で残り火と灰の部分で焼いた」という解釈が面白い. 特にベーコンとタマネギを使い,パイ生地で焼いてあるという説明だが,これは, Quiche のSpeckkuchen の説明とほぼ同じと考えられる.
さて結論だが,辞書ではほぼ同じもののように説明されているが, 実際に作るというドイツ人の説明によると, Flammkuchen とQuiche は違うんだそうである. Flammkuchen は, いろいろなものを載せて焼くそうで,Quiche とは形も大きさも違うとか.
先日,マンハイムの駅構内の商店街を歩いていたら,なんと偶然にも Flammkuchen の看板を見つけてしまった.そこには,確かに, 「ベーコンとタマネギ入り」が6,90€, 「ゴルゴンゾーラとほうれん草入り」が7,50€, 「ベーコンとタマネギ入り,エメンタールチーズでグラタン状にしたもの」が7,50€, 「リンゴとシナモン入り」が5,50€ と書いてあるではないか! しかも,一番上には, Original Elsässer Flammkuchen (オリジナルのアルザス・フラムクーヘン)となっている. 本当にこれがオリジナルなのかどうかは不明だが, 最下部には,不思議な容器に入った写真がついている. ここまできたら,もう食べるしかない,と思ったのだが, たまたま食後だったこともあり,チャンスを逃してしまった. ああ,今度はいつ,チャンスがめぐってくるだろうか(グスン). 食べたことある人からの,感想をお待ちしております. さらに興味深いのは,フラムクーヘンにしても,キッシュにしても, アルザス・ロレーヌ地方との深いつながりがありそうな点ですね.
Zwiebelfisch Folge 3 [1/2/2007]
年末の締め切りに追われていたが,ようやく一区切りつき,昨年12月に出た 「玉ねぎ魚」本, Der Dativ ist dem Genitiv sein Tod. Folge 3 を読み始めた. SPIEGEL ONLINE の Zwiebelfisch の最近のコラムをまとめたもので,Verlag Kiepenheuer & Witsch から,€ 8.95(D) で出版されたものだ. 第3巻にもなると,そろそろ読み手側としても飽きてくる部分もあるが, 相変わらずBastian Sick 氏のコラムは, よく書けている.ひねりの利いた「落ち」が解読できないと面白さは半減するが, 「落ち」が分かると,「よくできました!」と拍手をしたくなる.
まだ全部読んだわけではないが, 一番笑えたのは,Haarige Zeiten(S.127-131) だ.日本だと駄洒落と思われて,一笑に付されてしまうかもしれないが, ドイツの床屋とか美容院につけられた近年(?)の名前のお話. あんまり実例をあげてしまうと,潜在的読者の楽しみを奪ってしまうので, ごく簡単なものを6つだけ例としてあげておく.ちなみに, この話の最高傑作は,最後に出てくるお店の名前で, 私も思わず頭に手を乗せてしまった.
»Haar Genau«
--- haargenau は,「非常に精密な」という意味の形容詞を分離.
»Haarem«
--- Harem(ハーレム)をちょっと変形.
»Vier Haareszeiten«
--- vier Jahreszeiten「四季」をもじったもの.
»Haarmonie«
--- Harmonie「ハーモニー」をちょっと変形.
»Haarchitektur«
--- Architektur「建築(学)」の前に
Haar を付加し,ar を縮約.
»CreHaartiv«
--- kreativ(E. creative)「創造的な」という語中に.Haar を埋め込む.
これらが,お店の名前なのだ.日本の美容院(と言って気がついたが,この 「美容院」というのもかなり使われなくなってきている語かもしれない. 「病院」と「美容院」の発音の違いなんて話もそのうちできなくなるかも) にもいろいろな名前がついているが,こういう単語遊び的な名前は, あまりないように思う.調べてみると面白いかもしれない.
さて,今回の Der Dativ ist dem Genitiv sein Tod. Folge 3 を読んでいて感じることだが,ドイツ語が乱れているというよりも, ドイツ語を使う人たちのいい加減さを感じる. 特定の表現をするために文法的手段が存在するのを知っていても, それを使わなかったり, 自分で思い描いたイメージに無理矢理押し込めた表現をしたりする. そして,この点では,日本語を使う人たちの場合も同じだろう. 言葉を使う人たちのいい加減さが黙認されていく. よく,「日本語の乱れ」のような言い方がされるが, 要は,使う人の心がけなのだと思う. 言い換えれば,「言葉を大切にしない人たちが多い」 というだけの話かもしれず,実は,大昔からそういう状態が続いていて, その結果,長期的に見ると言語変化となって現われているのかもしれない.
そう言えば,「今年を振り返って,一文字で表現するとどうなりますか?」 と尋ねられて「責任」と答えた人もいた.それを黙認せずに, 「違います.<いちもじ>で表現してください」と食い下がって欲しかった. ああいう言葉のやりとりは,社会的に大きな影響を与えると思う.
もう一つ再認識させられたのは,ドイツ語の地域差だ. 言語の地域差というのは,よく見ると語彙の違いだけではない. 中には,けっこう根深い文法的な違いもあるのだ.
地域による語彙的な違いも当然豊富にあるのだが,実は前置詞の選択にも地域差がある. Ich geh nach Aldi (S.48-52) という話を中級クラスで読んでいるが, 方向を示す前置詞の使われ方の現状,地域差, ドイツ語を母語とする人たちの意識が多少なりとも分かるので面白い.もちろん, 「外国語としてのドイツ語」を学んでいる場合には, たとえ,お隣の親切なヤックマンさん(Frau Jackmann) がなんと言おうと, Ich gehe zu Aldi. としないとバツです.
↑「数独」と Sudoku のアクセント [8/21/2006]
前回,正書法辞典(Duden Die deutsche Rechtschreibung.) 第24版に日本語の「数独」から入ったSudoku が採録されていることを指摘した際に
>この記載が正しいなら,「スードク」と発音することになる. 本当かな?
と書いたが,付属の CD-ROM をインストールしたところ, なんと Sudoku の項目には,このように スピーカーマークがついており 音声も収録されていたので, さっそく聴いてみた.音声は男性の声で,確かに, この語は第一音節にアクセントが置かれ,長母音として発音されている.
近年すっかり独和辞典に定着した感のあるカタカナ発音表記だと「スードク」 となるが,日本語の「数独」*注1 の発音とは,どうもイメージが違う. Sudoku と「スードク」は決定的に違うのだ.
*注1
「数独」はパズル出版社「ニコリ」の登録商標で,日本では一般に,
「ナンバープレイス」とか「ナンプレ」と呼ばれている.
違いは高低アクセントと強弱アクセントにあるのだが, 日本語の場合,「数独」は,「スウドク」とも「スードク」とも発音され, 平板式のアクセントになる(太字で示したのは,「高い」アクセントを持つ文字). いずれにせよ,4モーラであり,起伏式のアクセントではない. しかし,ドイツ語化したSudoku は, 第一シラブルに長音の(強)アクセントが置かれるため,異様に感じられるのだ.
高低アクセントを使う言語は,日本語に限らないが,この平板式アクセントというのは, 強弱アクセントを母語とする話者には難しいようだ.
岩波科学ライブラリー 118に今年加わった,窪園晴夫氏による「アクセントの法則」 (ISBN4-00-007458-X, 1200円+税)は, 日本語だけでなくラテン語のアクセントや鹿児島弁のアクセントまでの研究をやさしく解説した名著である. 日本語のアクセント研究というのは,一般人にはあまり知られていないが, 世界的に見てもかなり進んだ研究領域である. 興味のある方は是非どうそ.個人的には,P.55 以降の「平板式アクセントの秘密」が特に面白かった.
同書には,スピーカーマークが付いており,岩波書店 の http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0074580/ にアクセスすることで,貴重な方言のアクセントを聴くことができる.
↑第24版 Duden 正書法辞典到着 [8/15/2006]
2006年7月22日にDudenverlag から Die deutsche Rechtschreibung. (24. völlig neu bearbeitete und erweiterte Auflage) が発売になった.これは,8月1日から発効された 「2006年版新正書法」の参照されるべき辞典として登場した. 私は,CD-ROM 付きを購入(25,50 €) したが,CD-ROM が付かない辞典との差額は, 5,50 € にしかすぎないので付いているものを購入した方がお得だ. ちなみに CD-ROM を単体で購入すると19,95 € だ. Windows 2000/XP, Mac OS X, Linux で使える Office-Bibliotheik Express (Version 4.1) が付属し, その上で,正書法辞典をひくことができる.およそ1万語には,音声データも付属する.
さて,今回の辞書の特徴を簡単にまとめると:
- 2006年新正書法対応
- およそ13万語の見出し語(23版よりも,約5000語増のはずだが,なぜか帯には,新語3000語増と書いてある)
- 4色刷りとなり,黄色の網掛けをしてある表記は,いくつかの選択肢がある場合,Duden のお薦めの書き方
- いわゆる「新正書法」での表記は,赤字で示されている
- 青のインフォメーションボックスで,(表記上)難しい語や制限のある語を説明している
- 正書法規則(Rechtschreibung und Zeichensetzung)が全文掲載されており, 本文中での表記箇所では,青で参照ページが記されている
手始めにLeid/leid のインフォメーションボックス (Informationskästchen) を一部分比べてみる.
第23版(2004) | 第24版(2006) |
---|---|
es tut mir Leid, auch leid; es wird ihm noch leidtun; | leidtun; es tut mir leid; es wird ihm noch leidtun |
jmdm. etwas zuleid, zuleide, auch zu Leid, zu Leide tun ↑K63 | jmdm. etwas zuleid, zuleide od. zu Leid, zu Leide tun ↑K63 |
die Leid tragende, auch leidtragende Zivilbevölkerung; die Leid Tragenden, auch Leidtragenden sind die Kinder | die leidtragende Zivilbevölkerung, die Leidtragenden sind die Kinder |
簡単に説明すると,当初の「新正書法」では,Leid tun だけが認められていた.以前の正書法(いわゆる「旧正書法」) では,leidtun という分離動詞扱いだったものだが, Leid の名詞性が強調され,分かち書きされるように変えられたが, 2004年の新正書法修正では,再び分離動詞的な小文字一語書きも 認められ, 2006年からは,分離動詞的な小文字書き だけ が正書法として認められた.
jmdm. etwas zuleid, zuleide に関しては,当初の「新正書法」で jmdm. etwas zu Leid, zu Leide が推奨されたが, 今回の修正では,Duden の推奨は,小文字一語書きである.
