茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
さて、
今日は 4 月 1 日で、しかも今はまだ午前中である。と宣言すれば、多少のことは許されるという話なので、1 日づけの日記を書くぞ。
これまでに、2002, 2003, 2005, 2006, 2007, 2008 とかなりちゃんと書いている。 2009 は祖父が亡くなったので番外編。 このあたりでだんだんネタがなくなってくるわけだが、 2010 と 2012 もがんばってある程度は書き、二年前の 2013 も(幸い家族から新ネタを仕入れたので)なんとか書き、去年 2014 はもう無理だと思ったんだけどたまたま鳥居啓子さんとの予期せぬ展開があって、それでしのいだ。
生まれた時には両親とそれぞれの側の祖父母がみんな元気だった。 それより上の世代はさすがにほぼ死んでおり、曾祖母がだけが元気に生きてきた。 そして、この人たちは、ぼくが成長して大学に入っても、みんなずっと元気だったのだ。
母方の祖父が死んだのは、ぼくが大学三年のとき。物理学科に入って間もない頃だ。 これが初めて経験する肉親の死だった。 ぼくは既に色々なことを冷静に受け止めたりできるくらいの大人になっていた。
その後もなかなか人が死ぬことはなかったが、ぼくが結婚して子供も作ったあたりから、さすがに上の世代は順番に世を去って行く。 まず、曾祖母が 108 歳で亡くなり、それから、しばらくのあいだをおいて、残る祖父母もみな世を去って行った。 一時期は直系の五世代(曾祖母、祖父、父、ぼくと弟、ぼくらの四人の子供たち)が同時に生きていることを誇っていた田崎家も、三世代が同時に生きているだけの普通の一族になった。
そして、ついに先月には父が世を去ったのだった。
元気出るようにプールも行こう。
この前に泳ぎに来たときには、父の最期が遠くない事を知っていて、様々な思いを巡らせながら黙々と 1,000 メートルを泳いだのだった。 不思議な気持ちだ。
いつも通り、料金の 600 円を払おうとチケット販売機にプリペイドカードを入れるのだが、表示の様子がなにやら違っていて手が止まってしまう。600 円というところはなくて、大人は 400 円となっている。
戸惑うぼくを見て、受付の人が声をかけてくれた。
受付の人「料金が変わって、400 円になったんです。今日からです。」
ぼく「え? 400 円ですか!? エイプリルフールじゃないですよね?」
受付の人「・・・・・・・」
新年度早々スルーされましたが、がんばって 1,000 メートル泳ぎました。