茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
4 月 1 日がやってきた!
なんとなく 4 月も残り少ないような気がしないでもないが、そういう細かいことは一、二ヶ月もすれば誰も気にしなくなるし、そもそも、この 4 月 1 日という日付なんだから多少のことは許されるのであるのである。
あ、そうそう。 今日は新学期早々、朝から大学に行き、物理学科の新入生の履修ガイダンスに顔を出してきたんだった。
別に教務員でもないから履修ガイダンスに出る必要はないのだけれど、途中で急に登場して数学の講義で使う
数学:物理を学び楽しむためにの製本版(今年はアボカドグリーン)を配布してきたのだ。
「みなさんは既に色々なサークルに勧誘されているだろうし、これからもされるでしょう。 もちろんサークルは楽しいでしょうけど、ぼくは、もっと楽しいものに勧誘しに来ました・・・・・それは物理です!」 と「くさい台詞」を言って、「ちょっとくさすぎたかな?」と自己フォローしたら、ちゃんとみんなニコニコと喜んでくれていた。 とても素直な、いい感じのクラスだなあと期待が高まる。実際、講義もとてもいい雰囲気で「前に座ろう」とか言わないでもどんどん前に座って楽しそうに聴いてくれていたなあ(4 月 1 日なのにでなんで知ってる?)。どうかよろしく。
ところで、サークル勧誘の上級生たちがビラを配布してアピールしているつもりであれば、私が配布した 600 ページ超の冊子の前では無視できるレベルであることを思い知っていただきたい。
教務委員の平野さん、時間をとっていただき、ありがとうございました。
これまでに、2002, 2003, 2005, 2006, 2007, 2008 とかなりちゃんと書いている。 2009 は祖父が亡くなったので番外編。 このあたりでだんだんネタがなくなってくるわけだが、 2010 と2012もがんばってある程度は書き、一年前の2013も(幸い家族から新ネタを仕入れたので)なんとか書いた。
しかし、いよいよネタがない気がする。
いや、実は書いていないエピソードもある。しかし、なにせ曾祖母は激烈な個性の持ち主だったので、残っている話というのは、一般に公開してしまうのは気が引けるようなものばっかりなのである。
これが元の tweet なのだけれど、祖父が亡くなる前の年にベセスダに祖父を訪ねたと書いてある。 ま、それはいいんだけど、Keiko さんは祖父のことを「大伯父の田崎一二さん」とか「一二おじさん」と書いているではないか。
えっ? てことは、この人はぼくの親戚???!!!
あれま? ぼくに、こんなすごい生物学者の親戚がいたのか?
驚かないと思うけれど、ぼくは自分の親戚というものには(特に個人的な交流のある人を除いては)一般的にあまり関心がないのだ。 でも、そういえば、アメリカで生物をやっている人がいると漠然と聴いたことがあるような、ないような。
そして、鳥居という苗字。
ええと、鳥居、鳥居・・
あ、そうだ。「鳥居のおじさん」という人がいた。ぼくは会ったことはないけれど、某業界ではたいへん有名な大物だったはず。
あ、そうか! 親父の従兄弟の Y さんの姓は確か鳥居だった。 Y さんには子供の頃に会ったことがある。ものすごく博識な人だったという記憶があるのだ。というより、「博識」という言葉を知ったのは、両親が Y さんのことを教えてくれた時だったかもしれない。なんでも、世界地図を広げてまったく見たことも聞いたこともないような小さな国をランダムに指し示すと、Y さんは、その国の歴史をスラスラと語ってくれるという話だった。 ぼくの家に泊まったときも、朝起きると、届いたばかりの新聞をまさに舐めるように隅から隅まで読んでいたのを覚えているぞ(←ぼくにしては珍しく昔の記憶がある。そういう知性がよほど珍しかったのかもね)。
ということは、啓子さんは Y さんの娘ということになりそうだ。 在米が長いという情報とも整合しているし。
ここまで自力で推理したところで、まあ俺にしては十分よくやったぞということで、母親に電話して啓子さんのことを聞く。 もちろん、母は啓子さんのことをよくよく知っていた。そもそも、彼女は筑波大に通っていた頃ぼくの実家にも割りと出入りしていたらしい(ぼくは家にはあまり帰らなかったので、会っていないけれど)。
しかし、「はとこ」とか言っても、どうもピンと来ない。 それよりは、具体的に人を思い浮かべるほうがいい。 ぼくの祖父の一二には一人の弟(ぼくの大叔父で、元東北大医学部の田崎京二)と何人かの妹がいた。 その妹のうちの一人が、(例の大物の)鳥居さんに嫁ぎ、その息子が Y さん、そのまた娘が啓子さんということだ。
つまり、鳥居啓子さんと田崎晴明は、ぼくらの曾祖母を共通の祖先に持っているということだ!
うむ。これは、わかりやすい。 曾祖母の性質(4 歳の頃からの記憶があり、ブラインドテストを自分で思いつく、子供の頃にせんべいを焼くときに凹凸ができるのを見てそれと地形の成り立ちのアナロジーを考えたなどなど)は娘たちにもかなり受け継がれていたと聞く。 それが鳥居などの別の血と混ざって(超博識の Y さんを経由して)鳥居啓子教授にまで受け継がれているということなのだろう。 それは実に納得できることではないか。
きっかけを作ってくれたのは、日経サイエンスの古田さんだ。ありがとうございます。
古田さんがぼくが書いた物を再掲し(ぼくの tweet を retweet し)それを啓子さんが読まれたのである。 蓋を開けてみれば、古田さんだけではなく、大栗さんや立川さん(←このつながりは、啓子さんのご主人経由と思われる)や安田涼平さんなど、共通の知り合いが結構いることもわかった。 世のなか狭いものであるし、Twitter というのは、やはり、なかなか愉しいものである。 (一連のやりとりはここで読めます。)
というわけで、おばあちゃん、曾孫(ひまご)どうし、アメリカと日本にいるけど、コンピューターのネットワークを通して知り合いになったよ! おばあちゃんがいなくなった後の世界も、けっこう面白いでしょ?!
や、もう 4 月も終わりだ。 恒例の 4 月 1 日の日記を書いたのが十日足らず前のような気がするのに、不思議な話である。
そういえば、さっき、仕事のことをずっと考えていて、はっと我に返ったら、風呂場でシャンプーしている最中だった。 確かに、風呂に入ろうと思って服を脱いでいた記憶はあるんだけど、それ以降の記憶は全くない。 湯船に浸かって暖まったのか、体を洗ったのか、どうがんばっても思い出せない。ボディータオルを調べると濡れているので(←今日はぼくが一番に風呂に入った)体は洗ったんだろうと判断した。
こういうエピソードを書くと、老化の現れの話をしていると思うかも知れないけれど、風呂に入ったときに「意識が飛ぶ」のは、実は、かなり昔からしょっちゅうあることなのだ。 なんか、「時間をスリップした精神が肉体に急に戻る」みたいな SF っぽい体験で、おもしろい。
しかし、本の執筆や論文の作業は停止しているし、これでさらなる講演の準備とか予稿書きとかが入っていたら完全に破綻していたと思う。 いくつか素敵なお誘いを断ってたいへん申し訳なく思っていたけど、やっぱり、そうするしかなかったなあと再確認。すみませんでした。
夏に向けて、破綻しないよう、上手にやっていきたいものです。
と、いかにも、4 月の日記を一日だけにしないためにとってつけたような日記になってしまったけど、お許しください。