当初の「新正書法」では, die Leid tragende Zivilbevölkerung のように, Leid の名詞性を際立たせる書き方が推奨されたが, 1つの概念としてあるはずの分詞が,読み手に率直に伝わらなくなり(袋小路に入ってしまうので) 「旧正書法」の書き方 die leidtragende Zivilbevölkerung に戻された.
さて,今回収録された新語だが,巻頭には, Brötchentaste, E-Pass, Jobcenter, Plasmafernseher, Weblog が挙げられているが,ぱらぱらと調べてみると Sudoku も初登場していることが分かった.
Su|do|ku, das; -[s],-[s]<jap.>(ein Rätselspiel mit Zahlenquadraten)
この記載が正しいなら,「スードク」と発音することになる. 本当かな?
ちなみに,Langenscheidts Großwörterbuch Deutsch als Fremdsprache. も2006年版が出版されているが,これは,中味は,2003年度版で, 値段が据え置きなのに CD-ROMが付属する(29,90 €).お得といえば確かにお得だが,今回の新正書法改訂に伴い, この辞書もおそらく来年は新版が出るのではないかと予想される. 迷うところである.
Langenscheidt 社は, この8月に,Die neue Rechtschreibung - kurz und schmerzlos. という小冊子(5 €) を出した. タイトルを直訳すると,「新正書法 -- 短くて苦痛無し」 となるが, 一般人の気持ちをよく捕らえてますね.長ーーーい規則集 (Regelwerk) を読まされ,苦痛に顔をゆがめたくなかったら,こういう冊子を買いますよね.
↑ジダンの「頭突き」と「ヘディング」 [7/13/2006]
FIFA ワールドカップサッカーの決勝戦,フランスのカリスマ的サッカー選手, ジダン(Zinédine Zidane) が, イタリアのマテラッツィ(Marco Materazzi) に対して「頭突き」をくらわした. マテラッツィが侮辱的な言葉を3度発したのに対してジダンが反応したものだと言われている. この事件そのものの良し悪しにコメントする気はないが, 「頭突き」は暴力. だからもちろんスポーツ選手として,やってはならないことだ. しかし同時に,言葉も暴力となる という側面も忘れてはならない.当人同士はすでにマスコミで語っているが, 真相は,おそらく当事者の2人にしかわからないだろう.言語媒介行為 (perlocutionary act) の成立は,話しかけられた当人の 心の中の状態を結果としてもたらすのだが,それは,その場の状況を再現しても, なお第三者にとっては特定できないものだからだ(発話行為論を復習しましょう).
さて,ドイツ語の話.この事件で,「ジダンの頭突き」 はどのようにマスコミで表現されただろうか?
der Kopfstoß【ヘディング(サッカー用語), バッティング(ボクシング用語)】を使ったもの
(A-1) bei deinem Kopfstoß gegen Marco Materazzi
(A-2) Zidanes Kopfstoß gegen Marco Materazzi
(A-3) Der Kopfstoß Zinédine
Zidanes gegen Marco Materazzi im WM-Endspiel am Sonntag abend
(A-4) durch einen zu Recht mit Rot geahndeten Kopfstoß gegen
Materazzi
(A-5) nach dem kampfstierartigen Kopfstoß von
Zinédine Zidane im WM-Finale von Berlin
(A-6) Zidane hatte in der 110. Minute seinem Gegenspieler Marco Materazzi
einen Kopfstoß gegen die Brust verpasst.
(A-7) „Sehr persönliche und harte Worte über
meine Mutter und Schwester“ haben Frankreichs abgetretenen
Fußball-Superstar Zinedine Zidane im WM-Finale gegen Italien zu
seinem Kopfstoß gegen Marco Materazzi hingerissen.
ただ,Kopf を使って動詞中心の表現をしているもの.
(B-1) Was bekam Zinedine Zidane zu hören, daß er mit dem Kopf
zustieß?
(B-2) , rammte Zidane dem Italiener seinen Kopf in die Brust.
(B-3) Zinedine Zidane hat ihn mit dem Kopf umgehackt.
(B-4) Zidane dreht sich um, rammt plötzlich seinen
Kopf in Materazzis Bauch.
今回の「頭突き」は,簡単に言えば,der Kopfstoß gegen Materazzi となることが分かったが,同時に,「ヘディング」に関しては,Kopfstoß と Kopfball があることが分かった.また,Kopfstoß には,ボクシングのバッティングの意味もあるので,「頭突き」には, Kopfstoß の方が適切であるようだ.ちなみに, 英語では,headbutt (head-butt) というのが「頭突き」だ(batではないので注意!). ドイツ語では,さらに,「ヘディングする」という動詞があり,それは, köpfen だ.今回の報道を見る限り, ジダンの行為の描写には使われていない.
Kopfstoß を使わないとなると,(B-1) のように, mit dem Kopf stoßen とするか,(B-2)のように, den Kopf in die Brust rammen「頭を胸に打ち込む」 (rammen: (杭などを)打ち込む)とか,(B-3)のように ihn mit dem Kopf umhacken 「彼を頭でひっくり返す」(umhacken: (鍬で)をすき返す) のような言い方がされている.(B-4)も(B-2)と同様にrammen を使っていて,「自分の頭をマテラッツィの腹へ打ち込んだ」となっている. umhacken が日本人にはちょっと分かりずらいが, (B-3)は「頭を使って彼を(あたかもHacke (クワ,ツルハシ)を使っているかのように)ひっくり返した」 ということ.いずれにせよ,迫力のある行為の描写になっていることは間違いない.
↑「ゲルマン魂」は »Kampfgeist« か?[06/07/2006]
学会の折に,突然,「先生,そういえば,『ゲルマン魂』は »Kampfgeist« ですよ」と声をかけられ, ぎょっとした.私の頭の中での瞬間的反応としては, Ja! だったので当惑しながらも,しばし心の中では <違うぞ,ありえない>と思いつつ,反論の準備をした. »Kampfgeist« とは, Kampf (≈ fight, battle) と Geist (≈ spirit) の合成語なので, 「闘魂」(≒ファイティング・スピリット)のことだ.
しばし冷静さを取り戻し,「ゲルマン魂」という言葉に戻って考えた. Kampfgeist という語の中に「ゲルマン」なんてどこにもない. ドイツ語を母語にしている人が,Kampfgeist と言うと,<ゲルマン人が魂(たましい)を賭けて戦うぞ!>と言っている, と,勝手に日本人が解釈するのではないだろうか? もちろん,「ゲルマン人」 なんてものは存在しないし,日本人が考える「魂」 のイメージがドイツ人にもあるのかどうか,疑わしい.
そこで,「Kampfgeist という言葉には, どこにもゲルマンなんて概念は入っていないんじゃない?」と私は答えた.
後になって, Duden: Das große Wörterbuch der deutschen Sprache. (2000) を調べてみると,
Kampf¦geist, der 〈o.Pl.〉; unbedingte Bereitschaft zum Einsatz; kämpferische Haltung: in ihm erwacht der K.; sie (=die Mannschaft)… kam zehn Minuten später zu dem dank K. völlig verdienten Ausgleich (ND 1.6. 64, 3).
とある.
「出撃のために絶対的な(心の)用意ができていること」
(unbedingte Bereitschaft zum Einsatz)
というのが直訳だが,
むしろ「出撃のための完璧な心構え」 とでも言うと分かりやすい.
「戦いに臨む姿勢」
(kämpferische Haltung)
という言い換えがもう1つの意味の説明になっていて,
こちらの方が日本人には理解しやすいかもしれない(
Bereitschaft というのがくせ者でうまく日本語にならない).
最初の例文は「彼の中に Kampfgeist が目覚めた」
(in ihm erwacht der K.)
というもの.もう1つは,
「そのチームは10分後に Kampfgeist
のおかげで(それに)完全に値する同点に持ち込んだ.」
(sie (=die Mannschaft)… kam zehn Minuten später zu dem dank
K. völlig verdienten Ausgleich.)
というもので,明らかにサッカーのニュースから取ったもののようだ.
「〜 erwacht in 人」という構文の対象となっているので, 「〜」は,Mistrauen, Neugier, Interesse, Wunsch と並んで「心的状態」を表わしていて,さらに dank Kampfgeist と言っているところから, 「ポジティブな要因」となっていると推測される.
だが,待て.Kampfgeist を使ったら,後は germanisch という形容詞を付けて前置詞 mit で表現すれば, 「ゲルマン(闘)魂で戦う」ができるかもしれない. つまり,mit dem germanischen Kampfgeist とか,mit germanischem Kampfgeist という表現が使われているかどうかを調べてみる必要がある.
そこで,さっそく "mit dem germanischen Kampfgeist" と "mit germanischem Kampfgeist" をキーワードとして Google で調べてみた.結果は,
"mit dem germanischen Kampfgeist"
に該当するページが見つかりませんでした。
"mit germanischem Kampfgeist"
に該当するページが見つかりませんでした。
ほらね,ないですよ.ちなみに,形容詞 deutsch を使うと,
"mit dem deutschen Kampfgeist" の検索結果 1 件中 1 - 1 件目 (0.06 秒)
"mit germanischem Kampfgeist" の検索結果 1 件中 1 - 1 件目 (0.94 秒)
ちなみに,このような mit を使った表現がそもそも 使われるのか否かが問題となるが,以下のように使われている例はある.
"mit dem Kampfgeist" の検索結果 約 168 件中 1 - 10 件目 (0.07 秒)
"mit Kampfgeist" の検索結果 約 28,700 件中 1 - 10 件目 (0.33 秒)
2つだけこの検索結果にコメントしておくと, "mit dem Kampfgeist" に関しては, 付加詞としての用例ではなく, Das hängt zum einen mit dem Kampfgeist zusammen のような(項としての)用例が多い. 他方, "mit Kampfgeist" に関しては, 記事のタイトルが多く, Sommerfeld mit Kampfgeist (闘魂を持ったゾンマーフェルト)のような使い方が目立つ.
ということで,「ゲルマン魂を賭けて戦う」という意味で, „mit dem germanischen Kampfgeist“ とは言わない,という結論が(Google の検索結果では) 出たと言える. それにしても,ドイツ系の人が「戦うぞ!」と言うと,「おお,ゲルマン魂だ!」 と解釈するのはおおきな誤解,おおきなお世話だと思うのだが... それとは対照的に, 日本人が「戦うぞ!」と言うと,「おお,大和魂だ!」 と解釈する外国人がいるのだろうか? 日本人がスポーツなどで海外で活躍しているのを見ると, それを見た日本人の一部が, 「おお,大和魂だ!」と解釈するのではないか? もちろん,「私は,大和魂で戦います!」 という選手もいるだろうが.この背後には,「日本人なら大和魂を持っている」 というステレオタイプ的思考 があるのだろう.この考え方が好きな人もいれば, 嫌いな人もいる.
あなたは「大和魂」という思考法,好きですか?
えっ,私ですか? 私は,99.99%
魂 の存在を信じていませんので,
「大和魂」とか「ゲルマン魂」なんて論外です.
「ゲルマン魂」ってドイツ語でなんていうの? [05/27/2006]
先日,サッカーに関する石井学氏の講演を聞いた時のこと. 講演の中で,石井氏は,「大和魂」という言葉と合わせて,「ゲルマン魂」 という言葉を使った.講演後,たまたまその場に居合わせた K氏から, 「『ゲルマン魂』って,ドイツ語でなんて言うんですか?」と尋ねられ, 私はちょっと考えた.私の答えは,「そんな表現,ありませんよ.」 というもの.ドイツ語と付き合い始めてから,「ゲルマン魂」 に類する表現に出会ったことはない.だから,とっさにそう返事してしまった.
そこで,さっそく講演者である石井氏に直接尋ねてみたところ, 「『ゲルマン魂』に対応するドイツ語の表現はないでしょう」 という言葉がかえってきた. 「大和魂」という言葉に引きずられて, ドイツ人が持っている「魂」というような文脈で使われるのではないか, ひょっとしたら,日本のマスコミが作り出した言葉ではないか, という話題に発展した.「サムライ魂」なんていう言葉も, 今回の日本チームを売り込むキャッチコピーとなっている.
そんな話をしている時,ある見知らぬ方が話に加わり, 以前,「ゲルマン魂」について調べたことがある,という話になった. その方曰く,Deutsche Tugend というのが あるそうで,雑誌 Der Spiegel に, かつて出ていたことがあるそうだ.がしかし, Tugend は,日本語にすれば「徳,美徳」であり, 英語にすると virtue だ.「魂」とは明らかに違う.
いつものように,Langenscheidts Großwörterbuch Deutsch als Fremdsprache. をひいてみると(S.999):
1. ein vorbildliches moralisches Verhalten.
2. eine gute moralische Eigenschaft ↔ Laster, Untugend
Ehrlichkeit ist eine Tugend.
となっていた.「模範的な倫理的振る舞い」,「良い倫理的特徴」というのが直 訳だ(moralisch を「倫理的」と訳すのには, 若干の抵抗があるが).2. の意味での例文として挙げられているのは, 「誠実さは,美徳である」とでも訳せるもの.
「魂」とは違うなあ,と思い,今度は「明鏡国語辞典」を調べてみると(P.1014):
1. 人のからだに宿り,精神活動をつかさどると考えられているもの.
不滅のものと信じられ,死後は肉体を離れて神霊になるとされる.
「─が抜けたようになる」(=気力がなくなる)
2. 自然界の万物に宿り,霊的な働きをすると考えられいるもの.
3. 精神.心.「─のこもった作品」「─を入れ替える」(=心を改める)
▼ 3 は「〜魂(だましい)」の形も多い.「大和─(やまとだましい)」・
「ゲルマン─(だましい)」
なんと,「ゲルマン魂」は,辞書にも載っていた.「明鏡国語辞典」 は,この例を,3 の意味であるとしているが, 1 の意味との関係を無視できないだろう.(2 の説明の最後, 「考えられいるもの」というのは,「考えられているもの」 の間違いだろう.)そこで,「大和魂」と「ゲルマン魂」を同辞典で 調べてみると,「ゲルマン魂」は項目として存在せず,「大和魂」 には以下のような記述があった(P.1663):
1. 大和心(やまとごころ)
2. 日本民族固有の精神.勇猛で潔いことを特徴とする.▼
近世以降,国粋主義思想のもとで盛んに使われた語.
【参考】
大和心:漢学から得た知識に対し,日本人固有の知恵・能力.
大和魂(やまとだましい)⇔漢心(からごころ)
漢心:漢籍を学び,中国の文化や思想に心酔する心.
⇔ 大和心 ▼
近世,国学者が中国に感化された考え方を批判して使った語.
ということで,「大和魂」という言葉の背後にある,「魂」の概念を,
「明鏡国語辞典」にならって整理すると:
「魂」とは
(1) 人のからだに宿る.
(2) 精神活動をつかさどる.
(3) 不滅のもの.
(4) 死後は肉体を離れて神霊になる.
という4つの特徴で捉えられそうだ.
それに対し,「ゲルマン魂」を表現する時,講演者の石井氏は, durchsetzen という動詞で表現した. Langenscheidts Großwörterbuch Deutsch als Fremdsprache. では(S.247):
1. etw. (gegen j-n) d. erreichen, dass etw. gemacht od. realisiert wird, obwohl andere dagegen sind <ein Gesetz,eine Regelung o.Ä d.; seine Pläne, seine Absichten, seinen Willen o.Ä d.>
「他の人達が反対しても,あることがなされ,実現されるようにする」というの が,この分離動詞の意味の説明だ.独和辞典では,しばしば「押し通す」とか 「貫徹する」という日本語が登場する.
このように見てくると,魂 の4つの特徴は durchsetzen とうまく整合しないことが分かる. 「明鏡国語辞典」のように,「精神」という意味で「魂」を捉えれば, 確かに矛盾なくdurchsetzen の意味を乗せられないこ とはないが,「大和魂」と並列に並べられる概念ではなくなるだろう.
と,ごたごた書いてみたが,結論的には,やはり「ゲルマン魂」は, 「日本人がドイツ人を見て想像する架空の概念」で 「『大和魂』と並んで存在すると日本人が想像するもの」 ということになりそうだ.「魂は不滅だ」という考え方,好きな人がいるんですね. そして,スポーツ新聞などにもしばしば登場するこの「ゲルマン魂」という言葉, ドイツ語圏の人は自分で使っていないことに注意すべきです.
ドイツ語を母語とする人がインタビューで話した言葉の中に, 「ゲルマン魂」という言葉が,もし登場したら,実際は何と言っているのか, 確かめてみましょう.多分,そんな言葉は使っていないはずですが, ひょっとして,変わった言葉があるかもしれません.何か見つけたら, ご連絡下さい.
↑エスツェットって何だ?[04/20,25/06]
1. 最初の疑問と,その答え
ドイツ語を学び始めて最初に出会う文字の中で, 3種類のウムラウトの付いた母音 (ÄäÜüÖö) とエスツェット (ß) という文字は不思議な存在だ. ウムラウトの付いた母音は,変音 (Umlaut) したという印が母音の上の「テンテン」 (¨) で, 実際に手書きで書く時には,縦長の2本の線として書く. 音の変化を表わした文字ということで,ウムラウトについては一件落着なのだが,エスツェット (ß) は何者か,という疑問に答えていない入門書,文法書が多い. そこでまずこれから答えることにする.
エスツェット (ß) とは, エス (s) と (z) という文字の 合字(ごうじ,あわせもじ:Ligatur)だ. 2つの文字を合体させて1つの文字としたものなのだが, エスという文字は,現在広く使われている (s) ではなく「長いエス」(langes s) と呼ばれる ( ſ ) と … 続きはこちら
↑新しくなったマイスター (Meister neu)[03/13/06]
独和辞典の中でも,ヴァレンツ理論を組み入れた辞書として 1992 年に登場した大修館の「マイスター独和辞典」が新しくなり, 2006年3月1日に発売になった.日本語名は, 「新マイスター独和辞典」,ドイツ語名は, MEISTER Neu Deutsch-Japanisches Wörterbuch. だ.いくつかの基礎データで比べてみると:
サイズ(WxDxH) | 重さ(g) | 総ページ数 | 見出し語数 | 和独語数 | 値段(円)+税金 | |
旧 | 134x187x39 | 746 | 1788 | 6,5万 | 5000 | 3786+114 |
新 | 122x187x34 | 612 | 1583 | 8万 | 8000 | 4200+210 |
中味ではなく,外見で判断することに抵抗感のある人もいるだろうが, このように比べてみると,何が変わったのか,おおよその見当がつく. ある意味で驚くべき結果なのだ. ドイツ語見出し語が1,5万増え, 和独の見出し語が3000増え,幅が12mm減り,総ページ数が205ページ減り,重さも134g軽くなっているのだ. 値段は税込みで,510円高くなっている.134gの軽量化というのは, 手に持ったときに実感できる.軽いのだ. 幅が12mm減ったのも小さくなったという実感を感じさせる. このような情報から推測できるのは,単語数を増やし,個々の単語に関する記述量を減らした,ということだ.
実際に,「新マイスター」は,「まえがき」に 「本辞典は初級・中級・上級レベルの人 の使用にたえられるように」 編集されたとある.「どの場面でも手軽に使用できる形態しやすいサイズ」 というのも売り文句である(下線は筆者). そんなにすべてのレベルの人に対応した辞典を作ることが可能なのだろうか, という疑問がわく.
いくつか気がついた変更点を羅列すると:
・新正書法対応になった.旧正書法でも辞書を引くことができる.
・ドイツ歴史年表が2005年まである.(「メルケル内閣成立」まで)
・発音記号がほとんどなくなり,カタカナ発音表記になった.
(紛らわしいものだけ,従来の発音記号を載せているようだ)
<発音記号大好き言語学者としたは,ちょっと寂しい>
・新語がかなり増強された.1992年当時は,E-Mail
すら載っていなかったが,今回は,die E-Mailと
して収録された.ちなみに,動詞形として,emailen, e-mailen
をのせ,(過去分詞はgeemailt)としているのは,
今の段階ではちょっとやりすぎか(私の知る限り,この過去分詞形を載せている独独辞書はない.
外来語辞典には載っているかも知れないが).
その一方で,abmelden
が「ログアウトする」の意味で使われることが書いてなかったりするのは
ちょっと残念(昨年出た「プログレッシブ独和辞典第2版」には載っている).
booten「ブートする」,
herunterladen「ダウンロードする」,
Klammeraffe 「アットマーク」
も「新マイスター」にはなく「プログレッシブ第2版」には載っている例だ.こういうのは,
コンピュータ用語担当者の力量次第ということなのだろう.
・相変わらずの一色刷りだが,学習者にはちょっとめりはりに欠ける.
特に,初心者は,重要語を素早く見つけたいという欲求を持つわけで,
大きな赤のフォントで重要語が載っている「クラウン」や「プログレッシブ」
に比べて,見劣りがする.
・図表が消えた.例えば,「旧マイスター」にあったモーツアルトの写真は消え,
Motorrad の挿絵も消えた.
Maßeinheit(度量衡)と
Mathematische Zeichen
(数学記号)の表ページも消えたが,「nichtの位置」に関する記述は残った.
「ヴァレンツ記述があれば,例文はいらない」 という意見は以前からあったのだが,今回はそれを徹底させて記述量を減らし, 単語数を増やしたということのようだ. 例えば,interessierenという旧マイスターでは 「2つ星」の重要語に関する記述は,新マイスターでは,例文無しでたったの5行. 旧マイスターでは,例文込みで21行あった(新マイスターでは重要語の星マークも放棄したようだ). 逆に,ヴァレンツ記述ができない語であるdochなどの記述量はあまり減っていない.
私は, ヴァレンツ記述はそもそも不完全なので,それを補う意味でもできるだけ例文を多く載せるべきだという意見だ. しかし,現実にそれをやると,この倍以上の厚さになり,値段も上がり使いづらくなる. そう,例文を大幅に増やした辞書は,「電子辞書」なら可能なのだが, 紙の辞書ではしょせん無理なのだろう. いさぎよく割り切って作り上げられた「スリム」な辞書,案外, 今という時代にあっているのかもしれない.「スリム」な政府に, 「スリム」な大学.極力不要なものには出資しない,という精神に. 「旧マイ」は,3900÷65000=0.06,「新マイ」は, 4410÷80000=0.055 となり, 一語当たりの値段は,安くなっている.こういうのも「コストパフォーマンスに優れる」と言うのかな.
↑また新しくなる(?)「新正書法」 (Neue Rechtschreibung)[03/05/06], 追加修正[03/6,7/2006], 追加修正[03/8/2006]
2006年2月27日,ドイツでは1つの衝撃的なニュースが報道された. タイトルにもあるように,またまた「新正書法」が改訂されるようなのだ.
2006年3月6日追加情報[★3月9日修正]
正確な情報は、
Kultusministerkonferenz
のサイト、あるいは、
Rechtschreibrat
のサイトからたどって、
Regeln (PDF-Datei, ca. 3 MB)と、
Wärterverzeichnis (PDF-Datei, ca. 1.1 MB)と、
Bericht des Rats(PDF-Datei, ca. 550kB)
をご覧下さい。(2006年3月8日に2つのファイルが変更されました!)
例えば,German Newsの2006年2月27日
版では,Empfehlung des Rechtschreibrats
としてその概略が伝えられた.
以下は私の意訳:
「一年間の協議のすえ,正書法に対しての協議会は,
本日ベルリンで,正書法改革の修正のための勧告書を文部大臣会議に提出した.
今週中に,文部大臣会議では,
この勧告を2006年8月1日からの学校の新学期に間に合うように導入するかどうかを決定する.エルトズィーク-ラーヴェ
(Erdsiek-Rave)議長によれば,これはおおいにありえ
ることのようだ.修正案の重点は,分かち書きと続け書きである.この修正案に
よれば,再び多くの動詞が続け書きされるようになる.前バイエルン文部大臣
ハンス・ツェヘットマイァ(Hans Zehetmair)の座長の元で,
全ドイツ語圏からの専門家を交えた協議会は,一年間の協議を経て,
1996年に決まった正書法改革の特に議論の多い部分に対しての改善提案を作成し
たものだ.」… 続きはこちら
おやっ,と思った2つの発見[02/14/2006]
(1)
2006年2月11日の朝日新聞に,
ドイツやその他のヨーロッパ地域での大雪に関する記事が載っていた.
写真も付いており,そこには大きく
Vorsicht Dachlawinen
と書いてある看板と,雪下ろしをしている人の姿が写っていた.
Lawineとは,「雪崩(なだれ)」のこと.
Dach(屋根)から落ちてくる大量の雪なので,
Dachlawineというのは納得ができる.が,しかし,
なぜ複数形にしなければならないのか? もちろん,
「雪崩」が何回も起こることを前提としているならば,当然複数形にしてよいのだが,看板に書く言葉としては,
Vorsicht, Dachlawine!でよいはずだ.
ちょっと気になったので辞書で調べてみると,なんと手元にあった何冊かの
独和辞典には,Dachlawineが載っていない.
そこで,Duden大独和と,
Langenscheidts DaF,Duden
Deutsches Universalwörterbuch
でDachlawineを調べてみたらちゃんと載っていた.
Dach-la-wi-ne die; Schnee, der von einem schrägen Dach(1)
(abrutscht und) auf den Boden fällt:Vorsicht,
Dachlawine! (Langenscheidts DaF)
Dach-la-wi-ne, die: von einem Hausdach abrutschende
Schneeemasse.
(Duden. Das große Wörterbuch der deutschen Sprache.)
大Dudenと,Duden Deutsches Universalwörterbuch
の記述は全く同じ.
「例文くらい載せてよ!>大Duden」
と思わず言ってしまった.
さて,訳語だが「屋根からの落雪」.偶然,昨日の天気予報を見たら,
こう言っていた.
「Dachlawine (女) -n 屋根からの落雪」
というように独和辞典に載せてください.>各独和辞典担当者の方
(それほど新語でもないようだし,
Googleでも1万以上検索にひっかかるので.)
Langenscheidts DaFでは,ちゃんと「屋根からの落雪注意.」の例文も
Lawineと単数形にして載っていた.よしよし.
(2) もう1つは,偶然にDer Spiegel(52/2005)
の記事を読んでいた時,その脇にDer Brockhaus
multimedial 2006の
CD-ROMの広告が載っていた.そこには,太字で一言:
KLICKEN SIE SICH KLUG.
はい,結果構文ですね.「クリックして賢くなろう!」というのでしょう. クリックしか しないと,バカになるような気もしますが, 結果構文を使った広告としては, Essen Sie sich schlank! (「食べてスマートになろう!」)以来の名作(?)のような気もします.いかが?
↑大 Duden CD-ROM 版[01/31/2006]
1. イントロ
「ドイツ語の辞書で最も大きなものは何?」と尋ねられたら, それは,「Jacob Grimm(1785-1863), Wilhelm Grimm(1786-1859)による Deutsches Wörterbuchだ」と答えるのが正解. グリム兄弟と言えば,「グリム童話」しか知らない日本人が大部分だろうが, ドイツ語の最大級の辞書を作った,いや,構想して作り始めた2人としても有名だ. 1854年に第1巻が出版されたが,Wilhelm Grimmは, Dまで,Jakob Grimmは, 第4巻の最初の方のFruchtまで書いたところで他界し てしまった.その構想を引き継いだ後世の学者が,この辞書を完成させたのは 1960年,32巻(およそ32万の見出し語)に及ぶ. 実に百年以上かかって完成されたものだ.これだけでも感服してしまうが, この辞書は,2004年にDer Digitale GrimmとしてCD-ROM 化されたのだ. これも,またものすごい偉業である(このデジタル版辞書に関しては,また別の機会に).
では,「現代ドイツ語の辞書で最も大きなものは何?」と問われたら,Duden のDas große Wörterbuch der deutschen Sprache. (1999年10月)だ.赤の紙表紙の10巻本で,見出し語はおよそ20万語.俗に, 「大Duden」とか, 「赤Duden」, 「青Duden」と呼ばれていた(その時々の紙表紙の色から). この大Dudenは,すでにかなり前からCD-ROM化 されていたが,今回は,3つのOS(Betriebssysteme)に 対応した版が出た,というので購入してみた. … 続きはこちら
↑Harry Potter 第6巻(ドイツ語版)[01/04/2006]
ドイツ語版のHarry Potterシリーズ第6巻は, 2005年10月1日に Carlsen Verlagから Harry Potter und der Halbblutprinz というタイトルで発売になっている. その冒頭の文が英語の原文と比較して,ちょっと面白い:
Es ging auf Mitternacht zu, der Premierminister saß allein in seinem Büro und las einen langen Bericht, der ihm durch den Kopf strich, ohne den geringsten Sinn zu hinterlassen.
… 続きはこちら
↑「シュナッピー」は,なぜ Schnappi か? [12/07.08/2005]
2005年12月7日.今日は, 「ぼくはシュナッピー」 というCD の発売日だ. 「シュナッピー」というのは,ワニの子供の名前.日本で発売になる CD 「ぼくはシュナッピー」のオリジナルタイトルは, Schnappi, das Kleine Krokodil だ. どんなキャラクターかというと, シュナッピー(Schnappi)のサイト を見てくれれば, そのアニメキャラクターと声を確かめられる(お試しあれ). なんと,ヨーロッパ各国のCD ランキングで軒並み首位を独占しているのだが,いよいよ日本上陸という感じなのだ.
日本では,まだ東京新聞(2005年11月19日)に、 「ドイツ語復権じわり」という記事が掲載され,その中でちょっと紹介されているだけだ. 何でもインターネットを通じて広まったキャラクターということだが, 日本でも同じような現象が起こるか,と言われると,ちょっと「?」
今回は,Schnappiというドイツ語の名称が, どのような<音をまねしたもの>かを考え, それにあたる日本語の擬音語,擬音的表現から,「シュナッピー」の本当の日本語訳を考えてみる. … 続きはこちら
↑「玉ねぎ魚 パート2」 (Zwiebelfisch Folge 2)[10/31/2005]
Zwiebelfischって知っていますか?<本の紹介>[8/19/2005] で書いたように、 Bastian Sick氏の Der Dativ ist dem Genitiv sein Tod. Folge 2 (ISBN: 3-462-03606-8, Kiepenheuer & Witsch, €(D) 8,90) が 2005年9月に発売になった。今回の本は、ベストセラーになった第一作に続いて、 またまた現代ドイツ語のさまざまな実情を知ることができる興味深いものになっている。
前作との違いは、(1) 読者とのQ &A がある、 (2) 60問の「玉ねぎテスト(ドイツ語のテスト)」 (Zwiebel-Test: Wie gut ist Ihr Deutsch?) が付いている、(3) インデックスが付いて、単語を検索できるようになった、 というところ。
この本の魅力は、これまで語られてこなかったドイツ語の使用場面が、 事の大小にかかわらず世相に照らして語られていること、そして、 筆者 Bastian Sick氏の正直な感想と皮肉、 … 続きはこちら
↑「タバコの煙のない駅」 vs. 「喫煙所」[10/30/2005]
公的場所が全面的に禁煙になるという動きは、 例によってアメリカからの影響か、日本でもかなり徹底してきました。 ドイツやオーストリアではどうか、というと、今年の夏に見た限りでは、 それほど進んでいるようには見えませんでした。 あいかわらず、駅や路上には、タバコの吸い差しが目につきました(日本と似たり寄ったりです)。
ただし、今回はこんな看板をBundesbahn の駅で見かけました。… 続きはこちら
↑3つの質問に答えます[09/28/2005]
質問が3つ寄せられたので、それに答えたいと思います。
(Q1) Der Dativ ist dem
Genitiv sein Tod. の文構造とその和訳を教えてください。
この文構造に関しては、まだ言語学者の間で論争が続いています。
簡単に言ってしまえば、このdem Genitiv sein Tod
は、der Tod des Genitivs
と同じ意味だと言われています。3格の部分は、通常「生き物」が置かれ、
所有冠詞は3人称に限定されます。
dem Genitiv sein Tod の中の
sein は、前のGenitiv
という名詞を受ける所有冠詞です。こんな言い方って変だ、と思えますが、
実は、古高ドイツ語から類似現象が見られるのだそうで、
さらに、ドイツ南部の口語表現ではごく普通に使われているようです。
Dortmund生まれのドイツ人にきいたら、
「普通に使うよ」と言われてしまいました。
(ただし、この表現は現在のところあくまでも口語ですから、
書き言葉には使わないように! 標準的なドイツ語では、バツです。)
さて、和訳です。3格が2格のような意味で使われているのですから、
「3格は、2格の死だ。」というのが直訳です。意訳すれば、
「3格は2格の死をもたらしている」、「3格は2格にとっては死を意味する」ということでしょうか。
この構文に関して詳しくは、Gisela Zifonun „Dem Vater sein Hut:
Der Charme des Substandards und wie wir ihm gerecht werden."
Deutsche Sprache. (2003), 97-126.
を参照して下さい。なんと、いろいろな言語で類似現象があるようです。
この論文のタイトルは、「お父さんの帽子」(Der Hut des
Vaters)ですね。
(Q2) [「考えないヒト」になるもう1つの方法]
のemoticonsの表の中にあったstoned
ってなんですか? ドイツ語でも、stoned となっていますが、辞書にありません。
説明のために、その部分を再録します。
*-) - stoned (stoned)
emoticonをよく見て想像すれば分かると思うのですが、 これは「石をぶつけられた顔」を表わしています。 英語は、名詞の動詞化が同じ形でよく行なわれます。ここでは、stone という動詞が「石をぶつける」という意味で使われているようです。 これに対して、ドイツ語でほぼ同じ意味になる動詞を Stein(石)という名詞から派生することができなかったことから、 このように英語のままになったのだと想像されます。ドイツ語には、stoned という表現はありません。さて、ここであらたな問題が浮上します。 「石をぶつけられた顔」というのは、いったいドイツ語で何と言ったらいいのでしょうか?
(Q3) [「考えないヒト」になるもう1つの方法]
のemoticonsの表の中にあったSchneckenpost
ってなんですか?
説明のために、その部分を再録します。
'@___ - snail mail (Schneckenpost)
このemoticon は、e-mail
に対して冗談ぽく作られたもので、「通常郵便」のことです。
電子メールに比べると、通常郵便はどうしようもなく遅いことから、snail mail
(=「かたつむり便」)とされてしまいました(うまく韻をふんでいます)。
よく見ると、このemoticon は、
うまく「カタツムリ」の姿を象徴していると思いませんか?
ちなみに、ドイツ語では、auf/mit Schneckenpost
という表現があり、「のろのろと」(ドイツ語の辞書では、
scherzhaft「冗談で」と註釈が付いています)という意味です。
英語では、at a snail's paceとなって、郵便とは関係ないのですが、実は、
ドイツ語では、電子メールが登場する以前から、
Schneckenpost(=「カタツムリ便」)が単語としてあったようなのです。
不思議ですね。そんなお話があったのかもしれません。
ちなみに、英語では、近年e-mail が、email
と書かれることがありますが、ドイツ語では、ハイフン無しのEmail
は、昔からある単語で、「エナメル」、「ほうろう」のこと(中性名詞)。発音は、
[emáı]
[emá:j] となりますので要注意です。
これが、E-Mailというドイツ語から、ハイフンを取れない1つの理由です。
「タバコは有害です」のドイツ語メッセージ [09/21/2005]
例えばイギリスで販売されているタバコには,"Smoking kills. "
(「タバコは殺人だ」とでも訳すのでしょうか?)
というメッセージが大きく書きつけられています。
これまでのタバコの箱に印刷されていた警句はなまぬるい,
という批判を受けてスタートしたものです。ドイツでは,複数の警句が導入されています。
タバコの箱の片面に1つづつメッセージが黒い太文字で下の方に張りつけてあります。
面白いので7つ収集してきました(後半の10個は後から追加したもの)。
Webで調べたところ,これらのメッセージは2003年10月1日から始まったもので,
"Warnhinweisen auf Zigarettenpackungen"
と呼ばれ,当初は14種類からスタートしたことが分かりました。
[この部分は、2003年12月に旧ホームページで公表していたものに、
3カ国版メッセージと日本語メッセージを加えたものです。]
… 続きはこちら
「ドイツ語の早口言葉」<オープンキャンパスでのミニ講義>[8/28/2005]
8月27日に、「早口言葉の音声学:日本語とドイツ語を比較して」
というタイトルで、学習院大学で話をしました。
実は、オープンキャンパスという催しに参加したのは、
今回が初めてです。そこで、45分のミニ講義を(2回)するということで、
上記のタイトルで話をしたのですが、やはり音声学の基礎を話してから、
日本語とドイツ語の音声の違いを説明したところで、すでに35分以上経過してしまい、
肝心の早口言葉の分析には、ほとんど時間が残らない状況になっていました。
時間が足りなくなることは予想していたのですが、前日の午後に、
ノートパソコンのハードディスクがクラッシュしてしまい
(台風一過の暑い
部屋で、エアコンもつけずに延々とコンパイルしていたのが直接の原因)、
準備の方も予定が狂っていました。
さて、今回紹介したドイツ語の早口言葉は、 以下の7つです。
時間の関係から、1〜2個しか紹介できませんでしたが、
ここに簡単な和訳をしておきます。早口言葉は、
音の組み合わせの面白さだけではなく、実は、そのリズムの面白さ、
内容の面白さ(ナンセンスさ)も見逃せないところです。当日の話でも紹介しましたが、
1st International Collection of Tongue Twisters
というサイトがあり、ここの早口言葉のコレクションがおそらく最大規模でしょう。なんと、2005年8月28日現在で、
107の言語の 2712個の早口言葉が集められています(日本語もあります)。
当日紹介しようとしたドイツ語の早口言葉は、以下のものです。 番号は、当日のハンドアウトのものに合わせました。
(7) Fischers Fritz fischt frische Fische.
Frische Fische fischt Fischers Fritz.
(漁師のフリッツは、新鮮な魚を釣る、新鮮な魚を漁師のフリッツは釣る。)
(8) Blaukraut bleibt Blaukraut und Brautkleid bleibt Brautkleid. Brautkleid bleibt Brautkleid und Blaukraut bleibt Blaukraut.
(青い草は青い草のまま、花嫁衣装は花嫁衣装のまま。 花嫁衣装は花嫁衣装のまま、青い草は青い草のまま。)
(9) Es klapperten die Klapperschlangen, bis ihre Klappern schlapper klangen.
(がらがら蛇は、自分のがらがら鳴るしっぽがもっとピシャピシャいうまで がらがらと音を立てた。)
(10) Denke nie du denkst, denn wenn du denkst, du denkst, dann denkst du nicht, dann denkst du nur du denkst, denn das Denken der Gedanken ist gedankenloses Denken.
(自分は考えたなんて考えてはならない、なぜなら、 自分は考えたんだと考えるとき、自分は考えてなどいないからだ、 そして自分は考えたと考えているだけなのだ、 なぜなら考えることを考えるのは、考えのない考えだからだ。)
(11) In allen Fallen in St. Gallen lallen alle: "Allen gefallen die Fallen in St. Gallen, in denen alle lallen."
(ザンクト・ガレンのあらゆる落とし穴の中で、 みんなはろれつがまわらない口で言っている: 「みんながろれつがまわらないザンクト・ガレンの落とし穴をみんな気にいっているんだよな。」)
(12) Wer gegen Aluminium minimal immun ist, besitzt Aluminiumminimalimmunität. Aluminiumminimalimmunität besizt wer gegen Auminium minimal immun ist.
(アルミニウムに最小限の免疫しかもっていない人は、 アルミニウム最小免疫性を持っている。 アルミニウム最小免疫性を持っている人とは、 アルミニウムに最小の免疫を持っている人のことをいう。)
(13) Ein sehr schwer sehr schell zu sprechender Spruch ist ein Schnellsprechspruch, auch ein nur schwer schnell zu sprechender Spruch heißt ein Schnellsprechspruch.
(非常に難しく非常に速く話さねばならない言葉が、早口言葉だ。 また、ただ速く話すのが難しい言葉も、早口言葉という。)
ここでの和訳は、意味を伝えようという目的でしたものですから、
日本語としてはエレガントではありません。
無理をしている部分もあります(例:(9) のように、
音を模写した動詞や形容詞を日本語にするのは困難です)。
早口言葉の面白さは、音のみにあらず、です。内容からして、
ちょっと変なものがかなりありますし、逆に、
どきっとするような真実を語るようなものもあります。
日本語の「隣の客は、よく柿食う客だ」というのも、考えてみると、
かなり変ですよね(お店で、隣のお客さんが柿を食べるのを目撃したこと、ありますか?)。
(11)の早口言葉も、かなりへんてこりんな内容です。また、
(12)に登場する「アルミニウム最小免疫性」なんて、無さそうです。
それに対して、(10)は、
けっこうするどく真実をついているように思えます。
早口言葉の音声学的分析は、やっても論文にはなりにくいのですが、
音声学や言語学の入門テキストでの練習問題としては、なかなか効果的なのではないか、と思いました。
「ヴィデオカメラで監視する」<ドイツ語で何て言いますか?>[8/22/2005]
ロンドンでテロリスト犯人を捕まえるのに活躍して一躍有名になった「ヴィデオカメラによる監視」
体制。東京でもあちこちに監視カメラが設置されているが、個人情報を豊富に含むデータを、
本当にテロリスト犯人を捕まえるのだけに使うように制限できるか、と問われるとはなはだ疑わしい。
ドイツでも、犯罪防止に役立てようと、ヴィデオカメラの設置が進行中。
さて、ドイツ語の問題。
「ヴィデオカメラで監視する」というのをドイツ語で言うと?
X mit der Videokamera überwachen で、
「X をヴィデオカメラで監視する」となります。
überwachen は、4格をとる単純な他動詞で、
この動詞は非分離動詞。でも、これだけでは面白くないですね。
そう、ドイツ語お得意の動詞化をするとどうなるでしょうか?
以下の看板を見てください。これは、ミュンヘンに立ち寄った時、発見したものです。
そうです、答えは、videoüberwachen です。
非分離動詞で、過去分詞形は、上の看板で分かるように、videoüberwacht
となります。この看板に書かれているのは、
「この駅は、あなたの安全のために、ヴィデオカメラで監視されています」
という内容の受動文です。この動詞の成立過程ですが、おそらく
Videoüberwachtung
という名詞が先にできたのではないか、と想像しています(
Video+Überwachtung という複合名詞から動詞への逆形成)。
さっそく、videoüberwacht をキーワードにして、
Google で検索してみると、
Zehn S-Bahnstationen werden videoüberwacht という
Die Welt の記事を発見。
この記事では、HamburgのS-Bahn
が話題となっていますが、同市のU-Bahn の駅では、
すでに24時間体制でヴィデオカメラが回っているようです。
ネット検索でひっかかったのは、ジョークの絵はがき。
AUS HYGIENISCHEN GRÜNDEN WIRD DIESE TOILETTE VIDEOÜBERWACHT.
こわいですね、笑ってやって下さい。あまり深く考えないように(ネットでも購入できるようです)。
Zwiebelfisch って知っていますか?<本の紹介> [8/19/2005]
短期間ではあるがドイツ語圏に出張した機会に、いろいろな情報を集めてきた。今回はまず、本の紹介から。
Bastian Sick (2004)
Der Dativ ist dem Genitiv sein Tod:
Ein Wegweiser durch den Irrgarten der
deutschen Sprache.
(KiWi Paperback 863)
Verlag Kiepenheuer &Witsch: Köln/ SPIEGEL
ONLINE GmbH: Hamburg.
ISBN: 3 462 03448 0
価格:8,90 €
「近頃、日本語は乱れている」
とかいうセリフは一般的によく聞かれる言葉だが、太古の昔から、
おそらくそのように語られていた。いわゆる「言葉の乱れ」というのは、
言語学的に見れば、言語変化の一端、あるいは、予兆にすぎない。そして、
それは、日本語に限ったことではない。
ドイツ語でも同じようなことが語られているが、
それを正面切って話題にした文章は意外に少ない。
以前、Eike Christian Hirsch
による随筆を私は好んで読んでいたが、その後、
面白い切り口で「言語の乱れ?」(変化)を扱ったものを目にしていなかった。この本は、
SPIEGEL ONLINE
の Zwiebelfisch
というコラムで連載中のものをまとめたもので、昨年発売になってから、
ベストセラーのランキングにも入っている。そして、まもなく2005年9月には、第2弾が発売になる。
タイトルにもなっているDer Dativ ist dem Genitiv sein Tod
は最初に登場する話だが、いかに属格(2格)
が現代ドイツ語から消えつつあるかをさまざまな例を交えながら語っている。第2話の
Krieg der Geschlechterは、
名詞の性に関するドイツ人の意識と議論。
Nutella(パンに塗るチョコレートペーストの商品名)
が女性名詞か中性名詞か、なんて、どうでもいいような気もするが、
ドイツ語を母国語にする人達にとっては、そうではないようだ。第3話の
Die reinste Puromanieでは、
後置用法の形容詞purの流行に関するもの。第4話の
Abschied von Lila-Grünは、
政治と色の話。 Deutschland, deine Apostroph's
は、近年、過剰に使われるようになった Apostroph
の話。これは実際にあちこちで目にした。たとえば、ちょっと画像が暗くて
見にくいが、
S-Bahnの線路には、
Abfall + Kippen bitte nicht in's Gleisと書いてある。
もちろんin's Gleis
とする必要はなく、ins Gleisが正しい。
Im Bann des Silbenbarbarenという話では、
近年、-bar
という接尾辞を多用する人達の話が語られているが、
言語学的に見てもなかなか面白い。
さて、Zwiebelfischです。
直訳すると「玉ねぎ魚」。そんな魚、いるのか、と思うと、いるんですね、
これが。
ただ、ここでは、印刷業界で
falsch gesetzte Letternという意味で使われてい
る専門用語にちなんでいるとか。
falsch gesetzte Wörterに、ひっかけてある。
さて、最後に問題。この本のタイトル、なんて日本語に訳したらいいでしょうか?
このタイトルの面白さは、dem Genitivと、
「属格」(2格)という名詞が「与格」(3格)になっているところにあるのですが、
ここまでの効果をねらった和訳は難しそうですね。
新・旧正書法の分綴(ハイフネーション)[7/11/2005]
1998年8月1日施行の新正書法は、2005年、
旧正書法との併存を許容した移行期間を終える。
2005年8月1日からは、新しい公の正書法
(neue amtliche Rechtschreibung)として、
拘束力を伴う(verbindlich) ようになる。
未だに、旧正書法の廃止に反対する動きがあるなかで、新・旧正書法の分綴(ハイフネーション)
を比較し、整理してみた。いろいろな独和辞典の記述を比較した結果、
郁文堂の「エクセル独和辞典」[新装版](2004)の P. 990 に「新正書法との相違」
というコラムで説明している部分があり、分かりやすいと思った。
(蛇足ながら、「新正書法との相違」というよりも「新・旧正書法の相違」
とした方が分かりやすいだろう。なお、2004年第1刷、P.989 の最後の単語、
「モバイルの moblil 」となっているのは、
mobil の誤り)
このような比較が必要になるのは、実際に、
1998年以前に書かれた文章を読む機会が多いと考えられるからだ。
新正書法でドイツ語を学んだ人も、旧正書法を知らねばならない。
項目 | 旧正書法 | 新正書法 |
1. ck の分け方 | k-k として分ける | ckを分けない |
・例 | Zuk-ker | Zu-cker |
2. st の分け方 | 分けない | s-tとして分ける |
・例 | ge-stern | ges-tern |
3. 単独の母音字の分け方 | 分けない | 分ける |
・例 | Abend | A-bend |
4. 派生語 | 語源的観点で分ける | 語源的、音節的観点から分けられる |
・einander の例 | ein-an-der | ein-an-der も ei-nan-der も可 |
5. 外来語 | 語源的観点で分ける | 語源的、音節的観点から分けられる |
・interessant の例 | in-ter-es-sant | in-ter-es-sant も in-te-res-sant も可 |
上の例で、4 と 5 が特に大きな問題となる。
単語を音節(Silbe) に分解するという原則に従えば、確かに、現代ドイツ語では、hinauf
は、hi-nauf と発音しているが、語源的に見れば、
明らかにhin と auf
を合成して作られている。元々、単語間、あるいは、
形態素間での仕切りを声門閉鎖音
(Kehlkopfverschlusslaut)
で行うドイツ語の特徴からはみ出たものが、これらのhin-,
her-,-ander,
da(r)-,wa(r)-
などであり、前の音と同化 (assimilation) を起こしている。多用される語、
速く発音される語だからこそ、声門閉鎖で仕切っている場合ではなくなったのだろう。
しかし、ei-nander と区切られたり、
da-rum とされてしまうと、文字としての視覚情報から、
nander とか rum
が独立して見えてしまう。これは、好ましいことではない、と私は思う。
5 の外来語のケースも、同じような原則の適用で、2種類の分綴を認めるわけだが、
元の言語の意味的まとまりを壊してまでも、
ドイツ語の音節を重視するという考え方を認めることに抵抗を感じる。
He-li-ko-pter を He-li-kop-ter
と分けてもよいことにすると、
kop が意味のあるまとまりに見えてしまう。
Päd-a-go-gik という分綴を見て、おや、
Pädって何だろう、と考えさせるのがよいのであり、
Pä-da-go-gik とすると、
Pä とda
という音のまとまりでしかなくなってしまう。外国語を無視してでも、
自国の発音を優先するというのは、
大きな保守化の一歩のように見えるのは気のせいだろうか?
一般人にとって、より簡単な自然なものをめざす、という方向性が背後にあるのだろうか。
(pädo は、
「子供」を意味するギリシア語源の言葉。母音の前では、päd となる。)
<アツイ>ドイツ語文法書 [7/05,7/06/2005]
12巻本のDudenの中のおそらく最新版は、
Die Grammatikの第4巻 (Band 4) だろう。
2005年版は、なんと 1343 ページ、
厚さおよそ 67mm、重さおよそ 1250g
となった。表紙には、
125 Jahre Duden:immer genau richtig!
という金色のスタンプのようなシールが貼ってある。
正式に言うと、7., völlig neu erarbeitete und
erweiterte Auflage ということになる。(ISBN 3-411-04047-5)
Duden Grammatik というと、
ドイツ語の文法の解説本として、まず第一に調べてみるべき参照本だ。
時代時代によって、記述内容が変わったり、
あらたな記述が追加されたり、誤解を招くような説明がカットされたりする。今回は、
Gesprochene Sprache が、P. 1175-1256
に追加された(81ページ増)のが目立つ。気がついてみると、
私がこの数年間やってきた不変化詞動詞(一般に学校文法で言う「分離動詞」)も
Partikelverben という名称で解説が載っている
(いつ、このような記述に変わったのかは、調べていない)。
これだけ分厚いので、しばらくは楽しめそうな文法書になった。
今年出ただけあって、今回の版の評価はまだ分からないが、
ドイツ語を専門にする学生は一度は手に取って見る必要がある。
ただし、
Duden Grammatik は、あくまでも出発点にすぎない。
さまざまな視点から書かれた記述の中には、
「このような分析は古いのではないか」と思わせる部分や、
やはり、「学校文法」(=規範文法書)だな、と思わせる部分がある。
<厚い>文法書から、<熱い>テーマを見つけることができるかな?
ドイツ語でクールになろう! [7/02/2005]
テーブルの上に、いつのまにか置いてあるのは、「うちわ」(団扇)。 よりにもよって、「うちわ」の上には、Deutsch für kühle Köpfe というドイツ語の文字と、 「ドイツ語でクールになろう!」の文字がついている! なんだろうと思いつつ、裏を返せば、GOETHE-INSTITUT の文字と、「2005/2006 日本におけるドイツ年」のスタンプ(?)、そしてマウスの絵。 なんと、ドイツ年が「うちわ」でわが家にやってきた。
それにしても、ちょっと引っ掛かったのが、kühl と、
日本語の「クール」、そして、現代ドイツ語には、
日本語と同様に英語から流入した cool もある。
頭の中がこんがらがってきたので整理してみた。例によって、
引用する独独辞書は、Langenscheidt の辞書。
ドイツ語では、einen kühlen Kopf bewahren
とか、einen klaren Kopf behalten という言い方があり、独独辞書では、
kühl の項目の中で
gespr; in einer schwierigen Situation
sachlich bleiben 「困難な状況の中で sachlich でいる」
と説明している。Kopf の項目には、
ruhig bleiben, nicht nervös werden
「静かにしている、神経質にならない」という説明がある。
「プログレッシブ独和辞典」第2版をひいてみると、einen kühlen Kopf bewahren
の和訳として「冷静さを失わない」となっている。Kopf
には、gespr ; ein Mensch mit großen
geistigen Fähigkeiten、つまり、
「大きな精神的能力を持つ人」を表わす用法がある。そこで、Deutsch für
kühle Köpfeというのは、若干意訳すれば、
「冷静な頭脳を持つ人のためのドイツ語」ではないだろうか?
ちなみに、ドイツ語化したcool と言えば、プログレッシブ独和には、「(話)冷静な、クールな;(若者)好みの;最高の」 となっていて独独辞書では、 gespr, bes von Jugendlichen verwendet; 1. ruhig, gelassen u. überlegen, 2. verwendet, um j-n/etw. sehr positiv zu bewertenとなっている。部分的にkühl とcool は重なっているが、 cool は、若者ことばとして、 ポジティブな意味で多用され、インフレ状態になっている形容詞だ。
最後に日本語の「クール」を「明鏡国語辞典」で調べてみると、
「1. 涼しくてさわやかなさま。冷ややかなさま。
2. 冷静で感情におぼれないさま。」となっていて、
アメリカから流入した若者ことばとしての「クール」は、
まだ掲載されていなかった。例文として「事態をクールに受けとめる」があり、
einen kühlen Kopf bewahren
とかなり近い感じがする。
しかしだ、「ドイツ語でクールになろう!」というのは、
まさに若者ことばとしてアメリカから流入してきた
「明鏡国語辞典」に載っていない意味だと感じる。
言い換えれば、「ドイツ語をやってかっこ良くなろう!」
程度の意味であり、Deutsch für
kühle Köpfe (「冷静な頭脳を持つ人のためのドイツ語」
)とは違うのだ。まあ、キャッチコピーとしては、十分に面白いが、
ちょっと違うことばが並んでいる、というのが結論。
ちなみに、「うちわ」というのは、結構昔から西洋にも知られていたらしく、
ドイツ語では、男性名詞で、Fächer と言う。
この「うちわ」でパタパタとあおげば、頭もkühl
になる、という寸法だろうが、頭の中も「冷静」になれるわけではない。
ましてや、「かっこよく」なれるわけでもない。ドイツ語を学んだら、
「困難な局面でも冷静に対処できる」ようになれるかって?
それは、<学ぶ人次第>でしょう :-)
一家に一冊、正書法辞典 [6/29/2005]
Duden: Die deutsche Rechtschreibung, 23. Auflage (2004) を先日入手した。12巻本のDudenと言えば、 ドイツ語関係の教育機関なら必ず所蔵している辞書だが、 かなり頻繁に改訂されることでも知られている。改訂のたびに、 ご丁寧にもNEU と書いたシールが貼られるので、古い版にもNEU の字が残ることになる(皮肉というか何と言うか)。
1880年に最初のDudenが出版され、
125年以上の月日が流れた。前書きにもあるように、会社や家庭になくてはならないもの、
これがドイツにおける「正書法辞典」なのだ(といっても近年は、Duden
以外の「正書法辞典」もあるのだが)。考えてみると、文章を書く時に、
文綴の仕方や記号、略号の使い方、数字の書き方、
スペリングなどこの一冊を見れば確かめられるという意味では、すごい辞典だが、
日本では、これにあたるような権威ある「書き方」辞典はない。日本語には、
そもそも文綴(ハイフネーション)なんてないですから
(文末で単語が不自然に切れてしまい、読みにくいことがあるので、
導入してもいいかもしれないが、逆に大混乱をきたしそうだ)。
さて、新正書法導入による混乱の1つに、どんどん新正書法が変わっている、
という批判がある。この第23版からは何が新しくなったのだろうか?
同辞書の前書きの次のページには、
Die wichtigsten Regelergänzungen im Überblick
というページがあり、2004年6月に決定した「精密化と補足」が紹介されて
いるので、それに簡単に紹介しておこう。
分かち書き(Getrennt- und Zusammenschreibung)
・分離動詞の前綴りとして以下のものが、新たに認定された(それまでは、
独立した副詞扱いだったようだ)。
dahinter-, darauf-/drauf-, darauflos-/drauflos-, darin-/drin-, darüber/drüber, darum-/drum-, darunter-/drunter-, davor-, draus-, hinter-, hinterdrein-, nebenher-, vornüber-
・ Leid tunと並んで、 leidtun も許容されるようになった。従って、Es tut mir leid. は正しい書き方の1つとなった。これまでの新正書法では、Es tut mir Leid. と書くことを強制していた。
・ 第2構成素として形容詞的に用いられる分詞の書き方は、自由とする。
Fleisch fressende Pflanzen/fleischfressende
Pflanzen, eine so genannte Supernova/eine sogenannte Supernova
ハイフン(Schreibung mit Bindestrich)
数字とfachの間には、ハイフンを挿入する書き方
も許容されるようになった。
8fach/8-fach, das 8fache/8-Fache
大文字・小文字書き(Groß- und
Kleinschreibung)
・ 前置詞と語形変化した形容詞による熟語では、形容詞の頭文字を大文字書き
してもよいことになった。
von neuem/Neuem, von weitem/Weitem, bis auf
weiteres/Weiteres, ohne weiteres/Weiteres, seit
längerem/Längerem, binnen kurzem/Kurzem
・ 専門用語で、形容詞+名詞の形になっている1つの概念を表わす表現で
は、形容詞の頭文字を大文字書きすることができる。
Gelbe Karte, Goldener Schnitt, Kleine
Anfrage
新正書法の不具合、不均一さは、私が考えるに、
「どちらでもよい」という現実妥協路線にある。
旧正書法がベストではないが、旧正書法では、これはダメ、
というのがはっきりしていた。今回の「追加事項」を見ても、
「あれれ?駄目だったんじゃないの?」と思うものが追加され、
混乱の原因となっている。「この様子だと、来年はまた追加されて、
今はダメな表現も来年は正しくなるんじゃないか?」という疑心暗鬼を招く。
そして、Duden正書法辞典は、ますます分厚くなり、またまたNEU
となるのである。
分綴(ぶんてつ)法って知ってますか? [06/22,6/23/2005]
先日授業で配布した資料(こちらで入力したドイツ語の文章)を見て授業を していたら、分綴がめちゃくちゃになっている単語を発見して青くなってし まった。「分綴法(Silbentrennung; hyphenation)って知ってますか?」 と思わず学生(主に3年生)に尋ねたら、 どうやらかなりの人が知らないようだ。「簡単に言うと、 行の最後で単語を切る時には、 シラブルのまとまりのところで切ることになっていて、どこでも単語を切っ ていいわけじゃあないんだ」と説明。私の資料における該当の単語は、 Schlafzimmer。 これが、 Schlafz- immerと切られてしまっていた (immer が次の行に送られたのには、ちょっと感心)。 Schlaf- zimmerと訂正し、さまざまなことが頭に浮かんだ。
(1) 分綴法の解説は、辞書に載っているのだろうか?
(2) 日本で使われているMicrosoft Wordでは、ドイツ語の分綴をやってくれ
るのだろうか?
(3) LaTeXによる分綴には、その後、変化があったのだろうか?(今回のミ
スは、私がOSのバージョンアップをした際に、ドイツ語の分綴を設定し忘れ
ていたことに起因する)
(4) 新正書法は、その後もさまざまな改訂を経て、近年また批判の対象になっ
ているようだが、分綴法には変化があるのだろうか?
そこで、これからしばらく、分綴法について調査することにする。
以前は、三修社の「現代独和辞典」に分綴法の説明が載っていたのを思い出
し、手元にある辞書を調べてみることにした(最新版でない辞書も含まれることに
注意。また、当方の見落としもあるかもしれない)。 [06/23/05]改訂
「アクセス独和辞典」第1版(2002) | S.xiii-xiv | 新正書法解説の中[06/23/05]訂正 |
「プログレッシブ独和辞典」第2版(2005) | S.15 | 分綴法[06/23/05]訂正 |
「クラウン独和辞典」第2版(1997) | S.1793 | 文法用語の解説の中 |
「郁文堂独和辞典」 第二版(1993) | S.1802 | つづりの分け方(分綴法) |
「新現代独和辞典」第1版(1994) | S.1682 | 分綴法 |
「新アポロン独和辞典」第6版(2005) | S.1841-1842 | 新しい正書法のポイント:行末で改行する際のつづりの分け方 |
「マイスター独和辞典」(1993) | S.xv | 分綴法 |
「フロイデ独和辞典」(2003) | S.xx | 新正書法解説の中 |
「エクセル独和辞典」(2000) | S.984 | 分綴法 |
「新アルファ独和辞典」(1993) | S.1352 | つづりの分け方(分綴法) |
こうして眺めてみると、巻末に独立させて載せているもの、 新正書法の解説に含めているもの、 巻頭の辞書の使い方の近くに配置しているものに分けられる。 旧正書法と新正書法の分綴の違いについて解説があるものとないものがある。 もちろん、上で挙げた辞書の中には、郁文堂独和やマイスター独和のように、 旧正書法を守っている(?)ものもある。 「分綴」という言葉が分かりにくいと判断したのだろうか、 「つづりの分け方」という表記も見られる。
↑「堀江社長」に関する Der Spiegel の報道 [06/15/2005]
Der Spiegel (21/2005) S. 125 には、Livedoor 社長の Horie Takafumi 氏に関する「新しい神々」 (Neue Götter)という タイトルの記事が載っていた。Der Spiegel というドイツの週刊誌は、 日本に関する記事を時々掲載するが、この数年間、 その数はかなり減少傾向にあると感じる。 アジアの端っこにある日本に関する記事は、 もともと読者の関心を呼ばないと考えているのだろうか。 そのような状況なので、たまに記事になる時は、 かなりセンセーショナルな扱いの記事になる。 今回のライブドアとフジテレビの件は、当時、 ほとんど毎日のようにテレビに放映されていた時期もあったので、 Der Spiegel の目にも とまったようである。
さて、まずは、タイトル。 Neue Götter このタイトルは、森 前首相の 「日本はかつて『八百よろずの神々の住む国』だと称えた」 (Der ehemalige Premier Yoshiro Mori -- er pries Japan einst als "Land der Götter") という記事の中ほどに現れる言葉をもじったもの。つまり、 Neue Götter(「新しい神々」) というのは、堀江社長のような新たな価値観を持った指導者を暗示しているように思える。 文章のタイトルをつける時、タイトルから先に考えるのか、 書いてからタイトルを考えるのか、という2つの方向が考えられる。 この記事では、どちらか分からないが、 文章を読み返して一番インパクトのある言葉を探したら、 「神々の国」(Land der Götter)だった、という可能性も高い。 それなら、「神々」は残しておいて、 neuをつけよう、 という発想が、結果として短くてインパクトのあるタイトルを生んだのではないか。
続いて、リード。
Ein junger Online-Rebell fordert die alte Garde
heraus: Takafumi Horie will größter Medienunternehmer der
Welt werden.
(私の拙訳)
「一人の若いオンライン反逆者が昔かたぎの人達を挑発している。堀江貴文は、
世界的に巨大なメディア企業家に成りたがっている。」
Rebell は男性弱変化名詞で、
「反乱者、反逆者」の意味だが、本文にも登場する。
この記事の中では、旧社会に対して「反対を唱える者」との位置づけが強調されている。
die alte Gardeというのが、
この記事で対極にある概念。Gardeは、元来が「近衛兵」のことだが、
altという形容詞がつけられたところから、
「古い伝統を守り抜こうとしている人達」を比喩的に表現している。(なお、
größter Medienunternehmer
der Weltは、「世界一のメディア企業家」と訳すべきかも知れない。
定冠詞がない所から、絶対最上級として「巨大な」(=非常に大きな)
と訳してみたが、後ろに2格で「世界の」となっているので、意味的には、ほぼ最上級なのかもしれない。)
さて、この記事の面白いところと言えば、 堀江社長に対しての言い換えの多さにある。 同じ人や同じ物に言及する時に、同じ表現を使わない、 という文章を書く時の妙は、堀江氏に対して、 どのような評価をしているのかを反映しているとも言える。以下、堀江社長を指す主語の名詞を拾ってみた。
ein junger Online-Rebell[若いオンライン反逆者]
Japans Bill Gates[日本のビル・ゲイツ]
Internet-Guru[インターネットの導師]
der Chef von "Livedoor"[ライブドアの社長]
das Jung-Genie[天才少年]
das Internet-Kid[インターネット・キッド]
der Außenseiter[アウトサイダー]
der Rebell[反逆者]
日本語にしてしまうと語感が変わってしまうものもあるが (vgl. Jung-Genie)、 記者の見る堀江氏に対する評価の一端が見えるような気がする。 ちなみに、Guru とは、 元来、「ヒンズー教の導師」を指す言葉だが、コンピュータ・プログラマー(古い言葉か?) の中で用いられた時には、「最高のプログラマー」を指す名誉ある称号。 果たして、記者がそこまでのニュアンスを知って使ったかどうかは不明だ。
なお、この記事では、堀江氏が語った一部の過激な(?) 発言がドイツ語に訳されているところも面白い。 残念ながら、「ほりえもん」という愛称に関しての説明はなかった。 この記者は、知らなかったのだろうか、それとも、 取るに足らない言葉だと思ったのだろうか、謎である。 とにかく、新旧の価値観がきちんと対立しているところが、記者としては書きやすいネタだったことは確かだ。 どの考えが「新」で、どの考えが「旧」に属するのかを意識して読むこともできる。
↑尼崎電車脱線事故に関するfazの報道[05/27/2005],[05/30/2005]
しばらく前(4月末)のこと。あるテレビニュースを見ていたら、 尼崎電車脱線事故に関する海外のメディアの報道を伝えていた。 明らかにネットから拾ってきたニュース報道を手短にまとめているらしく、 時折見せる画像はコンピュータ・ディスプレー上の文字。すると、その中に、フランクフルター・ アルゲマイネ(Frankfurter Allgemeine) の報道が一行だけ和訳されて出てきた。日々、時間に終われているので、後で調べてみようと思っていた。
背景情報: Frankfurter Allgemeine Zeitung は、faz と略され、 ドイツではかなり限定されたインテリ層しか読まない新聞。 そのページ数の多さは、アメリカで のNew York Times を連想させる。未だに、新正書法を採用していないこと でも知られている。新聞の記事は、CD-ROM で販売されているが、高価 である。ネットでは、http://faz.net/ から読めるし検索もできる。 ただし、記事によっては、1つの記事あたり数ユーロのお金を支払わな いと読めないものもある(最初のパラグラフくらいは無料で読める)。
今回は、ドイツの http://faz.net/ で、 「Japan Zugunglück 」 の2語で検索して、該当の記事を見つけることができた。 これは、無料の記事であった。
海外メディアの報道というのは、日本のメディアの好きな報道の仕方。 しかし、その実態は、どこかショッキングな部分を見つけて、 そこだけを大々的に見せる。「文を文脈から抜き出して、 こんな報道があった!」というやり方に陥りやすい。 困ったものだが、結局、<海外メディアの報道>という 「おいしい疑似テーマ」は、ちょっとした時間かせぎとセンセーションを作り出す手段なので、こうなってしまう。
さて、該当の記事なのだが、先頭の1パラグラフだけを引用する。
Die Unpünktlichen werden erniedrigt und bestraft
Von Anne Schneppen; Tokio
29. April 2005 Als im vergangenen Jahr das vierzigste Jubiläum
von Japans Hochgeschwindigkeitszug gefeiert wurde, war man stolz auf
die verschwindend kleinen Verspätungen: Durchschnittlich sechs
Sekunden auf der viel befahrenen Strecke Tokio-Osaka (vor der
Privatisierung 1987 waren es immerhin noch drei Minuten und sechs
Sekunden gewesen). Doch jetzt, nach dem schlimmsten Zugunglück
seit mehr als vier Jahrzehnten, kristallisiert sich dieser extreme
Hang zur Pünktlichkeit als eine der möglichen
Unfallursachen heraus.
見出し:「時間を守らない者は、辱められ、処罰される」
これだけで十分なインパクトのある見出しである。実は、ドイツ人は、
伝統的に(?)Pünktlichkeit(時間を守ること;
時間厳守)を尊重して、かなり重視している人達なのであるが、近年、
どうもそうでなくなってきた(らしい)。特に、中高年のドイツ人は、
近年の若者たちに対して、このような不満を口にする
(どこの国の年寄りもやりますね!)。だから、そのような人達が、この見出しを読むと、「そうだそうだ」
と同調してしまうかもしれない。
そして、話は一気に「日本の新幹線」 (Japans Hochgeschwindigkeitszug) へと飛ぶのである。以下、私の拙訳:
「昨年、日本の新幹線の40周年記念祭が祝われた時、 消え去りそうなわずかな(電車の)遅延に人々は誇りをもっていた。 運行本数の多い路線である東京ー大阪間では平均して6秒(の遅延) だったからだ(1987年の民営化以前は、 それでも3分6秒だったのだが)。しかし今、 40数年ぶりに起きた最悪の列車事故の後、 この極端な時間厳守癖が事故の考えうる原因の一つとして浮かび上がってきたのだ。」
内容的には、この後、事故の様子を伝える記事になるのだが、 記事の冒頭の話には、どきっとさせられる。 ドイツのマスコミの記事には、この手の先制パンチを繰り出してから、本論に入るというパターンもよく目にすると思う。
ドイツ語についてのコメント:
新幹線を Shinkansen
と書く場合もあるが、これはあまり知られていないので、
説明調の「高速列車」(Hochgeschwindigkeitszug)となっている。
Zugunfall と
Zugungück は、ほとんど言い換えとして使われている。
einen Hang zu 〜:
「〜する癖がある,〜癖がある」は、なかなか有用な表現。
sich herauskristallisieren: 「結晶化する;結晶して現れる,明確になる」
上では、「浮かび上がる」と訳してみたが、本来、
「結晶化が起こる」という表現。原因が結晶化するなんて、
日本語では言わないが、目に見えるようなプロセスとして面白い。
みなさんは、ミョウバンの結晶を作る実験をしませんでしたか?わたしは、結構、はまった記憶があります。
「やさしい!ドイツ語の学習辞典」(同学社)[05/25, 05/26//2005]
5月20日頃に、上記のドイツ語の新しい辞典が送られてきた。まずは、
基礎的なデータから。
タイトル:やさしい!ドイツ語の学習辞典
出版社:同学社
出版日:2005年5月20日
編著者:根本 道也
校閲:Dr. Angelika Werner, 堺 雅志
和独の部執筆者:重竹芳江
価格:2,500円+税
ISBN: 4-8102-0005-1
見出し語数:7000語
売り込み文句:
初級段階でよく使う600語には特別の配慮:
1. 見出し語と主要な意味は赤太活字で目にとまりやすく、
2. 用例はカナ発音つきのやさしい例文で覚えやすく、
3. 名詞の格変化や動詞の人称変化は一覧表で調べやすく。
オビのキャッチフレーズ:●学び始めたあなたを全面サポート。●独検4級・
3級レベルへやさしくリード!
感想:
(1) 一段組みの初級辞典。このクラスには、「エクセル独和辞典」(郁文堂,
2940-,2万語),「スタート独和辞典」(三修社,3,360-,1.4万語),
「パスポート独和辞典」(白水社,3,045-,1.5万語)がある。
独検3級4級がターゲットということは、
本当に初心者だけを狙っていると考えられ、
「一年だけでドイツ語をやめてしまうが、
まじめに独検だけは取っておきたい」といった学習者を想定しているのかもしれない。
(2) 値段と語彙数が微妙だと思う。2,625円(税込み)は最低価格だが、
語彙数が少ない。もちろん、その分、記述は丁寧なのだろうが。
辞書の記述をそのまま再現することはできないので、記述内容の一例として、 たまたま今年授業で扱った、Fräulein を見てみる。 記号の表記の仕方は、実物とは異なるので注意。
Fräulein ((古)) 1. 未婚女性. 2. (未婚女性の姓の前に付けて)… 嬢. (今では、既婚・未婚の区別なく Frau を付ける)3. (ウエートレスへの呼び掛け:) 給仕さん!(今ではふつう Bitte! (お願いします)と呼び掛ける) (P.182)
ポイントは、(1) 「今では使わない語」という説明が付いているかどうか、
(2) 今では、Frau を未婚・既婚の区別無く使うと書いてあるかどうか、
(3) ウエートレスへの呼び掛けとしても廃れつつあることが書いてあるかどうか
(その場合は、代替表現が書いてあるかどうか)。
この項目に関しては、ほぼ合格点。「ウエートレスへの呼び掛け」で
Bitte! を普通に使うというのは、
ちょっと違う気がする。Hueber では、
Hallo. となっていたが、これもあまりお勧めではない。